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Vol.245 日本医師会「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言」の改善点(私案)〔第2回〕

医療ガバナンス学会 (2011年8月21日 06:00)


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井上法律事務所 弁護士
井上清成
2011年8月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


(前回まで)
2011年8月5日 はじめに、目次

1.序論―改善点(私案)―より自律的に、もっと多様性を
(1)患者家族対応は医療の理念であり現実でもある
医療のプロセスは、患者家族の診療の求めから具体的に現実化される。患者には多様な病態があり、患者家族の指向にも多様な思いがあろう。他方、これらに対 応する医師にも医療機関にも、それこそ千差万別の多様な事情がある。患者家族の多様性と医師医療機関の多様性を踏まえて、現実の医療のプロセスは進行せざ るをえないであろう。すると、医療のプロセスは一律に規範的にとらえることはできない。
ここで問題とするのは、これら多様な医療のプロセスの終了時期である。いつが医療のプロセスの終了時期なのであろうか。
たとえば、患者が死亡すれば、そこで即終了であろうか、しかし、それはありえない。少なくとも死亡診断書は書く。ただ、死亡診断書を書くとしても、きちん と「死亡の原因」や「死因の種類」も書くであろう。それと並行し、遺族に説明して納得してもらい、そうすれば、ここでやっと医療のプロセスが終わる。
この医療のプロセスの終了時期は、たとえそれが医療事故死の場合であっても変わらないと思う。きちんと「死亡の原因」や「死因の種類」を診断しなければならないし、遺族にも説明し納得してもらわねばならない。
つまり、最初から最後まで甚だ多様ではあるものの、一貫しているのは、医療の理念も現実も患者家族対応にこそあるということである。
「基本的提言」は、この患者家族対応につき、理念面が薄く、現実面を踏まえていないように感ぜざるをえない。そのため、諸々の問題が派生してしまっている。

(2)信頼関係は目指すべき目標ではあるけれどもすべてが規範でも現実でもない
患者家族と医師医療機関との信頼関係の構築が、医療の目指すべき目標であることに異論は無かろう。しかし、それらがすべて規範でも現実でもないことには、 留意しなければならない。そして、現実の信頼関係の破綻の原因が、医師医療機関の側にあることもあれば、患者家族の側にあることもあろう。何にせよ、信頼 関係が破綻してしまった場合には、それ以上は無理に医療のプロセスの内で対処することはできない。
ちなみに、医療のプロセスの外とは、刑事捜査や行政処分や医療過誤裁判などということである。医療のプロセスの内と外の区別をきちんとせずに、本来は医療 の外で行うべきことを医療の内に無理に取り込んでしまうと、通常の医療すらをも破壊してしまう。「基本的提言」は、甚だ遺憾ながら、システム構築に当たっ て最も重要なこの問題から、あえて目をそらそうとしているように感じざるをえない。
特に医療事故死を巡る問題は、厳しい局面のことだけに、医療のプロセスの内と外をどのように区別するか、慎重に見極めていかねばならないことだと思う。無 思慮に、もしくは無防備に、規範としての信頼関係を構築しようとすると、意図せざる現実の結果として、善意の医師医療機関が浸蝕され通常の医療体制が破壊 されてしまいかねない。もちろん、信頼関係の構築を目指して、できる限り医療のプロセスの内で対処することが望まれることは当然である。とは言え、現実に 生じうるであろう結果を度外視して、盲目的に信頼関係を規範化してはならない。

(3)医療のプロセスの終了時期は原則として患者家族次第で様々
医療のプロセスの終了時期は、病死・自然死・診療関連死と(診療関連死を除く)非自然死の2つのグループでは異なると思う。診療関連死を除く非自然死は、 そのような死亡原因診断がなされた時点で、医療のプロセスは終了し、その後は行政もしくは警察に役目が引き継がれる。ところが、病死・自然死・診療関連死 は、そのような死亡原因診断がなされても、医療のプロセスが終了するとは限らない。担当医が遺族にひと通りの説明をしても遺族が納得しないのならば、まだ 終了とはならず、さらに納得のいくような説明が必要となる。納得してもらうための再度の説明も医療のプロセスの内と言ってよい。
再度の説明は、担当医ではどうにもうまく行かないので、上級医が代わって行うかも知れないし、院長自身かも知れない。時には、看護師や事務方が行うことも ありえよう。つまり、担当医だけでなく当該医療機関が総がかりで行うのである。遺族や症例によっては、納得が難しそうなので、仲介人(中間者)を頼んだ方 がよいかも知れない。いわゆる医療メディエーションである。もちろん、メディエーターは、当該医師医療機関の代理でも肩代わりでもない。遺族との仲立ちを して対話させるだけなので、相変わらず説明の主体は医師医療機関である。
さらに、医療事故死の場合には、ひと通りの説明で納得が難しければ、院内事故調査委員会を開催して検証・分析し、その結果をもって当該医療機関としてのさ らなる説明をするのもよい。つまり、院内事故調査委員会とは、当該医師医療機関が患者家族の納得をえる説明をするためにその支援(手助け)をする内部調査 委員会である。より自律的に行うため、その委員は本来、すべてが内部委員であるのが望ましい。通常の医療が当該医療機関内のチーム医療ならば、医療事故の 説明、そのための検証・分析もチーム医療の一環として当該医療機関内で行うのが素直であろう。
ここまでのプロセスの中でいつ何時に遺族の納得がえられるかは、それは遺族次第というところが大きく、一律でなく様々である。
「基本的提言」では、患者家族の納得とそれを目指した説明、そして、説明の支援(手助け)手段としての医療メディエーションや院内事故調査委員会の位置付けがきちんと意識されていないと思う。

(4)遺族次第では説明も院内事故調も不要
病死も自然死も、そして診療関連死も、遺族が説明を求め続ける限りは、その疑問点・不明点の質問に応じた説明をし続けるべきである。やはり、医療のプロセ スの終了時期は遺族次第であると言えよう。執ような遺族がいると甚だ大変ではあるが、目指すべき目標からすると、それが望ましい。
しかしながら、稀に、「医師の言うことは嘘だ!」「医師は信用できない!」などと公然と説明に対する不信を表明する遺族がいる。説明することが信用できな いと公然と意思表示する相手に対しては、納得のえられないことが客観的に明らかなのだから、もうこれ以上の説明は不能であろう。そこで、そのような確定的 な不信の表明がなされた時点をもって、説明は終了せざるをえず、医療のプロセスも終了する。もちろん、説明の支援(手助け)である院内事故調査委員会も要 らない。ところが、「基本的提言」はそのような場合であっても院内事故調査委員会を開かねばならないかのように読めるし、少なくともこの点が不明瞭であ る。
このことは診療関連死のうちの医療事故死であっても、何ら異なるところはない。極端な例で言えば、遺族が自律的な判断の下に、「医療事故死であろうが何で あろうが、金が欲しいわけでも医師を罰したいわけでもない。悲しいし、怒っているところへ、これ以上さらに一層、悲しませたり怒らせたりしないで欲しい。 説明や究明など勝手に一切しないで、静かに忘れさせて欲しい。」と要望したとしたらどうであろうか。そのような場合に、事故原因を調査したり説明したりす れば、いわば専断的医療行為とも評すべきであろう。「基本的提言」は、遺族の要望の如何によりけりという基本的な観点に乏しい。
もちろん、全く逆のケースもあろう。医療事故でもないのに、遺族が院内事故調査委員会を開けと要求する場合である。遺族の要望次第とは言っても、「事故」 でもないのに院内「事故」調査委員会を開く必要はない。いくら説明しても聞き分けのない相手に対して、委員会を開催するとしたら、せいぜい「苦情処理」委 員会であろうか。

〈次回に続く〉

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