臨時 vol 5 「パリの訪問看護」
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東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
児玉 有子
2008年12月に、パリにあるHospitalisation A Domicile (HAD:在宅入院連盟;Paris)を訪問し、在宅看護師のリクルート担当、看護教育部長ダニエル・マランド氏と看護師長と訪問看護師の採用条件とその教育プログラムについて議論しました。【HADが求める看護師像】採用の絶対条件は「自立していて、柔軟な対応ができ、責任感がつよいこと」の3点です。それ以外の経験年数や経験した看護、疾患の内容ではなく、あくまでも個人の資質を重視して採用しているようです。したがって、稀に新卒者を採用することもあります。このように、HADは自分たちが一から教育し訪問看護師を育てることを重視している点は、日本の看護業界とは異なります。【HADの看護師リクルート】パリでは深刻な看護師不足が問題となっていて、パリ市内で約6000の看護師ポストが空席と言われています。したがって、看護学生の卒業に合わせて就職するだけでなく、条件さえあえば、いつでも就職することが可能です。パリでは、医療機関の求人情報に年齢や性別などの条件を提示することは法律で禁止されているため、日本のような採用基準は存在しません。しかし、実際にHADへの就職を希望する看護師は35歳から40歳の人が多く、男女比は1対1で、年齢や性別については一定の傾向を認めます。ちなみに、フランス全体の看護師の男女比は大体1対7です。一方、これまでに経験した疾患については、HAD就職希望者の間に一定の傾向はみとめられません。在仏17年の通訳の奥田七峰子さんによれば、「出産や結婚を機に在宅訪問看護師に転職する人が多く、短時間労働で病院勤務に比べ稼ぎが良いことが一つの転職動機になっている。」とのことでした。【就職後の教育体制について】HAD に採用が決定したら、採用2ヶ月後までには一人で患者宅へ出向けるよう、集団での講義、およびチューター制によるOJTによるトレーニングなどが採用後教育として用意されます。講義は小グループで行われ、コミュニ-ションや接遇に関する基礎知識(リレーション学)や化学療法の基礎理論が指導されます。一方、OJTでは、化学療法看護の実践から、ポンプの使用方法や車の運転まで学びます。これら以外の技術の習得ついては、採用時の話し合いで決まります。つまり、個人の経験や理解度に応じ、トレーニング期間内に習得すべき内容と達成目標が設定されます。このように個別に決められた内容はきちんと文章で保存され、期限内にクリアしなければ、採用が取り消されることもあります。OJTの期間中、訪問看護師は新人とベテランがペアとなって患者宅を訪問します。この際、新人は、まず指導者によるケアの実際を見学します。ついで指導を受けながら実践し、最後は一人で看護できるようになります。このような指導体制は、日本の病棟における看護指導体制と類似しています。OJTでは、二人の看護師が患者宅を訪問するのですが、患者の金銭的負担は看護師が一人で訪問するときと変わりません。と言うのは、パリでは訪問看護に対する患者負担は1日190ユーロの定額の包括払い(全額保険から支払われ、患者負担はありません)だからです(ちなみに、疼痛対策のための麻薬処方は包括に含まれますが、抗がん剤は高額であるため、出来高で支払われます)。したがって何人の看護師で患者宅へ出向いても、保険から支払われる額は変わりません。また、訪問看護師を養成するための、政府からの補助金など経済的支援もないようです。このような状況では、HADはトレーニング期間中の新人看護士に対しても賃金を支払わなければならないため、その進捗管理に注意を払わざるを得なくなります。この過程において特筆すべきは、それぞれの段階をクリアしているかどうかのチェックや一人で訪問可能なレベルに達したかどうかなどの判断はすべて、チームの看護管理者の判断にゆだねられていることです。型どおりではなく、現場の柔軟な判断で進められていることです。一概に優劣を議論することはできませんが、この制度は、わが国の研修医がおかれた状況とは対照的です。【HADの訪問看護体制】HADの訪問看護は、パリとその周辺の地域において800人の患者の訪問看護が可能な体制とっています。現在、HADには専従の看護師270名、看護管理者30名、看護助手120名、新生児専門看護師20名、助産師12名、理学療法士10名、運動療法士4名、メディカルソーシャルワーカー20名、臨床心理士4名のコメディカルが勤務しています。これらのメンバーは、いくつかのチームに分かれ活動しています。通常、看護チームは、1名の看護管理者、12名の看護師、6人の看護助手(ヘルパー的役割)、そのほか秘書、メディカルソーシャルワーカー、栄養士、心理療法士が各1名、さらには同じ公立病院組織の病院内に駐在するコーディネーター看護師1名から構成されます。HADに特徴的なのは、コーディネーターの存在です。日本では病院に地域連携室が設置され、病院スタッフがポジションを得て地域との連携強化を図っています。しかし、パリでは訪問看護師が病院内で退院調整の役割を担い、在宅へ橋渡しします。「この人員配置により、在宅への以降をスムーズにすることができる。」とダニエル氏は述べていました。この1チームで約40人の患者を担当し、精神科以外のすべての疾患のすべてのステージを対象とした訪問看護を提供しています。もちろん、在宅での化学療法も提供しています。ちなみにHADの訪問看護師は1日に7人程度の患者を訪問していますが、新人看護師の場合5人程度から開始し、徐々に増やしていきます。【HAD看護師の労働環境】HAD看護師は3交代で勤務しています。その勤務条件は、A:7時から15時30分、B:14時から21時、C:20時から8時までです。しかし、このうちの7時から22時が常時の対応時間で、22時以降はオンコール体制をとります。文化の違いも影響しているかも知れませんが、ほとんどの看護師は超過勤務をすることなく、時間内で仕事を終え帰宅します。ちなみにHADで働く看護師の初任給は1500ユーロです。【HADで提供されている在宅化学療法】HADの訪問看護を受けている患者の平均年齢は72歳ですが、在宅化学療法は50~60歳の患者が対象となっているようです。HADの訪問看護では様々な化学療法を提供しています。たとえば、ナベルビン、5-FU、アドリアマイシン、シスプラチン、カルボプラチン、アバスチン等の抗がん剤が用いられます。ちなみに、新人トレーニング期間中の課題には24種類の抗がん剤が挙げられています。これらの薬の与薬において、与薬にかかる時間が3時間以内であれば全行程に訪問看護師が付き添います。それ以上かかる場合、導入時期と抜針時のみ看護師が付き添います。副作用が出現した場合、約束処方に従い訪問看護師の判断で与薬されます。前回の報告(http://mric.tanaka.md/2008/10/)で、在宅化学療法の実施が予測される患者の初回抗がん剤投与は必ず病院内(入院)で実施され、その際、担当訪問看護師が必ず立ち会うことを報告しました。先ほど、院内にコーディネーター看護師が駐在していると申しましたが、この抗がん剤初回投与に立ち会う看護師は、コーディネーターではなく、実際に在宅で受け持つ訪問看護師です。この立ち会いを通じて、与薬時の注意事項や副作用の観察等についての情報を収集し、病棟看護師と患者情報を共有します。【フランスの看護基礎教育課程における在宅看護】フランスでは、在宅看護という科目が必修になっているのは、公衆衛生看護を専攻する学生だけで、一般的な看護学生にとっては、まだ選択科目の一つに過ぎません。しかしながら、フランス国民の中で在宅医療のニーズが高まり、在宅医療が急速に普及しているため、在宅看護を看護教育の中で必修化しようとする動きがあります。余談ですが、フランスで看護学生が実習するための条件には、就労ビザの保持者/取得可能者であること、各種の予防接種が接種済みであること、賠償保険に加入していること等があるそうです。今回の視察において、患者宅への同行を計画しましたが、私が就労ビザを持たないため実現できませんでした。また、予防接種についても、日本の看護基礎教育課程での臨地実習時に要求されることが多い肝炎ワクチンの接種や小児感染症の抗体価のチェックだけでなく、かなり多くのワクチン接種が求められているようです。賠償保険も1000ユーロ以上のかなり高額の保険へ加入していることが実習の履修条件になっているようでした。フランスが移民国家であることを痛感します。【まとめ】経験よりも「自立、柔軟さ、責任感」という個人の資質を重視した採用条件のもと、個別のトレーニング内容を組み立て、新卒者を採用し育てる体制を用意していることは、これから日本の訪問看護に携わる看護師を増やす上では欠かせない視点ではないでしょうか。これらは大いにフランスから学ぶ点であると私は考えます。今回の訪問は、「通院治療・在宅医療等、地域に根ざした医療システムの展開に関する研究」(班長:湯地晃一郎、東京大学医科学研究所 助教)の一環として、フランスにおける在宅看護の実際と病院と在宅の連携について現地調査を行ったもので、これはその報告の一部です。