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Vol.25225 野生のスポーツ哲学―いかにして自身を高め、人を育てるか【中編】

医療ガバナンス学会 (2025年11月27日 08:00)


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順天堂大学スポーツ健康科学部先任准教授
室伏由佳

2025年11月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

80歳を迎えた室伏重信氏は現在、指導現場に立っています。選手の育成に向き合う中で、室伏氏が感じてきた指導の面白さは何か。それは選手自身が気づいていない問題点を発見し、それを解決する手助けをすることにあります。人間は、自分自身の問題点や欠点に気づきにくいものです。指導者の役割は、そこにあります。

2025年10月24日、医療ガバナンス研究所(東京都港区)「プラチナ勉強会」で室伏重信氏が講演し、長女である筆者がファシリテーターを務めました。レポート中編です。

■指導の核心―選手の欠点を発見し、多角的に解決する

「指導の面白さは、選手の欠けている点を見つけ、それを補い、問題を解決し、実践に活かすプロセスにある」と室伏氏。

この過程は囲碁で最善手を探すのに似ています。マクロ的な視点や力学的な観点から問題点を探す必要がありますが、しかし同時に、指導者は選手の感覚に入り込む必要があります。それは非常に難しいことです。なぜなら、個々の選手で感覚は異なるからです。

指導の中で重要な役割を果たすのが、「視点の転換」です。

室伏氏は強調します。「『この方向からだけ』を見ていてはダメ。ちょっと角度を変えてみる。この角度の変えた見方が非常に重要なんです」

固定観念に囚われず、物事を多角的に見ることが成長の鍵となります。選手も指導者も、別の角度から物事を見つめ直すことで、新たな発見が生まれるのです。

選手は「自分の競技はこういうものだ」という固定観念に陥りやすく、一つの方向からしか見ていないことが多いのです。指導者は、選手に別の方向から見せるように考え方を変えさせることが面白く、また重要でもあります。

ただし、新しい視点を得ても、それを体全体で機能させるには非常に時間がかかることも理解する必要があります。

■「開発」―選手が持たない感覚を習得させる

選手が感覚的に理解できない動きを習得させるには、指導者の工夫が不可欠です。室伏氏はこのプロセスを「開発」と呼びました。

「選手が持っていない『感覚』を身につけさせるため、指導者がアイデアを出し、新たな練習方法、例えばタイミング動作などを向上させるようなドリルワークを、『開発』する必要がある」

単なるリハビリではなく、新しい能力を創造するプロセス。ボールなど様々な道具を使ったり、新たなドリルを考案したりして、選手が持っていない「感覚」を身につけさせるのです。

この「開発」という概念は、競技に限定されるものではありません。日常動作の効率化も含まれるのです。実際、室伏氏はハンマー投だけでなく、生活習慣や歩き方にも「開発」の対象を広げています。室伏氏は自身の歩き方を効率の良いものに「開発」し直した経験があり、それには1年ほどかかったと語りました。

近年活躍する選手に目を向けると、この「開発」が目覚ましいアスリートがいます。2025年の東京世界陸上で、男子ハンマー投で大会新記録を出し優勝した23歳のイーサン・カッツバーグ選手(カナダ)です。ハンマー投は、後方に回転し、決まった角度内(34.92度)の中に投擲を行うという難易度の高いスキルが求められ、陸上競技の中でも最も難しい種目の1つです。それゆえ、この競技特性に見合った「開発」が重要であり、彼が開発の結果として天才的な感覚を持っていることは間違いありません。

■50歳以上も年の離れた選手を指導する「ハンマーの仙人」

現在80歳の室伏氏は、約6年間にわたって福田翔大選手を指導し、世界陸上初出場に導きました。福田選手は室伏氏から50歳以上も年齢が離れています。

若い世代を指導する際は、コミュニケーションツールを活用しつつも、一つのことをぶれずに伝え続ける一貫性が信頼関係を築く上で重要になります。LINEのようなデジタルツールでスケジュール管理やフォームの動画をやり取りしながら、一つのことについて筋を通して一貫して伝え続けるのです。

この指導スタイルは世代の壁を超えて通じ、福田選手からは「宇宙一ハンマーが好きな人」「ハンマーの仙人」と尊敬されるようになりました。

福田選手は6月の日本選手権で歴代3位の記録を出し、喜びのあまり試合中に客席の室伏氏のもとへ駆け寄ったと言います。室伏氏は、「福田選手をオリンピックに出させたいという気持ちが、心房細動や脊柱管狭窄といった自身の体調の問題を抱えながらも、指導を続ける活力になっている」と語りました。

室伏氏は、自身の記録は75m96ですが、84m86の記録を持つ息子を前にしても、自分の指導力のほうが上だと考えています。競技に対する深い理解、指導者の自信と責任感をもって、トップ選手に対し、より高い見地から選手の成長を促すことができる。それが指導者としての使命であり自負なのです。「考え方が上だからこそ、選手に足りない部分を的確に指導できる」と室伏氏は言います。

■一貫した哲学―「心技体調」のバランスを求めて

講演の中で室伏氏が繰り返し強調したのが、「心技体調」という4つの要素のバランスの重要性です。

心、技術、身体、コンディショニング。

自身の競技生活でも、これらを絶えず考えながら記録を向上させていくプロセスが、非常に面白かったそうです。

指導者としても、心の波がある選手や特性を持つ学生選手も指導してきた室伏氏は、一人ひとりに応じた指導方法を持っています。

例えば、怠惰な態度のトップアスリートは集中させるために厳しく指導する一方、心の波がある子には「実家に帰ってリフレッシュしておいで」と声をかけるのです。メンタルが不安定な選手には絶対に無理をさせません。このアプローチの違いは、選手の特性と状態を深く理解する中から生まれるものです。

「記録の高い低いにかかわらず、人を指導する姿勢は変わらない」と室伏氏。これこそが指導者としての基本姿勢です。選手の成績ではなく、その人自身を見つめ、その人にとって何が必要かを考える。それが真の指導ではないでしょうか。

―【後編】に続く―

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