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Vol.25224 野生のスポーツ哲学―いかにして自身を高め、人を育てるか【前編】

医療ガバナンス学会 (2025年11月26日 08:00)


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順天堂大学スポーツ健康科学部 先任准教授
室伏由佳

2025年11月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2025年10月24日、医療ガバナンス研究所(東京都港区)で開催された「プラチナ勉強会」で、上昌広理事長のご厚意により、室伏重信氏の講演が行われました。

勉強会のテーマは「野生のスポーツ哲学―いかにして自身を高め、人を育てるか」。80歳を迎えた今もなお現場に立ち続ける室伏氏の言葉から、競技者・指導者としての生涯にわたる探究の軌跡と哲学が語られました。

当日は、室伏氏の長女である筆者がファシリテーターを務めました。全3回に分けてレポートします。

■指導者なしで才能を開花させた「限界を超える努力と続ける力」

室伏重信氏は、陸上競技男子ハンマー投で4度のオリンピック代表、アジア大会5連覇を果たし、41歳の誕生日2日前まで現役選手として活動しました。

その原点は、「限界を超える努力と続ける力」にあった―そう語る室伏氏の人生は、実に興味深い軌跡をたどっています。

中学時代、室伏氏が通っていた学校には陸上部がありませんでした。しかし、ローマオリンピックをテレビで見て陸上競技に惹かれ、静岡県沼津での合同練習会に参加することになります。わずか2週間程度の練習期間で、初めて陸上競技に出場した氏は、砲丸投で2位、三段跳では大会新記録で優勝。当時、身長178センチ、体重77~78キロという体格で、12m35という記録を残しています。

この才能に目をつけた大相撲の時津風部屋から勧誘を受けた室伏氏でしたが、最終的に陸上の道を選択します。高校2年でハンマー投を始めると、すぐに頭角を現しました。インターハイで優勝し、高校3年では砲丸投、円盤投、ハンマー投の3種目で優勝しています。

この頃まだ、室伏氏には専門のハンマー投コーチがいませんでした。指導者なしの環境から、自身の並外れた素質によって短期間で成功を収めた―それが室伏重信の特異な経歴の始まりでした。

「当時はめちゃくちゃ練習すればみんな強くなると思っていました。また当時の多くの指導者の考え方もそうでした」(室伏氏)

転機が訪れたのは、社会人3年目のこと。スランプが3年間続いていました。

当時の室伏氏は、1日にハンマーを300本投げるという猛練習をしていました。しかし結果的に記録はどんどん落ちていきました。精神論や体力アップだけでは強くなれない、と痛感することになったのです。

■猛練習の失敗から「技術」の重要性へ

「猛練習を続けていく中、結果として記録はどんどん落ちていきました。そこから考えた訳です。こんなことやっていてはダメだなと」

この失敗経験から、室伏氏が向き合ったのがでした。

ニュートンの運動3法則といった力学を学び、自身の投擲フォームを8㎜カメラで撮影し、一日に十数時間映像を見て分析することを始めたのです。膝から下、腰の動き、視線など、部分的に2時間ずつ見るなど、徹底的な研究が続きました。

「ハンマー投というスポーツは、私にとってある意味では小宇宙です。ただ単にハンマーを投げていては強くなりません。技術種目なんですよ。ですから、精神的にいくら強くてもこれはダメ。あと体力もいくらあってもダメです」

徹底した技術研究とそれに基づく練習に専念した室伏氏は、ミュンヘンオリンピック(26歳頃)、モントリオールオリンピック(30歳)、モスクワオリンピック(34歳)、3大会連続出場を果たしました。

実はその度に、引退が頭をよぎったそうです。しかし、常に上を目指す探求心と、中京大学での練習環境に恵まれたことで競技を続行。ロサンゼルスオリンピック、そしてアジア大会まで競技を続けることになったのです。

■練習への向き合い方―「気づく力」と飽きることのない探求

室伏氏が失敗経験から得た学びは、「気づく力」でした。

気づく力は、壁にぶつかった時に「これではダメだ」と考え、原因を深く探求する過程で生まれます。

「自分自身で問題点や欠点を探すのは大事なことです。気づきを得て、それをどうやって補って、その問題点を解決しそれに実践に活かすか、ということなんです」

ただ闇雲にハンマーを投げるのでなく、先を読んでいくイメージを持つことの重要性に「気づいた」室伏氏は、目をつぶってハンマーを回して投げる練習を取り入れました。

単なるルーティンワークではなく、毎回の練習に創意工夫を加え、新たな発見を求める。物事を一つの角度からだけでなく、全体を見てマクロ的な視点で捉える。感覚的にできないことは、様々なドリルや方法を試して後天的に「開発」する。歩き方のような日常的な動作にさえ、改善のヒントがあります。

勉強会の質疑応答の中で、「練習に飽きたことはないのですか?」と尋ねられた時、室伏氏の答えは明快でした。「『次は何をしようか』と常に考えていたため、練習に飽きたことはない」と。

この継続的な探求心こそが、40年以上にわたる長い競技人生を支えた原動力でした。常に向上心を持つ姿勢が、室伏氏を成長させ続けました。

■家系と探究心の源―運動と教育の家系

現在80歳になった室伏氏は、今もアイデアが湧き出てきて、探求を続けているといいます。その探求心は、指導の現場でも貫かれています。

徹底した探究姿勢は、どこから生まれたのか。室伏氏の成長の背景にある家系と環境を知ることで、その源泉が見えてきます。

室伏氏の父は、講道館で四段の段位を獲得した柔道家でもありました。体格は大きい方ではなかったそうですが、一気に段位を上げたと言われています。母は陸上競技者で、短距離と砲丸投で活躍。明治神宮競技大会に出場し、静岡県の県大会では複数メダルを獲得した人物でした(母のメダルは終戦目前、戦争で鉄砲玉にするために全て回収されたと、叔母から聞かされたそうです)。

祖母は女学校の教員をしていました。親戚筋でも教員歴がある方が多くいます。室伏氏自身もそうですが、子供たち(広治氏、由佳氏)も大学の教員であり、教育研究職に就いています。

つまり、室伏氏の家系は運動をする家系であり、同時に教員の家系でもあるのです。才能だけではなく、環境が人格形成に影響を与えたことが示唆されます。探究心の強い家系における生育が、室伏氏の「探求」という人生の軸を形づくったのではないでしょうか。

―【中編】に続く―

 

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