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Vol.25135 ときわ会常磐病院訪問記

医療ガバナンス学会 (2025年7月22日 08:00)


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香港中文大学医学部生物医学科三年
櫻田杏奈

2025年7月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

常磐病院は竹林に囲まれた自然豊かな立地を誇っていた。早朝の為、人の往来は少なく、廊下は静かだった。しかしナースステーションに差し掛かると、看護師や医師の多忙な仕事風景が見えた。

回診は、尾崎医師をはじめ、複数の医師やレジデントが列を成した。虫垂炎、乳癌、甲状腺疾患や循環器系の疾患等、多岐にわたる症例の患者を訪問した。

回診が終わりナースセンターに戻ると、看護師たちは活発に活動していた。電話を受けたり、病室を行き来したり、カルテや心電図モニターを確認していた。ここで陽気で恰幅のいい権田憲士医師に出会った。彼は今日の手術の執刀医だった。権田医師は親切に患者の症例を説明してくれた。

彼は私にPETスキャンを見せてくれた。乳房が光っていた。これは明らかに悪性腫瘍だった。
私はPETスキャンをまじまじと眺めた。だが、ふと思った。二箇所に見られるとはいえ、腫瘍は小さい。これなら温存手術も可能ではないだろうか。

「温存手術は可能ですか。」

「いいえ、残念ながら、片側乳房切除術を行います。」

私は驚きを隠せなかった。

「はい、残酷ですが、病気を取りきれないリスクがあるため、組織を完全に摘出する必要があります。」

暫くして、渡り廊下を歩いて手術室へ案内された。手術室に入る初めての機会だったので胸が高鳴った。

地域の基幹病院であるこの病院には4つの手術室が存在し、その内三つは大型手術室であった。複数のモニターや精密機械が設置され、高度医療の現場だと一目瞭然だった。

手術は宗教の儀式と同じように、決まった手順で行われるものだと事前に聞いていた。たとえば、ミサでは聖歌合唱、聖書朗読、説教、聖体拝領がある。同様に手術でも、切開、病変組織の切除、止血、縫合がある。手術室が近づくにつれ、厳粛な雰囲気を感じた。

私はミサのことを思い出した。私は決して信仰などしていない。だが宣教師に会いたくてミサに行っていた。だが、ミサは決まった手順で行われるため、すぐに退屈に感じるようになった。また、無神論者だったので、意義を感じなかった。徐々に聖体拝領の直前にしか教会に立ち入らなくなった。こうしてミサが終わると、宣教師と合流するのだ。

今回も似たような状況だと感じた。私は手術という最終結果しか見ていない。しかし、患者と医師との間の意思疎通、数多くの苦悩、繰り返される検査がどの様なものなのかは知らなかった。医師は医学のエキスパートであるだけでなく、患者を救い、導き、励ます役割もあるのだ。医師という職業の尊さをその時、感じた。

手術室に入る前、私は帽子をかぶり、手を洗い、靴を交換した。年配の看護師が案内してくれた。手術室には五人の人がいた。看護師、二人の助手、権田医師、そして麻酔科医だ。麻酔科医は椅子に座っていた。二人の助手は若い医師で、権田医師の指示に素早く従っていた。看護婦は忙しい中、丁寧に手術について説明してくれた。

患者はストレッチャーで手術室に運ばれた。患者を手術台に置くには、四人の大人の力が必要だった。患者を覆っていた毛布が取り除かれ、麻酔科医が酸素マスクを装着させた。1分後、患者は眠りについた。麻酔科医の方に目を向けると、人工呼吸器が上下に動いて呼吸を調節していた。酸素マスクはマウスピースに交換された。

権田医師は切開領域をマークした。二人の助手は患者に青いシートをかけた。これは、術野が露出される手術用シートだ。その後、彼らは手術キットを患者の上に運んだ。

権田医師はメスを持ち、切開を行った。暫くすると電気メスに切り替え、手術を続けた。病変組織の切除は刻々と進んだ。

約1時間後、手術の最深部に到達した。後半は前半より悠々と時間が流れた。ゆっくりと病変組織の切除が続く。時折、血の滴が出現する。止血が必要だと誰もが感じた。

「ケリー。」

たちまち一人の助手は鉗子で出血部位を挟み、別の助手が糸で血管を結び、糸を切断した。結紮は手術を通じて何度も繰り返された。

手術の後半に差し掛かると、医師たちは私に話しかけた。権田医師は私の経験や興味について尋ねた。私はシンガポール、イギリス、日本、オランダなど、さまざまな国で生活してきた。現在は香港中文大学で生物医学を学んでいる。私の興味分野は免疫学だ。

「ああ、免疫学ね」と権田医師は言った。

「やっぱり癌と免疫って切っても切れない縁だよ。」

手術は最終段階に差し掛かった。まず、一定間隔で縫合が行われた。その後、医師は主要な開口部を縫合した。小児外科医である若い医師は特に技術が優れていた。子どもの皮膚は傷跡が残らない様に細心の注意を払う。その為、縫合の技術が上がるのだそうだ。彼が助手として参加していた理由は、病院に乳房外科医が2人しかいないだけでなく、1日につき1人しか手術を行えないためだった。手術には少なくとも3人の外科医が必要のため、別の部門から呼び出されていたのだ。この手術を通じて、特に外科医の深刻な不足を実感した。専門医が不足しているため、非専門医が補助に呼ばれる。助手の供給は不安定だが、手術は必要不可欠なので、医師たちは大きなプレッシャーにさらされている。

手術終了後、患者は手術台からストレッチャーに移された。そしてマウスピースは酸素マスクに交換された。ゆっくりと彼女は目を開いた。医師は彼女に反応を求めた。彼女は周囲を見回し、数言を交わした。医師は家族が待っていることを伝えた。

患者を手術室の外へ運ぶ途中、家族と出会った。患者は彼らを認識し、数言を交わした後、病室へ運ばれた。病室では、血圧、脈拍、血液酸素濃度を継続的に測定し、異常がないか確認される。私はストレッチャーを共有スペースに戻した後、医師と看護師と再度合流した。

午後になり、尾崎医師は、朝に診察した患者たちを再び訪れた。朝とは異なり、多くの患者はほとんど眠っていたり、テレビを見ていたりした。会話は短く、医療的な処置は行われなかった。

尾崎医師が5時を過ぎても仕事を続けたため、私は研修医と共に座っていた。

研修医の1人は、ケニアでエイズに罹患した子供たちと出会ったことが、医師を目指すきっかけになったと語った。また、彼は、医師の深刻な不足を私に語った。医師は一般的に給与の良い都市部の病院を好む傾向にある。高齢者が多く医師を必要としているのは、いわきのような都市であるにもかかわらず。

別の女性研修医は、地元出身で、育った地域の人々を助けることを志していた。専門分野を選ぶまでまだほぼ2年あったものの、彼女は熱意に満ちていた。

廊下を歩いていると、豊かな自然が目に入った。のんびりとした川が流れ、蒼蒼と繁った樹木の間に家が点在していた。長閑だな、と思った。私も目まぐるしい都会から離れ、森林に囲まれた生活をしたいと思った。だが、地方も良いことばかりではない。自然は豊かだが、医師が不足してる現状がここにあった。

 

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