医療ガバナンス学会 (2011年4月24日 06:00)
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がん既往患者の家族
2011年4月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
1.法律や判例の定め
民法第709条は一般不法行為と呼ばれ、賠償責任の基本原則となっています。
それに対して、国家賠償法第1条(国家賠償責任)や製造物責任法第3条(製造物責任)は特殊不法行為と呼ばれ、一般不法行為とは区別されます。
そして、国家賠償法や製造物責任法は特別法なので一般法である民法よりも優先されます。
一般不法行為については、次の全てを原告側が立証しなければなりません。
(1)故意又は過失の存在
(2)損害発生の事実
(3)故意又は過失と損害の因果関係
因果関係の立証については、最高裁判例[1]にて、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠 を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真 実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」とされています。
国家賠償責任については、一般不法行為に加えて「違法に」損害を加えたことを立証する必要があります。
(1)故意又は過失の存在
(2)損害発生の事実
(3)故意又は過失と損害の因果関係
(4)違法性
よって、国家賠償責任は、一般不法行為よりも若干立証が難しくなります。
最高裁判例[2]では「許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるとき」のみ国家賠償責任が認められるとされています。
尚、この判例は、国家賠償法の定めや前述の判例[1]等を踏襲しただけであって、特別に国を保護するような配慮は為されていません。
国家賠償責任は一般不法行為より責任を重くすべきとする考えを持つ人もいるでしょうが、現行法上はそうなっていません。
そして、国に一般不法行為よりも重い責任を背負わせるならば、事前の立法措置で対応すべきです。
事後に法律や判例を後付けして、それ以前の責任を問うのは間違っています。
製造物責任については、一般不法行為の(1)に変えて、製造物の欠陥を立証すれば良いことになっています。
(1)製造物の欠陥
(2)損害発生の事実
(3)製造物の欠陥と損害の因果関係
製造物責任は、製造物の欠陥を立証できれば、故意又は過失が存在しなくても、認められます。
つまり、製造物責任では、結果的に製造物の欠陥が生じていれば、それが誰かの故意や過失であるかどうかは問われません。
よって、製造物責任は、一般不法行為よりもやや立証が容易となります。
尚、解説書[3]によれば、因果関係の立証責任は免除されません。
立法時の議論として、免除すべきとする意見があったものの、参考とした欧米の法律も免除していないこと等の理由により、免除規定は採用されなかったとしています。
大阪地裁判決でも、因果関係の立証責任は原告が負うとしています([4]V-89)。
以上を踏まえると、監督する国と監督される会社の責任が逆転することは十分にあり得ます。
製造物の欠陥が認められ、かつ、その欠陥の発生に故意又は過失がないと認められば、製造物責任だけが認定されて、国家賠償責任が認定されない判決もあり得るのです。
事実、大阪地裁判決はそのような判決になりました。
2.前提事実と判決の矛盾
大阪、東京の両地裁とも、イレッサ承認当時に、間質性肺炎の副作用が死に至る副作用である”可能性”を認識できたとしています。
その一方で、発生頻度(何人中何人が発症するか)や発症傾向(予後がどれだけ悪いか)を正確に把握することは困難だったとも認定しています([4]V-5,6、[5]III-137,138)。
つまり、どちらの判決においても、承認当時、イレッサの間質性肺炎は、死ぬことが”確実”な副作用だとは分からなかったが、死ぬことも”あるかもしれない”副作用だと分かっていたということです。
東京地裁判決では「重大な副作用」欄の記載すべき事項は「死亡又は日常生活に支障をきたす程度の永続的な機能不全に陥るおそれのあるもの」であると認定しています([5]III-144)。
そこで、東京地裁判決は「致死性のあるもののみが記載されることとはされていないこと」として、「致死的となり得る重篤なものとして発症する可能性があるという危険性を読み取ることは必ずしも容易ではなかった」としています([5]IIII-150)。
しかし、これは、単なる言葉遊びに過ぎない幼稚な論理です。
「永続的な機能不全」は後遺障害が残ることを意味し、それが「日常生活に支障をきたす程度」であれば、かなり重度の後遺障害になります。
患者の立場に立てば、死亡も重度後遺障害も甲乙つけ難いほどの重大な不利益であって、どちらも、絶対に避けるべき副作用です。
だから、重度後遺障害のおそれのある副作用であれば、当然、死亡のおそれのある副作用と同程度に警戒する必要があります。
よって、「重大な副作用」欄に記載すれば、死亡のおそれのある副作用と同程度に警戒すべき副作用だと警告したことになります。
以上まとめると、両地裁の判決の前提事実は、次のとおりです。
(1)イレッサの間質性肺炎は、死ぬことも”あるかもしれない”副作用だとは分かっていた。
(2)「重大な副作用」欄の記載事項は、重度後遺障害のおそれのある副作用以上の副作用であった。
これら前提事実によれば、「重大な副作用」欄に記載すれば、少なくとも重度後遺障害のおそれのある副作用であることは警告できます。
そして、それならば、死亡のおそれのある副作用と同程度に警戒すべきだったことも十分に示せているはずです。
承認当時、イレッサの間質性肺炎は死亡のおそれのある副作用だとの認識だったので、死亡のおそれのある副作用と同程度に警戒すべき副作用だと警告できれば、国の認識とほぼ同じ内容の警告を発したことになります。
よって、地裁判決の前提事実からは、間質性肺炎を「重大な副作用」欄に記載したイレッサの第1版添付文書の危険性の警告が不十分とは言えません。
もちろん、道義的には、第1版添付文書の書き方よりも強い警告を発しても間違いではなかったとは言えるでしょう。
しかし、地裁判決の前提事実では、法的責任を問うほどの過失があったとする根拠が示されていません。
3.「重大な副作用」欄の相対比較
大阪地裁判決では、間質性肺炎が下痢、皮膚障害、肝機能障害の後に書かれていたために「重要とは考えられないものと解釈されるおそれのある記載であった」としています([4]V-114)。
しかし、イレッサの承認当時、その3つの副作用は、いずれも、死亡のおそれのある副作用でした。
それは、大阪地裁が承認当時にその3つの副作用の死亡例が確認されているとしていることからも明らかです([4]V-114)。
死亡のおそれのある副作用より後に書かれていて、どうして、間質性肺炎は死亡のおそれがないと誤解される余地があるのでしょうか。
大阪、東京の両地裁とも、イレッサ承認当時に、発生頻度(何人中何人が発症するか)や発症傾向(予後がどれだけ悪いか)を正確に把握することは困難だったと認定していることは既に述べたとおりです
確かに、間質性肺炎は死亡のおそれのある副作用でした。
と同時に、他の3つの副作用も死亡のおそれのある副作用でした。
(1)下痢が多大な副作用死被害をもたらしたかもしれない。
(2)皮膚障害が多大な副作用死被害をもたらしたかもしれない。
(3)肝機能障害が多大な副作用死被害をもたらしたかもしれない。
イレッサ承認当時には、(1)も(2)も(3)も、間質性肺炎と同程度には起きる可能性のある”薬害”だったのです。
蓋を開けてみれば、間質性肺炎だけが多大な副作用死被害をもたらし、(1)も(2)も(3)も現実には起きていません。
しかし、それは、実際に承認して沢山の使用実績を積み重ね後に分かった結果論です。
大阪、東京の両地裁のどちらにおいても、イレッサの承認当時に、間質性肺炎が他の3つの副作用よりも特別危険だと判断できた医学的根拠は示されていません。
それなのに、どうして、承認当時に、間質性肺炎を1番目に書くべきだったと言えるのしょうか。
どうして、承認当時に、間質性肺炎だけを「警告」欄に書くべきだったと言えるのでしょうか。
間質性肺炎が他の3つの副作用よりも特別危険だと分かったのは、後から分かったことです。
タイムマシンでもなければ、後から分かったことを、承認当時の添付文書に書くことはできません。
4.医師の責任
原告最終準備書面によれば、医師の1人は「それほど大した副作用はないと思いますよ」としか説明を行なわず、間質性肺炎に対して特別な経過観察も行なわず、治療の準備等も行なっていません([6]第3分冊5頁)。
その後、この医師の患者は、緊急入院の14日後に亡くなっています([6]第3分冊6頁)。
レントゲン上で肺に影が見られたり、咳や呼吸困難などの肺障害特有の症状が現れています。
添付文書の「重大な副作用」欄を読めば、これらの症状が、間質性肺炎である可能性にはすぐに気づけたでしょう。
しかし、原告最終準備書面には、この医師が間質性肺炎の治療を行なった旨の具体的記載は一切ありません。
この医師は、緊急入院から2週間もの間、添付文書の「重大な副作用」欄に記載された副作用を全く疑いもしなかったのでしょうか。
そして、間質性肺炎の治療を全く行なわなかったのでしょうか。
別の医師は、過去に間質性肺炎に罹患した経験のある患者に対して([6]第3分冊27頁)、イレッサの間質性肺炎の危険性を説明しておらず、特別な経過観察も行なわず、治療の準備等も行なっていません([6]第3分冊29頁)。
この患者の事例においても、原告最終準備書面には、この医師が間質性肺炎の治療を行なった旨の具体的記載は一切ありません。
やはり、この患者の事例でも、間質性肺炎の治療を全く行なわなかったのでしょうか。
前述のとおり、「重大な副作用」欄に記載された副作用は、少なくとも重度後遺障害のおそれのある副作用であり、これは安易に軽視して良い副作用ではないはずです。
しかし、これらの医師は、その副作用の危険性を患者に説明せず、警戒も全く行なっていません。
最高裁判例[7]では、医療慣行に従った医療行為というだけでは注意義務として不十分とし、合理的理由なく添付文書に反したことによって起こった医療事故は医師の過失が推定されるとしています。
この判例によれば、仮に、添付文書の記載を軽視したことが当時の医療慣行に照らして妥当だったとしても、それは医師としての注意義務を果たしたことにはならないとされているのです。
また、この判例によれば、合理的理由なく添付文書の記載を軽視し、重度後遺障害のおそれのある副作用としての適切な対応を怠ったのであれば、医師としての当然の注意義務に違反したことになります、
原告最終準備書面からは、前述2例において添付文書を軽視した合理的理由は全く読み取れません。
5.損害との因果関係
東京地裁判決では、「添付文書の第1版に致死的となる可能性のあることなどが記載されていれば,イレッサの服用を開始してこれを継続することはなく,イレッサによる間質性肺炎の発症ないし憎悪により死亡することはなかったものと認められる」としています。
果たして、本当にそうでしょうか。
第1項で説明したとおり、法的責任を問うには、過失(又は製造物の欠陥)と損害の因果関係の立証が必要です。
しかし、原告最終準備書面には、イレッサ投与と間質性肺炎発症の因果関係しか書かれてなく、過失(又は製造物の欠陥)と損害の因果関係についての主張は全く見当たりません。
残念ながら、両地裁の因果関係の認定部分の詳細判決文を入手できなかったので、どのように因果関係を認定したかは不明です。
しかし、原告が因果関係を立証しようとしていないなら、立証責任が原告側にあるのだから、訴訟の当事者が用意した証拠以外の証拠はないと思われます。
そこで、以下、公開されている裁判情報の範囲において因果関係を検証してみましょう。
前述2例の医師は、最高裁判例[7]にて判示された医師の注意義務に従わず、添付文書の「重大な副作用」欄を軽視しています。
そのような注意義務違反を犯す医師が、「警告」欄に記載したからと言って、記載事項を重視するようになるでしょうか。
確かに、緊急安全性情報が発出された後に副作用死数は著しく減少しており、これは判決も認める事実です([5]III-152)。
しかし、実際に副作用死数が減少する前には、次の3つの出来事があり、どれが直接的な原因となっているかまでは分かりません。
(1)添付文書の改訂(第3版)
(2)緊急安全性情報の発出
(3)マスコミ報道
(2)や(3)が原因である可能性は十分にあり、それを否定する根拠もないので、(1)だけで副作用死数が著しく減少するとは断定できません。
実際に起きたことを見ても、(2)も(3)もない(1)だけで副作用死数を減少させたわけではないので、それだけでは(1)が主要な原因だとまでは言えません。
そして、前述2例に限れば、医師の重大な注意義務違反があるため、(1)だけでは被害を防げなかったと考えるだけの強い疑いがあります。
このように東京地裁判決の認定した因果関係については、常識的に考えて疑問点が多々あり、その疑問を解消する根拠は全く示されていません。
最高裁判例[1]によれば、通常人が疑を差し挟む余地があれば「高度の蓋然性」を証明したとは言えない、つまり、因果関係の立証は不十分とされています。
よって、本件訴訟における因果関係が立証されないのだから、被告の過失責任も製造物責任も認められる余地はありません。
さらに、別の医師の事例では、治療開始時は2003年1月29日です([6]第3分冊15頁)。
その頃、添付文書は第4版であり、間質性肺炎が添付文書の警告欄に記載され、「投与開始後4週間は入院またはそれに準ずる管理の下で、間質性肺炎等の重篤 な副作用発現に関する観察を十分に行うこと」「急性肺障害、間質性肺炎等が疑われた場合には、直ちに本剤による治療を中止し、ステロイド治療等の適切な処 置を行うこと」とも書かれていました。
大阪、東京の両地裁とも、間質性肺炎が「警告」欄に記載された第3版以降の添付文書には「指示・警告上の欠陥」がないとしています。
しかし、この医師は、3日後には外泊許可を出し、患者はドライブにも出かけています([6]第3分冊15頁)。
ドライブに出かけていても「入院またはそれに準ずる管理の下」と言えるのでしょうか。
そして、その後、肺炎治療を開始した([6]第3分冊15頁)にも関わらず、イレッサの投与中止とステロイド・パルス療法はその後3日経過以後に行なわれています([6]第3分冊16頁)。
肺炎治療を開始した段階で、間質性肺炎の可能性を疑うべきだったのではないでしょうか。
そして、即座にイレッサの投与中止とステロイド・パルス療法を行なっていれば、一命を取り留めた可能性があるのではないでしょうか。
「警告」欄に記載すれば医師が記載事項を重視すると言うなら、一体、この事例は何なのでしょうか。
その他、大阪地裁でも、添付文書が第3版以降に改訂された後にイレッサ投与された患者の死亡例が訴訟対象とされています。
「指示・警告上の欠陥」がない第3版以降の添付文書においても間質性肺炎が軽視されて副作用死被害が発生するのならば、「指示・警告上の欠陥」がなくなれば被害が防げるとする論理は成立しません。
6.薬害防止のためにすべきこと
原告最終準備書面の2事例において医師が「重大な副作用」欄を軽視したのは、その記載事項が大げさだとその医師が認識していたからではないでしょうか。
そして、不確実な情報を不確実なまま「警告」欄に記載すれば、「重大な副作用」欄を軽視した医師は「警告」欄の記載も大げさだと認識しかねないのではないでしょうか。
最悪の場合、「重大な副作用」欄を軽視した医師が、確実な情報に基づいた警告さえも軽視して、その結果、多大な副作用死被害を発生しかねないのではないでしょうか。
事実、原告最終準備書面のうち2003年1月からの投与事例では、そのようなことが起きたのではないでしょうか。
イソップ寓話において、少年は「狼が来た」と嘘をつきました。
村人も、最初のうちは少年の嘘を真に受けて、狼退治に駆けつけてきました。
しかし、少年の嘘に慣れた村人達は次第に少年の相手をしなくなりました。
そして、本当に狼が来た時にも少年は「狼が来た」と叫びましたが、誰からも相手されませんでした。
不確実なままの大げさな警告では、イソップ寓話「狼少年」を現実化するだけではないのでしょうか。
「重大な副作用」欄の記載が不十分であると言うならば、それ以上の警告を記載する必要があります。
しかし、危険性が不確実なまま大げさな記載をすれば、イソップ寓話「狼少年」と同様に、確実な情報に基づいた警告まで軽視されかねません。
両地裁の要求と「狼少年」の現実化防止を両立するには、情報が確実になるまで承認を延期するしかありません。
死ぬことも”あるかもしれない”副作用が明らかになった場合は、それが、死ぬことが”確実”な副作用なのか、余程のことがなければ死なない副作用なのか、どちらかを見極める必要があります。
それを見極めるまで承認を遅らせることになれば、死ぬ可能性のある副作用を持つ多くの新規医薬品の承認は大幅に遅れます。
重い副作用を伴っていても承認する必要がある医薬品は、未だに確実な治療法が確立されていない治療が難しい疾病の医薬品です。
そうした医療上の必要性の高い医薬品の承認を遅らせることが、多くの患者達にとって正しい選択でしょうか。
薬害防止のために本当に必要なことは、狼少年的な警告ではありません。
本当に必要な対策は「不確実であっても危険性を示唆する情報は重視すべきである」と使用者に正しく認識させることです。
それが出来ていれば、医師が「重大な副作用」欄を軽視することはなかったはずで、副作用死が多発することもなかったでしょう。
イレッサ”薬害”の唯一にして最大の教訓は、「重大な副作用」欄を軽視する医師によっても”薬害”が起きることを示したことです。
その教訓を活かすならば、「重大な副作用」欄を重視させるように、医師の再教育等の対策をとるべきではないでしょうか。
7.マスコミ報道
厚生労働省による声明文の下書きが問題となりましたが、マスコミの偏向報道の方が問題ではないでしょうか。
マスコミは、原告の主張を何ら検証せずにそのまま事実であるかのように報道しています。
たとえば、添付文書の記載内容だけが主要な争点であって、イレッサの有用性等は争点でないかのように報じられています。
しかし、両地裁の判決文を読めば分かるとおり、イレッサの有用性等も主要な争点として争われています。
最終準備書面でも、原告は、副作用が強いだけでなく効果もないからイレッサの有用性はないとしています([6]第1分冊389頁,第2分冊229頁)。
そして、両地裁とも、その原告の主張を否定し、イレッサの有用性が認められるとしています。
また、原告は、患者にも分かるように添付文書等を記載すべきと主張していますが、両地裁とも、医師が分かるように書けば良いとしています([4]V-103,104[5]III-142)。
その他、マスコミは報じませんが、本件訴訟の主要な争点における原告の主張のほとんどを両地裁とも否定しています。
また、大阪地裁判決について、あたかも、国がクロロキン判例[2]に守られたかのように報じられていますが、これも事実誤認です。
第1項で説明したとおり、クロロキン判例は、従来の法令や判例[1]を踏襲しただけに過ぎず、特別に国を保護する判例にはなっていません。
そして、これも第1項で説明したとおり、責任逆転判決が出た本当の理由は、製造物責任の方が国家賠償責任よりも立証が容易だからです。
両地裁とも、製造物の欠陥は認定しましたが、過失については判断が分かれました。
過失がなければ国家賠償責任は認められないけれど、製品に欠陥があれば過失がなくても製造物責任は認められます。
それが、両地裁の判断の差になったのであって、国がクロロキン判例に守られたわけではありません。
これらの事実誤認は、全て、原告の主張そのままです。
このような事実に反する報道が繰り返されている原因は、マスコミが、自身で判決文や法律や判例を検証していないからでしょう。
厚生労働省とマスコミのどちらの「下書き」問題が社会への悪影響が大きいか、マスコミは自らの社会的責任を省みるべきでしょう。
8.患者として
がん患者や家族達も、この件について、表立って物を言うべきだと思います。
自分達の生死を左右する問題なのだから、原告達に遠慮する必要はありません。
そもそも、患者や遺族に配慮すべきであるなら、当然、原告達もそうすべきはずです。
しかし、原告達は、日本中の難病患者達に不利益をもたらす訴訟戦術を用いています。
原告がそうした訴訟戦術を用いることについて、日本中の難病患者達に一度でも相談したでしょうか。
原告は、全ての患者のために闘っているかのように主張していますが、日本の医療を後退させろと誰が頼んだのでしょうか。
これら原告の行為が許されるのならば、当然、患者や家族が国や製薬会社の敗訴判決を批判することも許されるはずです。
もちろん、原告が当事者間の問題として完結する訴訟戦術を取るなら、第三者が訴訟に対して口出しすることは越権行為です。
また、同じ患者や家族として原告の立場に同情できますし、やり場のない悲しみや怒りがあることも理解できるので、手段を選ばない訴訟戦術も止むを得ないものと思います。
しかし、原告が第三者に不利益をもたらす訴訟戦術を採用している以上、当然、その不利益を被る者にも意見を言う権利はあるはずです。
また、マスコミが真実から目を背け、遺族感情を悪用して、事件をセンセーショナルに報じようとする姿勢については、怒りを禁じ得ません。
このままでは、日本中の難病患者達の存在が都合良く利用された挙げ句、治療の道が閉ざされることになりかねません。
難病患者達が治療を受ける正当な権利を守るため、大きな声を上げて物を言いましょう。
[1]東大病院ルンバール事件最高裁判例(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319122014039333.pdf)
[2]クロロキン事件最高裁判例(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319124052250449.pdf)
「厚生大臣が特定の医薬品を日本薬局方に収載し、又はその製造の承認をした場合において、その時点における医学的、薬学的知見の下で、当該医薬品がその副 作用を考慮してもなお有用性を肯定し得るときは、厚生大臣の薬局方収載等の行為は、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けることはないというべきで ある。」
「医薬品の副作用による被害が発生した場合であっても、厚生大臣が当該医薬品の副作用による被害の発生を防止するために前記の各権限を行使しなかったこと が直ちに国家賠償法一条一項の適用上違法と評価されるものではなく、副作用を含めた当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、 前記のような薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、右権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められる ときは、その不行使は、副作用による被害を受けた者との関係において同項の適用上違法となるものと解するのが相当である。」
[3]製造物責任法の逐条解説 – 北川俊光(https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/2022/4/KJ00000726911-00001.pdf)
[4]大阪地裁判決第5分冊
[5]東京地裁判決第3分冊
[6]東京イレッサ訴訟原告最終準備書面
[7]平成4(オ)251 損害賠償 平成8年01月23日 最高裁判所第三小法廷(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319122957127226.pdf)
「医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」
「医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである」