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Vol.25046 大学の自治と学問の自由:その使命と現代日本の課題

医療ガバナンス学会 (2025年3月13日 09:00)


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代表取締役 江石義信

2025年3月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

1. はじめに

私は国立大学医学部で40年間教員として勤務し、定年まで同じ大学で教育と研究に携わってきた。その間、医学部長として学生教育に携わり、全国医学部長病院長会議を通じて大学の在り方や運営について考える機会を多く得てきた。特に『わが国で求められる医師養成のためのグランドデザインへの提言』(2022年発行)では、医学部は決して単なる専門学校ではなく、国公私立を問わずすべての医学部が、医学専門だけに偏ることなく高等教育機関としての機能を担保し、その責務を果たさなければならないと主張してきた。しかし、近年の日本の政治や世界情勢の急激な変化を目の当たりにし、大学が果たすべき役割やその未来について改めて見直す必要性を感じている。

実際、将来に希望を見出せない若者や、大学改革に対して関心を持たない教員が増えている現状を踏まえると、大学の統治機構の変化がこうした傾向に影響を与えている可能性がある。世界的にも倫理観の低下が懸念される中、もし大学が本来の使命を見失い、短期的な経済合理性を優先することで、人間教育の重要性が軽視される状況が進めば、社会全体にとって看過できない問題となる。特に、グローバルな政治不安や社会の分断が深刻化する現状において、人間性を育む教育が後退すれば、将来的に社会の安定や持続的発展が脅かされる可能性が高まる。

大学の自治と学問の自由は、知の発展と社会の持続可能な成長に不可欠な概念である。日本国憲法第23条においても「学問の自由は、これを保障する」と明記されている。しかし、現代日本の大学では、この理念が形骸化しつつあるのではないかという懸念がある。本稿では、大学の自治と学問の自由の歴史的背景を振り返り、特に大学における人間教育の意義に焦点を当て、現代日本の大学が直面する課題を再考したい。

2. ヨーロッパにおける大学の歴史とその意義

大学の自治と学問の自由は、中世ヨーロッパの大学の発展とともに確立された。12~13世紀のボローニャ大学やパリ大学では、教員と学生の自治が重視され、学問の独立性が尊重される制度が整えられた。19世紀にはドイツのフンボルト・モデルが登場し、研究と教育の統合という理念が生まれた。この考え方はアメリカの大学制度にも影響を与え、近代的な大学の基盤を築いた。

また、大学は学問の探求だけでなく、人間教育の場としても重要な役割を果たしてきた。ヨーロッパの大学では、批判的思考や倫理観、社会との関わりを重視する教育が伝統的に行われ、多様な背景を持つ学生や研究者が自由に議論する場として機能してきた。このような環境が、人間形成において極めて重要な役割を果たしてきた。
歴史上、革命や戦争といった社会の大変動が起こるたびに、大学教育を受けた人々が復興のリーダーとして重要な役割を担ってきた。例えば、フランス革命後の社会改革を主導した知識人や政治家は、ソルボンヌ大学をはじめとする大学で学んでいた。第二次世界大戦後のヨーロッパ再建を支えた指導者の多くも、ケンブリッジ大学やハイデルベルク大学などの高等教育機関で学んだ経験を持っていた。

一方、日本の大学制度は明治維新後に欧米から導入されたが、その背景には、西欧の学問体系を急速に取り入れ、近代国家の発展を支える知識基盤を確立する必要があった。しかし、大学自治の理念は十分に定着せず、特に戦前は国家の統制が強かった。戦後、占領政策のもとで大学改革が進められ、新制大学制度が導入されたが、依然として政府の影響は強く、真の自治が確立されるには至らなかった。近年では、大学の法人化や学長権限の強化などにより、自治の形が変容しつつあるが、その在り方については引き続き議論が求められる。

3. 現代日本の大学の課題

近年、日本の大学制度は国立大学法人化の流れを受けて大きな変革を遂げてきた。2004年の国立大学法人法の施行により、すべての国立大学が法人化され、独立した運営が求められるようになった。この改革は、大学の財政基盤を強化し、運営の自主性を高めることを目的としたが、結果として文部科学省の指導のもとで競争原理が強まり、財務管理や経営の視点が重視されるようになった。

また、近年では大学が産業界と連携し、起業家育成やベンチャー支援を強化する動きも加速している。確かに、こうした取り組みは社会の変化に対応するために重要ではあるが、それが大学の本来の役割である学問の自由と多様性の維持と衝突する可能性が指摘されている。
2015年の改訂では、学長の権限がさらに強化され、大学教授会の意思決定権が制限される方向へと進んだ。これにより、大学のガバナンスが中央集権化し、学問の自由が脅かされる懸念が指摘されている。教授会が持つ学問的な独立性や意思決定の権限が制限されることで、大学運営における学問的な視点よりも経営・効率性が優先される傾向が強まった。
また文部科学省は、「大学改革実行プラン」のもとで、国立大学の統廃合や再編を進める方針を示している。特に、経済界との連携強化やグローバル競争力の向上を目指し、大学の法人経営モデルの見直しが進められる可能性がある。国立大学における経営基盤の強化が重視される一方で、短期的な市場ニーズに適応することが優先される傾向が強まると、基礎研究や自由な学問探求が後回しにされる懸念がある。

4. 大学の自治が重要な理由

さらに、こうした変化は、学問の独立性だけでなく、人間教育の側面にも深刻な影響を与える可能性がある。近年、大学の役割が「高度人材育成機関」として強調される一方で、人格形成や社会倫理の育成といった人間教育の重要性が軽視される傾向が見られる。特に、短期的な実学志向が強まることで、幅広い知識や思考力を養う教育の後退が懸念され、批判的思考や社会的責任を持つ人材の育成が困難になる可能性がある。
このような動きに対し、大学が本来の使命を維持し、単なる職業訓練機関にとどまらず、社会の多様な価値観を育む場であり続けるためには、学問と教育のバランスを再考し、学問の自由と人間教育の意義を守る努力が必要である。

大学は、単に専門的な知識やスキルを提供する場ではなく、人間教育の場としても機能することが求められる。批判的思考力や倫理観、社会的責任を学ぶことができる環境がなければ、短期的な経済合理性を優先する社会の中で、人間性を軽視する風潮が強まる可能性がある。特に、リーダーや意思決定者を育成する大学がその役割を果たせなくなれば、社会全体の倫理的基盤が揺らぎ、長期的に見て持続可能な社会の発展が困難になる恐れがある。

また、学問の自由と大学自治が後退し、人間教育が軽視されることで、多様な価値観を持つ人材の育成が困難になり、結果として、社会の画一化が進むリスクもある。大学は、異なる背景を持つ人々が自由に議論し、相互理解を深める場であるべきであり、その機能を失えば、社会全体の創造力や革新力が低下することにつながる。
このため、大学の自治と学問の自由を守ることは、単なる大学内部の問題ではなく、社会全体の未来に直結する重要な課題である。大学が人間教育を担う場であることを再認識し、教育政策や改革が短期的な経済合理性だけに偏らないよう、慎重な議論と対策が求められる。

歴史的に見ても、ヨーロッパをはじめとする各地で、大学が多様な人材を育成することにより、社会が不測の事態に直面した際には、その中から必要とされる人材が中心となり、世界の再建を担ってきた。同様に、日本においても、戦後の高度経済成長を支えた人材の多くは、戦前・戦中の抑圧的な教育環境ではなく、戦後の自由な学問のもとで育成されたものである。これらの事実からも、大学の自治が将来の社会に及ぼす影響の大きさは計り知れない。

5. おわりに

日本の大学は、戦後復興や高度経済成長を支える重要な役割を果たしてきた。自由な学問環境のもとで育まれた人材が、経済、医療、技術、文化など多様な分野で活躍し、社会の発展を推進してきた。しかし、近年の大学運営の変化により、学問の本質的な探求が軽視され、短期的な成果を求める風潮が強まっている。
この状況の中で、大学が本来の役割を果たし続けるには、学問の自由と大学自治を維持し、知的基盤を支える環境を確保する必要がある。そのためには、大学関係者のみならず、政府、産業界、一般市民がこの問題に関心を持ち、将来について議論を深めることが求められる。
また、大学は単に技術や知識を教える場ではなく、人間教育の場としての役割を回復し、多様な人材を育成することが極めて重要である。批判的思考力、倫理観、社会的責任を育むことは大学教育の本質であり、短期的な経済合理性の追求によって失われるべきではない。大学が多様な価値観を尊重し、学生が自由に議論し、成長できる環境を提供し続けることが、健全な社会の発展に不可欠である。

さらに、多様な人材を育成することは、社会の持続可能性を確保するだけでなく、差し迫った危機的状況にも対応できる社会基盤を形成する上で重要である。急激な経済変動、環境問題、国際的な政治不安など、現代社会が直面するリスクに対処するには、単一の価値観に依存しない柔軟な思考を持つ人材が必要とされる。大学はその育成の中心的な役割を果たすべきであり、市場ニーズに迎合するだけでは、長期的な社会の安定や発展を保証できない。
今の世界情勢を鑑みると、大学の歴史的役割を再評価し、その未来を真剣に議論すべき時期に来ている。短期的な経済戦略に従属するのではなく、社会の変動に対応できる知の拠点としての機能を強化することが求められている。大学関係者だけでなく、社会全体がこの問題に関心を持ち、議論を深めていくことが不可欠である。

 

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