
医療ガバナンス学会 (2026年3月17日 08:00)
本稿は、2026年1月15日に医薬経済に掲載された記事を転載しました。
医療ガバナンス研究所理事・常磐病院医師
尾崎章彦
2026年3月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
そのようななか、2年前の日本医学教育学会大会において利益相反をテーマとしたワークショップを実施したことを契機に25年12月、名古屋市立大学で医学生向けの授業を行う機会に恵まれた。
2年前のワークショップには、当時医学部6年生で、現在はときわ会常磐病院の研修医である金田侑大医師にも発表をしてもらった。彼は、利益相反が「望ましくない」行動変容につながるメカニズムについて、行動経済学の視点から明快に説明してくれた。
その内容が、名古屋市立大学で医学教育を担当されている高桑修先生の目にとまり、今回の授業へとつながった。
実際の授業では、前半を金田医師が、後半を私が担当し、行動経済学と医療における利益相反という、一見異なるが本質的には深く結びついたテーマを連続して扱った。この構成は意図的なものであり、医療における意思決定が「個人の判断力」ではなく、「置かれた環境や構造」によって大きく左右されていることを、学生に実感してもらうことを狙った。
金田医師の講義では、医療者であっても人間である以上、認知バイアスから自由ではないことが、行動経済学の視点から説明された。現在の負担を過大評価する現在バイアス、周囲の行動に無意識に同調してしまう同調バイアス、そして「自分だけは影響されない」と考えてしまう楽観性バイアスなどは、臨床現場においても日常的に作用している。
象徴的な例として示されたのが、勤務時間帯によって看護師のユニフォームの色を変えるという実践である。罰則や金銭的インセンティブを用いず、視覚的な「気づき」を与えるだけで行動が変化したこの事例は、選択肢の提示の仕方が意思決定に与える影響の大きさを端的に示す好例である。
一方で、こうしたナッジの裏側には、スラッジと呼ばれる行動の摩擦が存在する。手続きの煩雑さやわかりにくい説明は、特定の選択を実質的に取りにくくし、人々を望まぬ方向へと誘導する。医療の現場においても、難解な同意書やアクセスしにくい制度が、患者や医療者の判断を無意識のうちに縛っている場面は少なくない。制度が中立であるかのように見えても、その設計自体が強いメッセージを発していることがあるのだ。
後半の私の講義では、こうした認知バイアスが医療における利益相反と結びついたときに、何が起こりうるのかを具体的に論じた。講演謝金や研究費、ささやかな接待や便宜供与は、多くの場合違法ではない。しかし、それらが医療者の判断に影響を与えうることは、国内外の研究によって繰り返し示されている。重要なのは、利益相反が一部の不適切な医師の問題ではなく、構造的に生じる現象であるという点である。「自分は影響されていない」という認識こそが、最も危うい。
さらに、利益相反の「開示」、いわゆる「透明性」だけでは、判断の歪みを十分に是正できないことも明らかになりつつある。医療者の善意や自制に依存した仕組みは、認知バイアスと経済的インセンティブが常在する現実の前では脆弱である。対策に、企業からの金銭の受け取りについて、上限額を定めるなどのルールも今後必要だ。
この授業を通じ我われが最も伝えたかったのは、医療における意思決定は、個人の倫理や資質の問題のみで決まらないということだ。誰が悪いのかではなく、どのような環境で、どのような情報に囲まれて判断が行われているか、その重要性を、学生が考える端緒になったのであれば、幸いである。