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Vol.26030 大阪地検特捜部長 OBたちで結成 生コン経営者の弁護団(1)

医療ガバナンス学会 (2026年2月19日 08:00)


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編集長  渡辺周

2026年2月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

逮捕者数延べ89人。

安倍政権下の2018年から労働組合「関西生コン支部」を標的に、空前の刑事弾圧が始まった。

労組活動は憲法28条で保障されている。

この弾圧を仕掛けたのは誰なのか。

生コン会社、警察、検察、政治家、大企業、暴力団関係者の思惑が交錯する中、「悪党」たちが暗躍していた。

ストライキが「威力業務妨害」に644日。

湯川裕司が2018年8月28日、45歳の時に逮捕されてから勾留された期間だ。勾留とは、罪に問われている人物の身柄を、警察署の留置場や拘置所で拘束することをいう。

本来、証拠隠滅や逃亡のおそれがない場合は勾留してはならない。有罪が確定しない限り、「推定無罪」の原則があるからだ。

ところが日本の刑事司法では、罪を認めない限り、勾留を続ける慣行がある。自白を引き出す意図が検察官にあるからだ。これを「人質司法」といい、数々の冤罪を招いてきた。日本政府は再三、国連から改めるよう勧告を受けているが、一向に改めない。

警察と検察は、労働組合「関西生コン支部」(関生支部)の壊滅を狙い、リーダーの湯川を最も長く勾留した。逮捕すること8回。ストライキや経営者との労働条件の交渉などを犯罪に仕立てあげた。「威力業務妨害」や「恐喝」の容疑を次々とかけることで、湯川を獄につなぎ続けた。

644日という勾留期間は、他の「人質司法」の犠牲者と比べても長い。大川原化工機の冤罪事件では、社長の大川原正明が332日。東京五輪汚職の容疑をかけられた「KADOKAWA」の元会長、角川歴彦は226日だ。

湯川は、644日のうち420日を警察署の留置場で、その他は拘置所で過ごした。

留置場にせよ、拘置所にせよ、窃盗や詐欺など様々な事件で逮捕された人たちが入ってくる。湯川がいたのは雑居房。勾留期間中に多くの人が入ってきては出ていった。いつも湯川だけが残る。普通なら「牢名主」(ろうなぬし)のような存在になっていくところだ。
だが湯川は、決して偉ぶらない。

雑居房には和式のトイレがあった。トイレ掃除は自分たちでやらなければならない。湯川は自らその役割を引き受けた。備え付けの洗剤を使い、ピカピカになるまで素手で磨き上げた。和式トイレに慣れていない人が、雑居房に入って来た時は言った。

「キレイにしてあるから、便器の淵に直接座って用を足しても大丈夫やで」
●盟友の死

湯川は644日の間、黙秘を貫いた。取り調べがない時は読書か筋トレ。サッカーの長友佑都選手の本は、役立った。体幹を鍛える方法を伝授する内容で、狭い房での筋トレにピッタリだった。

勾留期間中、決して心が折れることはなかった。その湯川が、一度だけ動揺したことがある。

2019年夏のことだ。

勾留理由の開示を求める裁判のため、湯川が京都地裁の面会部屋で弁護士の小田幸児と打ち合わせをしている時だった。小田がふと言った。

「関生支部の組合員が亡くなったみたいですよ、オカ、オカ何やったかな」

小田は亡くなった人の名前がわからない。湯川は勾留中の身。その場で誰かに電話して確かめることもできない。湯川はイライラしてきた。

「えっ! 誰が亡くなったんや。もう1回聞いてきてーな」

ほどなく戻ってきた小田が告げる。

「岡林さんです」

その瞬間、湯川の頭の中が真っ白になった。

岡林義孝は関生支部で、ストライキなどの労働争議を担う「争対部」を経験。当時は「学働館」の責任者をしていた。学働館は、次世代に労働運動を伝えていくための学校のような役割を持つ施設だ。

見た目はイカツイが、心優しい人物。年下の湯川のことを頼りにしていて、落ち込んでいる組合員がいると「湯川くん、話を聞いてやってや」と言ってくる。韓国に一緒に行った際は、空のスーツケースを持っていき、安い靴下をたくさん購入。帰国したら自分の分として使うだけではなく、仲間たちに配った。

関生支部近くにある韓国料理店にはよく行った。店のママさんとは大の仲良し。辛いものは苦手だが、韓国海苔でご飯をたくさん食べていた。「岡ちゃん」と呼ばれ、関生のムードメーカーだった。

2018年の夏以降、湯川をはじめ関生支部の組合員がどんどん逮捕された。逮捕されていない組合員たちは、いつ自分もやられるかと不安になる。「逮捕されるくらいならやめよう」と関生支部を脱退する組合員が続出した。

岡林も逮捕はされなかった。だが決して、組合をやめようとしなかった。湯川も岡林のことを「絶対にひっくり返らへん」と心から信頼していた。

勾留中は、接見に来た弁護士を通じ、岡林の言葉を聞かされた。

「湯川が戻ってくるまで、踏ん張っとかなあかん。脱退した組合員たちを取り返さなあかん」

「湯川、早く帰って来い」

●誓ったリベンジ

2019年7月3日、岡林は突如、学働館で体調が悪くなった。近くにいた仲間が救急車を呼んだ。だが岡林は夕方に妻と病院に行くからと、救急車には乗らなかった。

そのあと岡林は、学働館のエレベーターで倒れた。仲間が必死に心臓マッサージをしたものの、亡くなった。

岡林の死を知った時、自分が囚われの身であることが、湯川は心底くやしかった。岡林のことを、自分なら何が何でも救急車に乗せる自信があったからだ。岡林は迷惑をかけまいと、人一倍、気を遣う。最初に体調不良を訴えた時点で、自分なら強引にでも搬送させた。

岡林の精神的なストレスが、死因だと湯川は考えている。大阪、京都、滋賀、和歌山の警察・検察は束になって、関生支部を潰しに来た。岡林は、関生支部への思い入れが人一倍強い。不安に駆られて組合員が次々とやめていく中、岡林の心に鉛の塊のようなものがのしかかった。今回の刑事弾圧がなければ、岡林があんな形で命を落とすことはなかった。

湯川は、この弾圧へのリベンジは必ず果たすと心に誓った。関生支部の委員長室には、今も岡林の写真が置かれている。

●セメントメーカー、ゼネコンの姑息

生コン会社は、セメントを仕入れて製造し、建設現場に売る。セメント会社もゼネコンも大企業だ。生コン会社は、両者の狭間でいつも虐げられてきた。

最初の東京五輪が開かれた1964年、日本が高度経済成長に沸く中で、一人の経営者が電車に身を投げて自死する。大阪のセメント輸送会社の社長だ。

その社長はセメントメーカーから、契約更新と引き換えに労組を潰すよう指示された。「せめて日曜日は休ませてほしい」と労働組合が要求したことがきっかけだった。当時の生コン業界のドライバーは残業が月200時間超え。家にはろくに帰れず、弁当も信号待ちの間にかき込むという状況だった。

労組を潰すため、社長は9人に解雇通告。警察幹部や暴力団員も使って圧力をかけた。警察は社屋にビラを貼っただけで7人を逮捕した。

だが大阪府地方労働委員会は、会社側の行為を違法だと認めた。従業員たちの損害金として1300万円を支払うことや、解雇を撤回することになった。

社長は遺書にこう綴った。

「セメントメーカーの言いなりになって、このようなことになった事は残念で、残念でたまらない」

生コン会社は、原材料の仕入れ先のセメントメーカー、販売先のゼネコンに比べれば圧倒的に小さい。例えば住友大阪セメントの従業員は約3000人、大成建設は約1万6000人。これに対して、生コン会社は50人以下の小さな会社ばかりだ。格下に見られ、辛酸を舐めてきた。

関西のある生コン会社の経営者は、かつてはゼネコンから「汚れ仕事」をさせられる慣行が業界にはあったと言う。

「工事現場に地元のヤクザが来て、ウロウロしながら現場の写真を撮って『なんぼくれんねん』と言ってくる。工事を妨害しながら、毎日3回も4回も電話してくる。ゼネコンさんは『なんとかしてくれよ』と。ほんなら生コン会社側が裏金を上手に捻出して、ヤクザに渡して事を収める」

この人物とは別の生コン会社の経営者によると、暴力団対策法が1992年に施行されるまでは、ゼネコン自身が暴力団に支払う「地域対策費」を捻出していた。

ゼネコンが金を捻出するなら、生コン会社は損をしないかというと、そんなことはない。ゼネコンは生コンを、帳簿よりも、1立方メートルあたり300円ほど安く購入。その分を暴力団に払う金に回していたという。生コン会社が、裏でゼネコンに買い叩かれていたのだ。

●日本最大級の生コン協同組合

中小企業の生コン会社では価格交渉力がない。そこで、生コン会社は協同組合を結成し、仕入れと販売を一括で担うようになった。

大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域協)は、大阪と兵庫を中心に生コン会社164社が加盟する。売り上げは年間約1500億円。日本最大級の協同組合だ。2015年に生コン会社が大同団結して、結成された。

セメント会社とゼネコンに対抗するため、労組である関生支部は大阪広域協と協調してきた。

しかし、大阪広域協は生コンの値上げに成功すれば賃金に還元すると、関生支部と約束したのにも関わらず、生コン価格が上昇しても約束を果たさない。関生支部と対立するようになっていった。

大阪広域協が動き出したのは、2017年の新年早々のことだ。関生支部を念頭に、「弁護団」と「渉外部」を結成した。

弁護団に名を連ねたのは、検察官から弁護士に転じた、大物の「ヤメ検」弁護士たちだった。

小林敬弁護士(大阪地検特捜部長、大阪地検検事正)
高田明夫弁護士(大阪地検特捜部長、宮崎地検検事正)
新倉明弁護士(大阪地検刑事部長、熊本地検検事正)
小寺哲夫弁護士(大阪地検刑事部長、札幌地検検事正)
徳久正弁護士(大阪地検堺支部長、最高検検事)
注:()内はいずれも検事時代の元職

大阪地検で特捜部長だった弁護士が2人、元刑事部長が2人。最高検で検事を務めた人物までいる。大阪広域協は弁護団のメンバーを、過去の役職と共に「大阪広域NEWS」の中で披歴した。

「渉外部」についてはどうか。大阪広域NEWSには、以下のように記されている。

「大阪府警暴対出身者2名採用」

「暴対出身者」とは、大阪府警で暴力団の捜査を担った元警察官ということだ。

●39人で「組織犯罪撲滅対策」弁護団

大阪地検の元幹部5人で顧問弁護団が結成されてから1年。大阪広域協は2018年1月17日、理事長の木村貴洋の名前で「顧問弁護団結成のご案内」を広域協関係者に通知する。

「大阪広域生コンクリート協同組合威力業務妨害・組織犯罪撲滅対策本部顧問弁護団が結成されましたので、ご案内させていただきます。別紙をご参照ください」

別紙には、「ヤメ検」の5人に加え34人の新たな弁護士たちの名前が記されていた。大阪弁護士会の要職を務めた弁護士たちや、暴力団対策に取り組む弁護士までいる。

元々の5人のヤメ検弁護士の中では、小寺哲夫を筆頭に持ってきた。小寺は和歌山地検の検事時代、「和歌山カレー事件」の公判で主任検事だったことでも知られている。夏祭りのカレーにヒ素が入っていて、4人が死亡したあの事件だ。林眞須美の死刑判決が最高裁で確定しているが、林は無罪を主張していて、2024年に3回目の再審請求をしている。

憲法に保障された労働運動を駆逐し、少しでも多くの金を我が物にする。あるいは政治・経済権力の期待に応えて組織の中で出世する。

そのためには、無実の人であっても牢につなぐ。

「悪党」たちは、ここからフル稼働していく。

(敬称略)

※この記事の内容は、2025年10月22日時点のものです。
https://tansajp.org/investigativejournal/12697/?utm_source=mric&utm_medium=link

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