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Vol.146 医局撤退

医療ガバナンス学会 (2011年4月25日 06:00)


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獨協医科大学神経内科 小鷹昌明
2011年4月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


大学病院勤務を18年間続ける中で、私はこれまで送別の機会に幾度となく立ち会ってきた。それぞれの医師がそれぞれの事情で、それぞれの転地に移動してい く姿を眺めてきた。円満な笑顔の一方で、憤懣やる方ない表情や歪んだ笑みを浮かべる方もおられたような気がする。同じ医局に属し、同じ研修を受け、同じ診 療に従事し、質の高い教育と研究とを行ってきたはずである。
紛れもなく自分を急成長させた現場であり、他の医局員たちの激励と優しさとに触れ、夢と希望との中で賞賛の美をもって人生の転換期を迎えるはずであった。
しかし、昨今の医師不足と不況とにおける潜在的戦時下では、一般的な常識は通じなくなった。折しも、国内観測史上最大のマグニチュードを有する震災が東日本を襲い、世の中は混乱を極めた。

これからの時代において強調すべきは、まず”生き残る”ことである。生き残れてこそ、人生や仕事や恋や友情といったものの甘美を味わうことができる。”サ バイバル”のための戦略を練る必要がある。人生の再スタートを考える優駿な医療者たちのために、本稿では「医局の正しい撤退の仕方」のススメを説く。医局 に属する先生方の将来に暗い影を落とさぬようアドバイスをしたい。

私は、これまでの職歴において、半年間ほど関連の市中病院に出向し、2年半にわたって英国に留学した経験を持つが、それ以外の期間のほとんどを大学病院で 過ごしてきた。在籍していられたのは、大学病院の環境が真綿のように心地良かったからではない。私が優秀で成功者だったということではさらにない。大学病 院を馴染ませ、ほどよく使いこなし、共依存を繰り返してきたからである。言い換えるならば、上手く利用してきたからである。
大学病院の変遷をずっと見続けてきた私だからこそ、伝えられる知見がきっとあると思っている。

転職、あるいは医局を辞めるための初期動作は、まず”自身の自己固め”である。
「なぜ、自分は医局を辞めるのか?」、このことを徹底的に内観し、自らに語りかけることである。「医局を辞めてまでも実現したい自分の夢や希望が、本当に その形でしか実現し得ないものなのか」ということを奥底まで考える必要がある。己の今後の人生のすべての源であるからして、努々この自己省察の過程を怠っ てはいけない。
抽象的な言い方かもしれないが、願望や欲望といったものは大脳で考えるにしても、最終的な決行に関しては、「魂の声が聞こえるか」というところで判断する。

たとえば、私に寄せられる周囲の期待に、無謀とも思える”作家と議員”とがある。「小鷹先生、いつもつまらないエッセイばかり書いていないで、今度は小説 でも書いてみてくださいよ」とか、「医療のことを勉強して持論を振りまいているなら、県会議員にでもなって仕組みを変えてくださいよ」などと言われること が、ままある。
それは、周囲が面白可笑しく囃したてているだけかもしれないが、こうしてインターネット・メディアに論文を投稿したり、県の医療協議会に出席したりしてい ることを考えれば、私が思想家や映画監督や花屋や黒魔術師やひよこ鑑定士になるよりは、現実味があるのではないかと思う。なぜそうしないかといえば、能力 もさることながら、心の叫びとして聞こえてこないからである。
重要なことは、”真摯な思索”と”魂の納得”である。

さらに、”自己固め”と並行して練り上げる作業は、”タイミングの見極め”についてである。そのためには、”医局の変遷”を理解しておかなければならない。

医局とは、”主任教授の交代を契機に新陳代謝を繰り返す人体器官”のようなものである。脳や脊髄に教授や准教授が君臨し、重要臓器は講師が陣取り、手足には助教がひしめき合い、皮膚だの髪だの爪だのという代謝回転の速い最前線にいるのが研修医である。
だから、医局には栄枯盛衰がある。諸行無常の響きの中で常に流動的に変化している。その時々の流行りと廃りとの中で、医局というものは発展と衰退とを繰り返している。

まず、医局の勢力がもっともボトム化する時期は、紛れもなく主任教授の交代時期である。教授の退官時期が近づくと(たとえば残り2年を切ったあたりか ら)、医局の人事は一気にざわめき立つ。次期教授候補の噂はもちろんのこと、現教授の退官前の記念学会の幹事を任されたり、業績集なるものを作成したりす るなどの引き継ぎのための雑務が増えてくる。
方針の定まらぬうちに入局する新人医師も少なく、ここは現医局員の正念場ともいえる。現在の教授に仕えていた医局員たちも身の振りを考えるようになるが、この時期に辞めることは得策ではない。しばらくは、静観することである。

ここでは論点が惚けるので教授選に関する話題には触れないが、辞めることを考えている医師は、新教授の誕生した後の数年間をよく観察することである。
就任直後の教授は意欲がある。理想とする医局の姿についての青写真を描いている。その結果、ガッツある教授の基には人も集まる。魅力的に映る医局は、確かに何かしらの”ウリ”がある。「教授の世界的権威」、「充実した研修システム」、「ブランド病院へのコネ」などである。
そうした雰囲気に流されて、「何となくこの医局ならやる気を引き出してくれるのではないか」という幻想を抱いて入局する医師も、「これだけ人気があるのだ から、働きやすいだろう」という期待を胸に入局する女医も、中にはいる。さまざまな人種の入り混じった医局は、一気に活気の高騰をみせる。
積極果敢な教授、それに惹かれた野心的だが個性的な中堅医師、流れに感化された真面目だが少し軟弱な若手医師・研修医といった見事なまでのグラデーションに彩られた時代に、医局はもっとも栄耀栄華を極める。

次に待っている作業は、医局の統制である。さまざまな思惑や利害や見通しの調整に入る。”優秀”-”凡庸”、”スペシャリスト”-”ジェネラリスト”、 “男性医師”-”女医”、”平等主義”-”能力主義”、”上昇志向”-”安定志向”などの観念性を持つ人たちを、上手く棲み分ける必要がある。それが巧妙 に行われないと、医局は斜陽に傾く。もともと豊富な人材を抱え、多様な価値観を有する医師の多い医局ほど、その調整には膨大な労力が支払われる。
医局は、何年かに1度登場する、(教授以外の)”秀逸した人望を有する人間”の発揮する、”卓越したマネージメント力による多数の賛同”によって支えられ ている。そういう人材を確保できなかったり、その人物に手厚い擁護を与えなかったりした医局は、どんなに規模が大きかろうが、やがて瓦解する運命にある。

直ぐにご理解いただけたことと思うが、この中でいつ辞めればよいかといえば、当然、最盛期である。「そんな良い時期に」と思うかもしれないが、引き際の美 学を考えるべきである。雰囲気のもっとも良い時期の退職は引き留めも少なく、本気度が伝わりやすい。また、何よりも医局への迷惑が最小限で済む。

辞めるための意志決定と時期とについては、コンセンサスが得られたことと思う。
ここまで到達した結論というのは、感情だけではないので揺らぎようがないし、理屈だけでもないので崩しようもない。ここに至れば”医局撤退”は、8割がた 完遂したようなものである。後は実行あるのみである。が、ここでさらに、実践のために必要な”コツ”について、若干の補足を加える。

辞める動機については、実際のところ「実家の両親の体調不良」か「開業準備」であることが多い。いずれの理由にせよ、周囲の同情と共感とを集める工夫をしておくことが、円満退職を得るための大切な要因となる。
一方、仮にそうであったとしても、「仕事がきついから辞める」、「子供の教育のために転居する」、「結婚したから休職する」、「屋久島で1年くらい暮らし たい」、「北アルプスをテントを持って縦走したい、一度でいいからオーロラを見て犬ゾリを体験したい、それが叶わぬなら、知床の流氷くらいは見たい、それ もだめなら、せめて...(失礼)」というような、遠回しにしてもそういう理由を悟られるような言動は避けるべきである。同期が居れば尚更のこと、逃げの 態度や個人の我欲は快く思われない。

また重要なことは、「現職場を否定的でも肯定的でもなく、ニュートラルな立場で捉えて、態度に示す」ということである。仕事の手を抜いたり、周囲に不満を 漏らしたりする行為は、厳に慎むべきである。残される者の共感を生むことにはけっしてつながらないし、評価が落ちてから辞めたのでは後難を残すこととな る。
徐々に居場所がなくなっていくような喪失感に襲われ、塩漬けのような立場を甘受する前に、ここは8割、いや9割、下手したらこれまで以上の余録を残し、惜しまれつつ辞めるということである。

つまり交渉時に成すべきことは、人事の統括者に対して、「ありのままの熱意を真摯に示す」ということと「作法を遵守する」ということである。「この申し出 を承諾しないと、この者の人生は大きく常軌を逸してしまうであろう」ということを、「己の魂において選択せざるを得なかったという丁寧な態度」で理解して もらうというところにある。すなわち、今回の決断が、冒頭で示した「”サバイバル”のために不可避なこと」であるということに帰結していれば、事を起こす のはそう難しいことではあるまい。
最後に、こうした交渉においては、折衷案として「時期を待ってくれ」とか、「その前にお礼奉公を済ませてからにしてくれ」という代替案を提示される向きもあるが、その落としどころについては各人の判断に任せることとする。

と、ここまで散々述べてきてから言うのも何だが、私の本題は”医局撤退”に関するハウツーを説くものではない。”医局を辞めたくなる動機”を考察する前振 りとして論じてみただけである。人のために働きたいという情熱に溢れた高校生が医学の門を叩き、決して安くはない授業料を負担してもらい、さまざまな難関 を突破して医師免許証を手に入れたとする。
2年間の研修を受けたうえで、どこかの診療科に入局する。出身大学の医局か自分の興味に近い医局を選ぶことが多いが、中には、まったく知らないブランド病 院に飛び込むものもいる。入局すると年功序列の”医局人事”が待っている。まず、大学病院での後期研修が1~2年あり、続いて、一般的には関連病院へと出 向し、2、3年ずつ病院と大学とを往復する。

そんな中で医師になって理解することは、世の中の”理不尽さ”と”不条理さ”とである。突然襲いかかる病気に対して耳慣れない病名を告げ、これからどういう事態が起こるか想像できない中で診療を継続する。それに対して、あまりに無力な人間と医療との限界を痛感する。
「人間として許されることをしているのか」という自問は、普通の暮らしの中ではあまりないことであろう。「自分は正しい」と感じるよりも、「自分は間違っていないか」という検証のために多くの時間を割いて生活することになる。
もちろん、それは医師であれば誰でも考えることであるし、そもそも、毎日毎日何十人もの病人や怪我人と付き合い、月に1度くらいは自分の受け持ち患者が死 ぬ世界においては、「凍てつくツンドラの大地にひまわりの種を撒き続けるような不毛を繰り返すだけ」と言われても仕方がない。

30代半ばともなれば、結婚や家庭、ライフ・スタイルなど、自分自身の将来を考える時間が頻繁におとずれる。勉強と試験とを繰り返し、医師人生を駆け抜 け、落ち着いてきた頃に、「どんなに頑張ってみたところで、皆が教授や大病院の院長になれるわけではない。多くの医師は親の後を継いで開業医になるか、一 般市中病院で勤務医として働くか、そのどちらかである」ということに気付く。
そんなこともわからず大きなリスクを背負って、いつ破滅してしまうかわからない状態で、自分の可能性の限界までかけて働いていくのか? あるいは、医療を 生業として、自分の手の届く範囲の患者に対してのみ誠実な医療を心がける程度で満足して、ひとりの人間として愉しい人生を求めていくのか? 現実的には、 この2つの選択の狭間で、教授や大病院の院長になれない多くの医師らの心は揺れ動いていくのである。
だから、医局が厭になる原因は「やりたいことができずに働かされている」という憤懣感と、「いくら仕事をしても浮かばれない」という虚無感である。ここを上手く切り抜けないことには、将来の医局撤退の意向を払拭することはできない。

それにしても、大学病院はなぜ斯くも医局員をあるがままの状態にしておかないのか? それにはいくつかの要因が考えられるが、ひとつは歪んだ制度のため、もうひとつは潜在的な階層のためである。

大学病院というところは、文科省や厚労省から委託を受けた社会労働の出先機関であるからして、それを批判したり、離奪を促したりするような情報や論拠が、 そう易々と手に入るはずがない。特に支配民を、常に社会的使命感を建前に骨抜きにしながら操作することにかけては半世紀以上にわたり GHQ(General Headquarters)生え抜きの技術を持つ我が国であるからして、”GHQ(Go Home Quickly)”などと自由裁量に振る舞うことを容認するはずがないのである。
勝手に決められた新臨床研修医制度や包括医療制度などは、平たく言えば、医師のみならず病院を市場原理の波に放り込むことであった。病院を弱肉強食の淘汰競争の中に陥れ、その一方で、厚労省の思惑を常に伺わなければ生きていけない存在として規定する。

誰にも保護されずに生存競争を強いられる弱者ほど、官僚からみてコントロールしやすい組織はない。さらに大学は、職務と人員とにおいて、ピラミッド型の上 下関係に整序された組織的構造を有する。狭義にはカトリック教会の教階制を、広義には中世ヨーロッパの封建社会の身分構成より模倣されたヒエラルキーが潜 在的に存在する。
医療現場が心地良くならない理由は、やはり医師のどこかに「オレたちは苦労したのだから、お前たちも苦労するのが当たり前だ」と思っていることである。こ れは、もう確実に言えることである。なぜか私たちは、自分が経験させられた苦痛を他人にも経験させようとする。「自分がつらい思いをしたから、他人には同 じ痛みを味わって欲しくない」と口では言うかもしれないが、実行する人は驚くほど少なく、自分がされて厭だったことは、見事に世代間継承されていくのであ る。
それは、きっと他人に苦労を強いることでしか、自分の価値を認めてもらえる方法を見出せないからではないのか。「このような苦痛に耐えてきたオレはすごいだろう」ということでしか尊敬を得る方法を知らなくなってきているからではないのか。
こういう文章を書いている私だって、うわべは「後輩には苦労をかけたくない」と言っているが、自分の仕事がキャパを超えると、「何でいつまでも自分が頑張らなければならないのだ」と、正直思っている。

大震災の後で考察したことだが、「私たちが生きている社会は一過性のものであって、始まりがあった以上、いずれ終わりがある」という考えを持っていると、 「今あるこの社会が、いずれ、どのような形にせよ、今とは違う社会になるかもしれない」ということに、関心を寄せるようになる。
そういうことを何かにつけて想い出している人の方が、今ある社会がこれからもずっと続くと思っている人よりも、社会が大きな変革期に入ったときに慌てない 可能性が高い。「なるほど、こう変わっていくわけね」と傍観できる人は、「このような変化をきたすなんて」と動揺している人よりも、変革期を生き延びられ る確率が高い。
“生き残る”ということの根源的な意味は、そういう発想なのかもしれない。

映画「Public Enemies」で、伝説のギャング役のジョニー・ディップが殺されずに仕事を続けられる理由として、「オレたちは一流だ」と思っていることと、「今日が 愉しければ明日のことは考えない」と考えていることであった。生き残って仕事を続けるためのひとつの思い込みかもしれないが、刹那的な現代の医療現場と共 通するような気がする。

話しの最後は、生きることに対する尊大的で妄想的な内容になってしまった。
「こんな”撤退のススメ”を語って、小鷹先生は医局を辞めたいのですか?」という質問が当然聞こえてきそうである。ここまで手の内を明かしておいて、辞め るも何もないであろう。「私のようなボンクラで組織不適格者が、結構愉しんで大学病院に勤務している」という現実に一番驚いているのが、何を隠そう当の本 人である。
「(個人にしても医局にしても)最終的に生き残るためには、医局を自由に円滑に辞められる」という体制であった方が、わだかまりも少なく、医療の現場を良くするためには必要なことなのかもしれない。

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