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Vol.233 大規模災害時の医療・介護 (その2/3)

医療ガバナンス学会 (2011年8月11日 06:00)


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本論文は『緊急提言集 東日本大震災 今後の日本社会の向かうべき道』(全労済協会2011年7月)に掲載されたものです。

医療法人鉄蕉会亀田総合病院
副院長 小松秀樹
2011年8月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


(その1/3)より続き。

●民間ネットワーク
今回の震災では、ライフラインや物流が壊滅したため、二次的に、医療・介護・福祉サービスに支障がでた。透析患者、要介護者、知的障害者、人工呼吸器装着 患者などが危機的状況に追い込まれた。インシュリン、抗凝固剤、ステロイド剤、抗てんかん薬など、中断すると生命を脅かしかねない薬剤が患者に届きにくく なった。

行政は、震災後、大量の情報が集中したため麻痺した。行政が対応できない部分を、インターネットを介して、個人や民間の集団がカバーした(文献4)。多く の眼で観察し、不特定多数に対して発信した。情報を受け取った多数の中から、援助する意思と能力のある個人や集団が行動した。計画経済が立ち行かないこと の一般的な理由は、一国の経済の全てを管理する能力を人間が持てるはずがないということである。震災の範囲が広すぎたために、似た状況になった。多くの目 で認識して、それぞれが自主的にできることを進めることで事態が好転した。

筆者が参加したメーリングリストの一つである地震医療ネットは、東大医科学研究所の上昌広教授を中心に、3月15日16時41分12名でスタートし、短期 間で300名ほどに膨れ上がった。上教授が、MRICという5万人に配信しているメールマガジンの編集長だったこと、メーリングリストの参加者がボラン ティアとして活動しつつ、多くの文章をMRICで発信したことなどから、大きな影響力を持った。

このメーリングリストでは、被災地からの状況報告、放射線の累積線量、被災地へのミルクと水のセット提供、原発作業員の労働環境、原発作業員の末梢血幹細 胞採取、避難所の間仕切り、相馬市の高校生支援、南相馬・相馬の医療、文具の支援、飯館村の住民検診をはじめ多種多様な問題が取り上げられた。情報のやり 取りだけでなく、実際に多くの救援活動を遂行した。筆者の勤務する亀田総合病院は、透析患者の後方搬送と受入れ(文献4)、薬剤の被災地への供給、人工呼 吸器装着患者の受入れ、老健疎開作戦(文献5,6,7,8,9)、知的障害者施設疎開作戦(文献10)に関与した。亀田総合病院の多くのスタッフが、ボラ ンティアとして、石巻の医療・介護需要全戸調査(石巻ローラー作戦)(文献11)に参加した。

いわき市の透析患者7百数十名の後方搬送(文献4)では、3月15日、帝京大学の堀江重郎教授から相談を受け、筆者は、民間バスでの搬送を提案した。 NPOシビック・フォースの小沢隆生氏や旅行会社クラブ・ツーリズムのスーパー女性添乗員がバス集めに奔走した。バス会社の担当者に断られてもひるまず、 あらゆる伝手を使って社長に到達し、直談判したという。社長の立場では、社会的に要請を拒めないということを見越しての作戦だった。ところが、3月16日 に福島県がバスを用意して搬送することになり、民間の活動は一旦中断。その後も二転三転、何らかの理由で、県主導の搬送が止められた。厚労省が止めたとい う情報が流れたが、真相は確認できなかった。結局、民間主導で、3月17日、7百数十名の透析患者を東京、新潟、千葉県鴨川に搬送した。亀田総合病院は 45名の患者を受け入れた。当時、常磐道下りは緊急車両しか通れなかったが、警察庁から直接情報を得て、県や厚労省、官邸を通さず、所轄警察署で許可を得 た。

筆者はこの作戦の全体像を知らない。関わった人たち全員とその活動を知っている指令塔はいなかったはずである。学会などの団体と、個人のネットワークの協働で大搬送が完遂された。多くは、互いに名前や顔を知っていたわけではない。

●行政との軋轢
未曽有の災害に対し、被災地の市町村、県、省庁、官邸に至るまで、行政機関が機能しなかった。情報の分析、意思決定、行動のいずれにおいても、あまりに遅 く、柔軟性を欠いた。当初は情報量が多すぎたこと、人員が少なすぎたことが問題だった。多少、落ち着いた後でも、行政の動きの遅さと対応の悪さは際立っ た。以下、被災地からのメールの一部を紹介する。

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リウマチの女性が手首を腫らし、痛みに耐えていました。彼女はその避難所から沖縄への移住を希望しました。沖縄は県をあげて受け入れをしていると、ある MLで知ったからです。沖縄の担当者に連絡をすると、「罹災証明申請書のコピーが必要です」「沖縄の受け入れは、災害救助法ではなく県の予算なので、5人 まとまったらはじめて飛行機に乗れます。飛行場までは自分できていただく必要があります。そこでチケットをお渡しします。」「申込書はインターネット上か ら、書式をダウンロードしていただき、印刷して書きこんでください」と、担当官に告げられました。少なくともパソコンとプリンターを持った援助者と、飛行 場までの足、罹災証明書の申請を行うために市役所に行くという手順をその足が腫れた女性が手配しなければ不可能なのです。
責任者の方とお話ししましたが、埒があきませんでした。

避難所で罹災証明などの手続きがとれない。片道1時間程度を高齢者が歩いて市役所にいっている状態。せめて、応援職員に手続きの代行を避難所でさせること はできないのかと保護課の課長補佐に掛け合うも、取りつく島もなく、それは保護課の仕事ではないとのこと。いくつもある避難所全部ではできないとの回答 で、結局、何もしないということであった。
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民間にあって能動的に活動すると、行政とぶつかることが多い。
千葉県の房総半島南部には、安房医療ネットという在宅医療を行っている医療・介護の勉強会グループがある。あふれるほどの善意と行動力を持っている。3月 20日、このグループが、要介護者とその家族の受け入れ体制を整えた。迎えに行くバスまで用意した。3月22日、南房総市の石井裕市長は、「生命尊重が第 一、特に要介護状態の被災者を積極的に受け入れる。国が(一泊三食付き5000円の支払いを)認めてくれない場合、南房総市が宿泊費を立て替えよう!」と 英断を下した。
当時、災害救助法の弾力的運用で、被災者の滞在費が支給されることになった。別の自治体と交渉したメンバーから、下記連絡を受けた。

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今日、担当者とお話ししましたが、旅館組合に入っていれば災害救助法が適用されるが、それ以外はダメ、つまりペンションや、民宿はダメだと言われました。 さらに災害救助法自体のお金の出処である被災県から何の話もないので、千葉県は手を挙げないことになっていると言われました。
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この自治体担当者の発言には解説が必要である。
厚労省は、震災後に災害救助法の弾力的運用についての文書、社援総発039第1号を発出した。県域を超えた避難について、被災した都道府県からの要請を受 けて、受入県が費用を支弁し、受入県は被災した都道府県に求償する、最終的には国が被災県に対して、必要な財政措置を講ずるとした。
災害救助法は35条に「都道府県は、他の都道府県において行われた救助につきなした応援のため支弁した費用について、救助の行われた地の都道府県に対し て、求償することができる。」と規定している。被災県からの要請が必要だとする記載はない。千葉県に問い合わせたところ、以下の解説が返ってきた。

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「できる規定」となっており、求償したとしても、被災県が支払わなければいけないことになっていない。被災県が断る場合が想定されるので、「被災した都道府県からの要請を受け」との文言が入ったのではないか
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当時、千葉県は、受入県からの要請がないので手を挙げないという非公式のアナウンスを、市町村に対して発していたと想像される。社援総発039第1号の文言だと、すべての県が被災者を受け入れない事態になっていたかもしれない。

さらに、観光庁は観観産第660号で被災者受入れの手順を示した。「全旅連」(全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会)が受け入れ可能な施設リストを作成 の上、観光庁、受入県、被災県を通して、被災県の市町村に提供する。さらに、被災県は、県外の旅館・ホテル等への避難が必要と判断した被災者の情報(以下 「避難者リスト」という)を集約の上、観光庁を通して全旅連に提供し、全旅連が被災者を割り振るとした。

施設リストは、都道府県旅館組合が作成するが、組合員以外の旅館・ホテル等であっても、当該施設が希望すれば、リストに掲載されるとの記載があった。しか し、前記自治体担当者は、旅館組合に入っていないと災害救助法は適用されないと信じていた。震災で観光客は激減した。この制度はホテルなどにとって救済に なったはずであるが、旅館組合への加入の有無で割り当てに差別が生じた可能性がある。

加えて、被災県は混乱を極めていた。亀田総合病院に受け入れた患者のことで、福島県庁に連絡をしても、めったに電話がつながることはなかった。被災者リス トを迅速に作成する能力があったとは思えない。リストを作成してから避難させるのだと、時間がかかり過ぎる。避難を実施しつつ、結果としてリストが積み上 がるのが緊急時の合理的な動きではないか。

実際に県域を超える避難を決める場面は、被災地の病院、避難所、あるいは、本人が自力で避難した避難先で生じる。避難が必要だと判断するのは、被災者本 人、あるいは、避難所の医師、看護師、社会福祉士などである。避難先では、被災者が必要としている医療・介護サービスが受けられないといけない。避難先 は、被災者が支援者、受け入れ先のコーディネーター役と相談しながら決めることになる。旅館組合に割り振る能力はない。

筆者らは、被災者を受け入れつつ、批判を展開した。この件について、政権中枢、中央官庁、県に善処を求めた。行政を批判する筆者へのインタビューが、内憂 外患というニュースサイトに掲載された。さらに、詳細な批判をメールマガジンに投稿した(文献12)。一連の批判の前後で、行政が対応を変えた印象があっ た。批判することで行政の対応が多少なりとも良くなるのなら、批判せざるを得ない。東日本大震災では、前例にないことを現場で実績として示すことで、それ までの行政の対応を変更させる場面が何度かあった。一部から、行政官への尊敬を欠くと非難されたが、問題は行政官個人の能力にあるのではなく、行政に内在 する考え方にある。行政に任せると結果が悪すぎる。

文献:
4 小松秀樹:ネットワークによる救援活動 民による公の新しい形.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.103, 2011年4月5日.

http://medg.jp/mt/2011/04/vol103.html#more

5 小松秀樹:後方搬送は負け戦の撤退作戦に似ている:混乱するのが当たり前.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.89, 2011年3月26日.

http://medg.jp/mt/2011/03/vol89.html

6 小松俊平:老健疎開作戦(第1報)MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.76, 2011年3月21日.

http://medg.jp/mt/2011/03/vol76-1.html#more

7 小松俊平:老健疎開作戦(第2報)受け入れまでの動き. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.96, 2011年3月31日.

http://medg.jp/mt/2011/03/vol96-2.html#more

8 山田祥恵, 佐野元子:老健疎開作戦(第3報)会計処理の基本方針. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.97, 2011年3月31日.

http://medg.jp/mt/2011/03/vol97-3.html#more

9 鯨岡栄一郎:老健疎開作戦(第4報)被災から疎開までの経緯. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.109, 2011年4月7日.

http://medg.jp/mt/2011/04/vol109-4.html#more

10 小松秀樹:知的障害者施設の鴨川への受入れと今後の課題.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.124, 2011年4月14日.

http://medg.jp/mt/2011/04/vol124-1.html

11 小野沢滋:石巻ローラー作戦についての報告:主観的な評価も交えて.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.135, 2011年4月19日.

http://medg.jp/mt/2011/04/vol135.html#more

12 小松秀樹:災害救助法の運用は被災者救済でなく官僚の都合優先.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.112, 2011年4月9日.

http://medg.jp/mt/2011/04/vol112.html

(その3/3)へ続く。

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