
医療ガバナンス学会 (2026年3月3日 08:00)
鹿児島県医療法人協会会長
医療法務政策研究協会理事長
元医療事故調査制度の施行に係る検討会構成員
小田原良治
2026年3月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
ただ、検討会の細部に関しては、基本的な部分の理解に疑問を感じるような発言もあったようである。構成員の発言内容には立ち入らないが、主導した厚労省の提示資料には疑問を抱くものもあった。第1回の検討会の開催に際し、提示された厚労省資料のうち6ページの「医療安全施策の全体像」とのタイトルの図は極めて奇妙な図であるが、これについては、今後機会があれば制作担当者の認識を尋ねたいと思う。この問題は大問題になりかねないので、ひとまずおくとして、今回は、同じく第1回検討会に提出された年表について、医療事故調査制度の角度から考えてみたい。
医療安全施策の経緯と医療事故調査制度の施行に至る経緯
第1回検討会に提示された厚労省資料4/87ページに「医療安全施策の経緯」とのタイトルの年表があり、40ページに「医療事故調査制度の施行に至る経緯」とのタイトルの年表が掲載されている。同じ検討会に複数の年表が提示されたのは何故であろう。バラバラの年表提示は、経緯が複雑で、1つの年表にまとめ得なかったのか、あるいは医療安全施策と医療事故調査制度の議論の出発点、立ち位置が異なることを理解して、混乱を避けるために分離したものかであろう。
単純に、資料全体の構成を見ると、大きな歴史的経緯は、4ページの「医療安全施策の経緯」であり、医療事故調査制度創設の経緯は細目であるかのように見えてしまう。このように見せて、「医療安全施策の経緯」の延長線上という形での着地を狙った厚労省の意図的構成だったのかもしれない。実際、検討会の議論は、そのように進行したようである。
このように考えると、「医療安全施策の経緯」と「医療事故調査制度の施行に至る経緯」については、比較検討をしておかなければならないであろう。
厚労省資料4ページの「医療安全施策の経緯」を見ると、厚労省が今回の検討会の議論の出発点を、横浜市立大患者取り違え事件におき、平成11年の「患者誤認事故防止方策に関する検討会報告書」及び平成14年の「医療安全推進総合対策」を厚労省施策の出発点としていることがうかがわれる。平成13年に厚労省に新たに医療安全推進室が設置されたことが全てを物語っているのであろう。
しかし、この厚労省資料「医療安全施策の経緯」の平成12年及び平成20年の事項に重要な部分が抜け落ちている。この部分を抜きにして、当時の状況すなわち、医療崩壊も政権交代も「医療事故調査制度」創設の意義も理解できないであろう。
脱落している「リスクマネージメントマニュアル作成指針」という問題通知を避けては通れない。平成12年、厚労省は、「リスクマネージメントマニュアル作成指針」通知を出した。この通知は、国立病院のみではなく全医療機関宛ての通知と誤解され、平成7年度版死亡診断書(死体検案書)記入マニュアルとともに医療崩壊の原因となった。
同通知が、当時係争中であった東京都立広尾病院事件判決に影響を与えたであろうことは、当時、衆目の一致するところだったのである。同通知は、平成24年10月26日、田原克志医事課長発言により、国立病院のみを名宛とする通知であり、一般の病院は対象ではないことが明言された。さらに同通知は、国立病院の独法化により失効している。しかしながら、平成12年から10年以上にわたり医療現場に悪影響を与え続けた問題通知であったことを見逃してはならない。大きな負の遺産を抱えているのである。
厚労省の医療安全施策は、平成16年の医療事故情報収集等事業となったが、この施策の終着点は、医療事故調査制度ではない。終着点は、平成20年の第3次試案・大綱案であった。厚労省資料「医療安全施策の経緯」のなかには、終着点であるはずの第3次試案・大綱案の記載が漏れている。
「医療安全施策の経緯」年表は、前述の如く、「患者誤認事故防止方策に関する検討会報告書」及び「医療安全推進総合対策」からの流れの上に「医療事故調査制度」があるかの如き記載になっているが、これらの流れの終着点は、今回の年表に記載されていない第3次試案・大綱案である。この第3次試案・大綱案がたな晒しとなり消滅し、民主党政権下、新たに制度設計がなされ、さらに、再度のパラダイムシフトの結果、現在の「医療事故調査制度」ができ上ったものである。現在の医療事故調査制度の出発点は、都立広尾病院事件であり、パラダイムシフトを繰り返して、現在の医療事故調査制度として創設されたものである。
現医療事故調査制度のたたき台は、日本医療法人協会の「医法協医療事故調ガイドライン」であった。これらの経緯を念頭におけば、「医療事故調査制度の施行に至る経緯」を別年表とした厚労省の対応は評価できるであろう。「医療事故調査制度」の出発点は、横浜市立大患者取り違え事件と同年に発生した都立広尾病院事件である。
40ページの「医療事故調査制度の施行に至る経緯」年表に目を転じてみよう。「医療事故調査制度」の出発点は、都立広尾病院事件判決ではなく、横浜市立大患者取り違え事件と同年の平成11年に発生した都立広尾病院事件そのものである。
この二大事故は、同じ年に発生したが、それぞれ特徴的である。横浜市立大患者取り違え事件は、大学病院という特定機能病院で発生した。チーム医療から生じた組織事故として認識され、厚労省の医療安全対策の出発点となった。その後も特定機能病院の医療安全を主として対応がなされ、平成16年の医療事故情報収集等事業に至る。この厚労省の医療安全施策は、当初から説明責任要素を含んだものであったが、医療事故情報収集等事業が「責任追及」として問題にならなかったのは、特定機能病院という病院の特殊性と、医療事故情報収集等事業では、個別事例が明らかにならなかったことによると思われる。
一方、都立広尾病院事件は、都立病院という一般病院で発生した看護師による過誤事件であり、管理者である院長が、医師法第21条(異状死体等の届出義務)違反に問われた事件である。本事件には、平成7年度版死亡診断書(死体検案書)記入マニュアルが悪影響をおよぼしたが、さらには、本事件の係争中に、厚労省が、「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を出したことも判決に影響したと考えられている。一般病院の院長が医師法第21条違反で有罪となったことは医療現場に混乱を招いた。医師法第21条対策として、医療事故調査制度が浮上してきたのである。医療事故調査制度創設の起点は、医師法第21条問題である。
医療事故調査制度については、各界に同床異夢のところがあり、迷走を続けた。厚労省は、対策として第2次試案・第3次試案・大綱案を提示した。この厚労省案は医師法第21条問題の解決策とはなっておらず、医療者の反発を招き、医療崩壊を進行させ廃案となったのである。
医療事故調査制度は仕切り直しとなった。結果として、医療事故調査制度を「医療の内」すなわち、専ら医療安全の制度として構築し、医師法第21条問題は、「医療の外」の課題として「外表異状」として解決したものである。10年以上にわたる混乱を解決に導いたのは、「医療の内」と「医療の外」を切り分けて解決すべきとした筆者らの提案と田原克志医事課長発言、大坪寛子医療安全推進室長発言と田村憲久厚労大臣答弁による「外表異状」の確立によるものである。
厚労省の医療安全施策と医療事故調査制度は、歴史的にも別々の経路をたどったものである。医療事故調査制度は、医師法第21条問題と対をなすものであり、厚労省医療安全施策の延長線上にあるのではない。医療事故調査制度の出発点の事件は、都立広尾病院事件であり、現在の医療事故調査制度の基となったのは、「医法協医療事故調ガイドライン」である。
「医療の内」の制度としての医療事故調査制度と「医療の外」の問題である医師法第21条
前述したとおり、医療事故調査制度創設の起点は、医師法第21条問題である。では、「医療事故調査制度の施行に至る経緯」年表はこれでいいのであろうか。否である。医師法第21条問題の原因となった平成7年度版死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル、および「リスクマネージメントマニュアル作成指針」通知についての記載がない。また、同年表は、平成26年6月に「医療事故調査制度を含む医療法改正法案成立」とあり、同年7月に「医療事故調査制度の施行に係る検討会開始」と記載されているが、正確ではない。「医療事故調査制度の施行に係る検討会」が開始されたのは、同年11月である。
11月までの間に何があったのか。医療事故調査制度は当時、揉めに揉めていたのである。再度の医療崩壊もありうるような状況であった。厚労省も10年にわたり解決できずにいた課題が、また、空中分解しそうな状況だったのである。
前年、平成25年11月8日の社会保障審議会医療部会の合意を受けて、改正医療法成立前の平成26年3月14日、医政局医療安全推進室主催の「診療行為に関連した死亡の調査の手法に関する研究」が事前開始された。ところが、この医療安全推進室主催の会議は不調だった。このため、同年11月14日を第1回として、あらたに医政局長主催の「医療事故調査制度の施行に係る検討会」が招集されたのである。筆者は、この検討会の構成員をつとめたが、筆者提出の「医法協医療事故調ガイドライン」がたたき台となったのである。したがって、この年表には事実誤認がある。
ここで簡単に、「医療の内」と「医療の外」の切り分けについて記しておきたい。これは、現在の医療事故調査制度の基本的な考え方である。当時の最大の課題は、そもそも厚労省に端を発した医師法第21条に起因する医療崩壊であった。医師法第21条問題による医療現場の混乱、「立ち去り型サボタージュ」と呼ばれた「医療崩壊」を解決すべく提案されたのが医療事故調査制度であったが、厚労省の第3次試案・大綱案は問題が多く、政治問題ともなって廃案となった。この複雑な問題を解決に導いたのは、筆者らが提唱した「医療の内」と「医療の外」を切り分ける考え方であった。
医師法第21条問題は、「医療の外」の問題として解決することとして、医療事故調査制度は、「医療の内」の問題として切り分けて、「専ら医療安全」の制度として構築したのである。このように、「医療の内」と「医療の外」を切り分けることにより、医療事故調査制度も医師法第21条問題も同時解決できたのである。
要するに、「医療の内」の制度である医療事故調査制度と、「医療の外」の問題としての医師法第21条問題の解決はワンセットだったのである。
なぜ歴史的経緯にこだわっているのか
ながながと第1回「医療事故調査制度等の医療安全に係る検討会」の厚労省提出資料の歴史的経緯について述べて来た。何故このようにこだわっているのかを記載しなければなるまい。
「本検討会では、医療事故調査制度にとどまらず、医療安全に係る政策全般についてこれまでの取り組みを振り返った上で、現状と課題を整理して今後の対策について議論をお願いしたい」との局長あいさつを踏まえて考えると、歴史的経緯の年表に恣意的なものを感じたからである。実際、今回の検討会は、平成11年からの厚労省の「医療安全施策の経緯」の流れのなかにあり、医療事故調査制度はその流れの一部にあり、今後医療事故情報収集等事業の延長線上に進むかのごとき議論がなされたようである。
これは、「医療の内」と「医療の外」を切り分けて、医師法第21条問題と医療事故調査制度創設を両立させた現在のすぐれた制度の根幹に関わる問題のように思われる。問題の多かった第3次試案・大綱案に逆行しかねない動きであろう。そもそも、法律事項である医療事故調査制度と省令事項である医療事故情報収集等事業、さらには通知その他をごちゃ混ぜにして、フィーリングのみで、PDCAサイクルによる医療安全の向上との流れを作ろうとしているように感じられる。まさに、山本七平の言う「空気」の醸成を企図しているようである。
医療事故調査制度は、出発点から厚労省の医療安全施策と別の流れをたどったものである。医療事故調査制度は、厚労省の医療安全施策の延長線上にあるのではない。医療事故調査制度と医師法第21条問題がワンセットなのである。医師法第21条を考えずに、医療事故調査制度のみを切り取って加工するようなことを行うべきではない。
おわりに
今回の検討会の問題点を、歴史的経緯の流れのなかから指摘した。第1回検討会の「医療安全施策の経緯」と「医療事故調査制度の施行に至る経緯」の2つの流れを、厚労省は、医療事故調査制度施行を合流地点としてつなげているようである。医療事故調査制度が、従来からの医療安全の流れの一部であるかのような図式を恣意的に作ろうとしているように思われる。このため、年表に意図的に不都合部分を記載漏れしているのではないかと危惧したからである。医師法第21条も考慮せず、医療事故調査制度を論ずることの危うさに警鐘をならしておきたいのである。
今回の検討会資料の不可解は、この年表のみではない。6ページの「医療安全施策の全体像」とのタイトルの図は、より多くの問題を含んでいるように思われる。PDCAサイクルのPDCAは、それぞれ具体的に何を指すかをも明示せず、フィーリングのみでPDCAサイクルが神格化され、誤った「空気」が医療界に拡がることを懸念している。医療事故調査制度が第3次試案・大綱案側に先祖帰りすることがないように注視していくべきであろう。大事な問題はこれからである。