
医療ガバナンス学会 (2025年11月28日 08:00)
順天堂大学スポーツ健康科学部先任准教授
室伏由佳
2025年11月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2025年10月24日、医療ガバナンス研究所(東京都港区)「プラチナ勉強会」で室伏重信氏が講演し、長女である筆者がファシリテーターを務めました。レポート後編です。
■体力衰退期での工夫―ターンの変更と技術面の追求
39歳でなお自らの日本記録を更新し(75m96、1998年に息子・室伏広治に破られるまで14年間日本一を維持)、41歳の2日前まで現役を続けた室伏重信氏。選手としての年齢が上がっても、目標は常に自身の記録を更新することでした。
そんな室伏氏が体力の衰えを感じ始めたのも、40歳に近づいた頃でした。室伏氏は、1976年モントリオールオリンピックでの投擲映像を視聴しながら、「体力の衰えを技術で補う」という当時の選択を振り返りました。
「体力的な面は40歳近くなるともう伸ばすということは考えられない。このため技術面でさらなる効率性を目指した動きを身につけていった」
ここまで来て、ターンを3回転から4回転に変更しました。(現在の主流は4回転投法ですが、当時は選手のスタイルなどで3回転、稀に5回転投法の者もいました)
フットワークをつかって、4回転で「タンタンタンタン」と徐々に速くなる特有のリズムを刻みながら体を動かし、ハンマーを導きます。記録を更新するためには、さらに速いリズムに変える必要がありますが、失敗も多くなります。より高い技術を要求されるのです。
ハンマー投げに限らず、スポーツ実践ではリズム感が重要になります。ただしリズム変化への対応は、年齢を重ねるにつれ、自身の体力とも相談しながら、より計画的で戦略的な対応が求められるようになる、ということです。
やはり探究心です。尽きない探求心があったからこそ、75m96という記録は今もなかなか他の選手に破られないのです。(現在も日本歴代2位)
■年齢に伴う練習の調整―「疲労度」を基準に管理
年齢を重ねた選手の練習についても、室伏氏は実践的な指標を示しました。
練習を止める基準は「疲労度」です。
「年齢とともに疲労が抜けにくくなり、次の練習に影響を及ぼす。無理なトレーニングは思考力を鈍らせる原因となる」
年齢が高いベテラン選手は「疲労度」を基準に練習を管理すべきという室伏氏の指摘は、単なる体力管理ではなく、思考力を維持し、良いパフォーマンスを保つための戦略なのです。
30歳を過ぎて疲労回復が遅くなったと感じてからは、練習量を6~7割に抑えることでコンディションを調整し、翌日に疲れを残さないようにしました。それによって長く選手として活躍することができたと述べています。
35歳を過ぎると、練習時間を1日3時間以内と決めていました。自分の体を常に知っておくことが不可欠なのです。
■「無駄に生きてはいけない」―人生の遠回りと学び
室伏氏の著書『野性のスポーツ哲学「ネアンデルタール人」はこう考える』(集英社新書)の最後は、「無駄に生きてはいけない」という言葉で締めくくられています。
人間は蛇行しながら生きており、大なり小なり不要なことをしてしまうことがあります。遠回りをしないと気づけないこともあります。しかし達観した人から見ると、本当に無駄と考えられる部分もある。
「『開発』に必要な無駄と、本当に不要な無駄がある」
人生の遠回りは学びのために必要なこともある。その一方で、成功している世界の選手は、余計なことをしない傾向にあります。一見矛盾した二つの真実を、室伏氏は経験を通じて理解しているのです。
■最後に:若い世代への期待―5年後、10年後の自分
講演の最後に、室伏氏から若い世代への期待が語られました。
「自己研鑽と開発は年齢を問わず楽しめるものです。若い人たちには、5年先、10年先の自分の姿を思い描いてほしい」
先を読んでいくイメージを持つこと。一つひとつがうまくいくかどうかわかりませんが、何度も積み重ねることが大切なのです。
「心技体調」を絶えず考えながら、自分の気力を上げていくためにどうしていくか。それが非常に面白いというのが室伏氏の信念です。
80歳を迎えた今も現場に立ち続ける室伏重信。その言葉と思想は、競技者や指導者にとってだけでなく、人生を歩む私たちすべてにとって、重要な示唆を与えてくれます。
「無駄に生きてはいけない」という言葉の背景には、限界を超える努力と続ける力、そして何度も壁にぶつかり、その中から気づく力を磨く、という生涯にわたる探求があります。
それは、ハンマー投という小宇宙の中だけに限定されるものではなく、私たち一人一人の人生における普遍的な問いかけなのではないでしょうか。