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Vol.281 震災から200日、被災者らの生活-相馬市仮設住宅健診に参加して-

医療ガバナンス学会 (2011年10月3日 06:00)


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東京大学医科学研究所
瀧田 盛仁
2011年10月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「余震がくると、子供さ、お母さんに抱きついてしばらく離れないんだよ」
「仮設(住宅)に移って、人がちょっと冷たくなったような感じで、落ち着かんのですよ」
「新しい家をたてて、4年しか経っていなかったんだぁ。床暖房があって、いい家だったのに、津波で全部もっていかれちまった。ローンだけが残り、その支払いを続けてるんだ」
これらは9月19日から25日まで福島県相馬市内の仮設住宅で行われた健診で聞かれた被災者の声である。仮設住宅には、相馬市内の被災者だけでなく、周辺 の南相馬市、飯舘村、浪江町からの被災者も入居されている。仮設住宅に入居している人々の健康は市で守らなければならないという立谷秀清 相馬市長の考えから相馬市が主催となって健診が実施された。相馬中央病院及び地元開業医からの応援も含め医師有志のべ18人、その他、看護師、岡和田所長 をはじめとする相馬市保健センターのスタッフ、香川県から健診車とともに駆けつけてくださった瀬戸健診クリニックの皆さん、市役所及び社会福祉協議会のボ ランティアスタッフが集結した。

●震災による精神的影響
「(大地震直後) 引き留めたのに、お父さんだけが、『海さ、行く』と言って聞かなかった。そしたら、煙みたいのがあがってきて大火事が起こったと思ったら、実は津波で、目 の前でお父さんの軽トラがのみこまれてしまったよ。あの時、強く、父さんを引き留めていればね。その光景が今でも思い出されて涙が止まらなくなることがあ るよ。でも、孫の前では泣けないしね。」
今回の健診の中では、津波を目の当たりにし、さらに家族に犠牲者がいる被災者の精神的影響が目立った。例えば、不眠を訴える被災者が多く存在した。震災 後、不登校になった学生の事例も目立った。現在、相馬フォロアーチームにより継続的な精神的サポートが小・中学校を中心に行われているが、地域の精神科医 療機関が閉院していることから、精神的ケアが絶対的に不足している。

●家族・コミュニティの変化
「避難所を点々としている間に、近所の人とバラバラになってしまって、さみしいね。それから、この先どうしていいのか分からないのが一番、つらいね。(浪江町からの被災者)」
「放射線の測定で、うちの家の周りだけが高くて避難しているんです。毎日、家に戻って犬の散歩はしているんですけどね。同じ地区であっても(放射線量の)高い場所と低い場所があって、今後、どうしたらよいのか。(南相馬市からの被災者)」
「息子夫婦は埼玉さ転勤になって、わしらは孫といっしょに暮らしとる。(浪江町からの被災者)」
「(漁業ができず)海に出られなくて、仕事がない。今はなんとかガレキ撤去で食いつないでいる。」
「病院が残ったのはよかったが、地域の人がおらんようになって、経営がしんどいらしい。いつまで病院がもつか。(南相馬からの被災者、病院勤務)」
震災前、特に漁村地域は気軽に近所の家に上がることができたくらい密接なコミュニティを形成していたという。また、多くは、親・子・孫という3世代同居家 族であった。仮設住宅では、震災前のコミュニティを回復するために様々な試みがなされていた。住居は震災前の居住地区や家族構成に配慮して割り振られ、集 会所ではボランティアによる飲料の無料配布、ラジオ体操、コンサートが企画されていた。
相馬市で最大の仮設住宅地は、工業団地に立地しており、ようやく車同士が離合できる近道を利用しても、市街地にでるまでから車で約6km、約15分かか る。そこで、相馬市のアイディア事業として、交通弱者のために、リアカー隊を結成し、買い物やきめ細かい相談に乗るなどの生活支援も行われている。また、 相馬市とシダックスが連携し、キッチンカーによる夕食の提供が実施されている。しかし、複数箇所から被災者が入居しており、また、失業した被災者が多く、 冒頭に取り上げたように人々の変化を感じる人が多い。

●慢性疾患のフォローアップを
「自営業をしているが、震災後、生活が不規則になって、薬の飲むのを忘れたり、日頃と異なる時間に飲んだりすることが多くなったよ。でも、震災で犠牲となった従業員がいるから、その分まで頑張らないといけないし、病気があっても仕事が優先ですね。」
ある被災者は、津波で妻を失い、食生活が不規則となり血糖値が悪化していた。震災による家族構成や職業の変化が疾病管理に大きな影響を与えている実態が明らかとなった。
このように今回の健診では高血圧や糖尿病のコントロールが不良になっている被災者が散見された。多くは地域の医療機関への通院を再開されていたが、薬の内服を中止したままの被災者もいた。
「この辺は、病院にはできるだけ掛かりたくないっていう人も多くて、ぎりぎりになるまで病院に行かないんだよ」
相馬市ホームページによれば、平成17年度の健診受診率は25.8%と、同年福島県の平均46.8%を下回っている。これらの事実は、本来治療が必要な住民が潜在的に存在し、継続的な働きかけが必要なことを示している。

●見通しが立たないことの不安
「最初は3ヶ月くらいの避難って聞いて逃げてきたけど、だんだん延びて、今じゃ、いつになったら家に戻れるか分かんねーべ。みんな時々家まで帰っているが、放射線って言われると、特に若い世代は住めないし。(飯舘村からの被災者)」
「逃げるところ逃げるところ、放射線量が高いと言われ、今ようやく仮設住宅に落ち着いたんだ。けんど、いつになったら家に帰れるか分からん。(避難が)5年を超えるようなら故郷を捨てんといかん。(浪江町からの被災者)」
原発事故による避難地域からの被災者からは共通して先行きに対する強い不安が聞かれた。

震災前、相馬市はコオナゴ漁で有名で、1日の売り上げが100万円に達する漁師もいたという。深夜0時半に起床し、朝までに漁を終え、昼まで自分の時間を 楽しんで過ごしていた。しかし、彼らが現在直面しているのは、先の見えない漁業制限と、1日3万円の昼間のガレキ撤去作業である。ガレキ撤去作業も今年 12月で終了するという。農業・漁業関係者は突然、生活の糧を失い、生活が一変した。なかには、うつ状態が疑われる被災者もおり、精神的サポートと同時 に、不安の原因となっている避難の今後の見通しを示すことが重要である。

●被災者に医療ケアを
震災から200日が経過した。被災者は懸命に、生活を再建しようとしている。仮設住宅は四畳半を基本とした2Kが中心で、そこに家族2-4人が入居してい る。3世代家族は隣同士で別れて生活されていた。震災前の住居は遙かに大きな間取りと部屋数があり、離れや納屋を持っていた家も少なくない。にも関わら ず、仮設住宅に対する不満は少なく、むしろ入居できたことへの感謝が聞かれた。
「仮設は狭いけど、物が近くにあって、動かなくていいから楽だよ」
医療者として被災地支援をしたいとの思いで今回の健診に参加した。自立した生活を取り戻しつつある被災者がいる一方で、精神的苦痛や将来の不安を抱えたま ま、慢性疾患のケアを放置している被災者もいた。被災者をめぐる医療は十分でなく、今回の健診が被災者の医療ケアの一助となれば幸いである。また、このよ うな被災者に直接、貢献できる施策こそ、現地では望まれていると実感した。

今回の健診をサポートして下さったノバルティスホールディングの皆さん、相馬市保健センター及び相馬市役所の皆さん、健診車を提供してくださった瀬戸健診クリニックの皆さん、宿泊・移動などをサポートして下さった星槎学園の皆さんに感謝申し上げます。

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