
医療ガバナンス学会 (2025年10月27日 08:00)
医療ガバナンス研究所 研究員
ノースカロライナ大学チャペルヒル校 公衆衛生大学院 生物統計学専攻
原 明美
2025年10月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
この研究室では、研究は最初から「個人技」ではなく「協働のシステム」として組まれている。統計学、情報科学、神経科学、生物学といった異なる専門のメンバーが同じ空間で作業し、誰かがコードを共有すれば、別の誰かが仮説やモデルの前提を検証し、第三者が再現性を確かめる。完璧な成果を待つのではなく、途中経過を早めに共有するのが基本だ。「固まってから見せるより、未完成のうちに議論する」。
最初はそのスピード感に戸惑ったが、すぐに意味がわかった。途中で見せるからこそ、議論が早く立ち上がり、誤りが拡大する前に修正できる。ここでは、ミスは失敗ではなく改善の材料だ。個人の自由は、透明性の上に成り立っている。作業の根拠を記録に残し、他者が触れられる形で共有する。そうすることで、判断の責任は分散されず、しかし孤立もしない。自由は放任ではなく、システムとして支えられているのだと感じる。
その他、アメリカでの研究生活で特に印象的だったのは、学生の立ち位置が日本とまったく違うことだ。こちらでは、大学院生は「学び手」ではなく、最初から研究チームの「担い手」として扱われる。多くの学生がRA(Research Assistant)として教授のグラントに雇用され、給与を受け取り、授業料も免除される。契約がある以上、研究は教育の延長ではなく職業の一部になる。教授と学生という上下関係よりも、プロジェクトを共同で動かすパートナーに近い。研究テーマも「与えられる」ものではなく、議論を通して形づくっていく。課題を見つけ、方法を選び、根拠を説明する——その全てを自分で担う構造が最初から設計されている。
私がUNCに来たとき、大学全体の資金状況は決して良くなかった。トランプ政権下でfundingが大幅に削減され、生物統計学科でもRA枠は一人しかなかった。それでも日本での研究経験を評価され、入学初月にZhu教授のRAとして迎え入れられた。教授から「まずやってみよう」と言われた瞬間、感じたのは喜びよりも、チームの成果を自分も背負うという重みだった。
給与や学費免除は、支援ではなく信頼の証であり、同時に説明責任の始まりでもある。週次の報告では、「どれだけ進んだか」ではなく、「なぜその方法を選んだのか」「他の選択肢をどう検討したのか」が問われる。結論の正しさよりも、思考の一貫性が重視される。教授はよく言う——「間違いを避けるより、説明できるプロセスを作りなさい」と。アメリカの研究の自由は、責任と透明性の制度によって初めて機能している。
一方、日本の大学では、研究に入るまでの“手続き”があまりにも整いすぎている。私は理学系の学部に所属していたが、学部生が自分のテーマで研究を行う機会はほとんどなかった。教授に相談しても「博士学生としか研究をしていない」と言われる。やる気があっても、制度上は「教育を受ける側」に固定されており、自分の判断で研究を始めることができない。テーマを立てる以前に、“研究してよい立場”に至るまでの時間が必要だった。
もちろん、日本の大学の教育的機能は強く、基礎を固める環境としては優れている。しかし、その分だけ学生が自分の裁量で動ける余地が少ない。教授の許可を得ることが前提になる構造が、知らず知らずのうちに「待つ側の思考」を生む。制度的に守られた安心の裏に、自由の欠如がある。
私が日本で初めて「自分で動ける研究」に触れたのは、非営利活動法人医療ガバナンス研究所(上研)での経験だった。大学や企業に属さず、学生にテーマと環境を開く珍しい場所で、構想から解析、執筆、投稿までを自分の責任で行った。そこでは、問いの立て方も、進め方も、誰かに決められることはない。やってみたいという意思そのものが出発点であり、やる以上は結果まで自分で引き受ける。その環境で学んだのは、自由とは手放しの軽さではなく、選んだことに最後まで関わる覚悟なのだということだった。そして今、UNCで再びその感覚に向き合っている。
上研で感じた「自由の原型」が、アメリカの制度の中ではより明確な形を持って存在しているのを実感する。
Zhu教授はある日、こう言った。
「学校で学ぶ知識の多くは古い。全部覚える必要はない。大事なのは“今の自分に必要なこと”を学ぶことだ。」
最初は驚いたが、次第にその意味が分かってきた。自由とは、知識をすべて持つことではなく、そのとき自分が必要とする問いを選び取る力なのだ。
誰も決めてくれない世界で、自分の選択に理由を持つこと。その孤独と緊張の中にこそ、研究者としての「自由」は生きている。