医療ガバナンス学会 (2011年10月5日 06:00)
しかし、政策の本筋は、私が前回提起したように、社会保障財源としての消費税率を、例えば、毎年度1%ずつアップすることで経済活性化と両立させるなどの 工夫をしつつ、徐々に引き上げることを前提に、震災復興を財政規律の世界とは切り離して、日本の経済再生のチャンスとして活かすことにあります。この点を 見失ってはいけません。消費税収の国の取り分は全額、高齢世代への社会保障に充てられていますが、それでも毎年度10兆円程度不足し、それが赤字国債とし て3世代にわたり将来世代にツケ回されているという状況は、現世代に生きる者として道徳的にも許されないことです。日本経済は、こうした「大量出血」が体 力を弱め、必要な治療もできないでいる患者のようなものです。
いま、日本経済を治療するチャンスが訪れています。消費税アップによる「止血」の道筋を明確に定めることこそが、日本の財政規律であり、それをしないことで治療のチャンスを十分に活かせなければ、本物の「国家破綻」が訪れることでしょう。
日本には来たる超高齢化社会を持続可能で活力あるものにするためのフロンティアが生まれています。必要なのは、日本が蓄積している莫大な資産ストックを有効かつ積極的に活用することです。今回は、それについてマクロ経済的な側面を論じてみたいと思います。
●「凍結状態」にあった日本のマクロ経済
近年、大幅なデフレギャップの下で、世界最大の対外純資産を抱える日本経済にとっての最大の課題は、「凍結状態」にある日本の巨額な金融資産ストックを国 内での資金フローに回し、有効に活用することにありました。そもそも経済政策の処方箋は、一国経済の需給ギャップの状況如何で大きく異なってきます。労働 力や設備、資本などの生産要素がほぼフル稼働している状態で達成される総供給力は「潜在GDP」と呼ばれます。これと比べて総有効需要がどの程度不足して いるかを示すのが「需給ギャップ」です。
これはいわば一国の生産余力ともいえるもので、日本は総有効需要が潜在GDPを大幅に下回る「デフレギャップ」状態に置かれ続け、その下で、物価は下落基 調、金利は異常な超低金利が続いてきました。毎年度の日本のデフレギャップの規模については、数十兆円規模のものと推定されてきましたが、数百兆円という 数字を指摘する学者もいるように、その見方には大きな幅があります。後述のように、日本は長期的に超高齢化社会という有効需要の停滞要因を抱え続けますか ら、日本経済の体質として基本的にデフレギャップ状態を前提として政策を論じるべきでしょう。
経済がデフレギャップ状態にある状況下では、人々のニーズにおカネがついて有効需要が喚起されれば、それに伴うおカネの支出が誰かの所得になり、それが消 費などの支出を喚起して、それがまた誰かの所得となり、さらに支出を喚起するという連鎖を通じて、経済が拡大していきます。労働力や設備などの生産能力が 有り余っている経済なのですから、需要が拡大すれば、それに応える形で、それまで稼動していなかった生産能力が稼働することで、こうした需要拡大の連鎖に 応じて供給が増え、潜在GDPが顕在化していくことになります。おカネが回ることで増えた所得の一部は貯蓄されますから、それが資産の形成に向かうことで 一国の金融資産も増えることになります。
つまり、「カネは天下の回りもの」となり、国内でおカネが回れば経済が拡大します。しかし、問題は、将来への「不確実性」が大きいときに、人々はおカネを 支出に回そうとしないことです。それは、モノやサービスを購入するよりも、貨幣を保有することをより強く志向する「流動性選好」が高い状態とも表現されま す。その時に経済は不況になります。これはケインズが指摘したことでした。
「合成の誤謬」という言葉があります。これは、各経済主体が自らの経済状態をより良くしようとすることで逆に、各経済主体の経済状態が悪化することを指し ます。多くの家計が将来不安の中で自らの家計を守ろうとしておカネを使わずに貯蓄を増やせば、経済全体の有効需要が減って不況を深刻化させて各人の所得を 減らし、結果として家計はかえって悪化することになります。不況の中で収益を上げるべく多くの企業がリストラを進めれば、経済全体で雇用者所得が減って消 費が減り、各企業の売上げも減って企業の収益はかえって悪化することになります。
「貨幣」の概念を金融資産全体にまで拡大すれば、大きな不確実性に直面してこうした「縮み志向」に陥り、家計も企業もおカネを使わずに「流動性選好」が高 まっていることが、日本の金融資産の積み上がりをもたらしたと表現できるでしょう。不確実性の中でリスクテイクが停滞し、国内で有利あるいは有為な行き場 を見出せないマネーの多くが国債に向かい、あるいは回りまわって海外に出て行くことになります。
このように、国内でおカネが回らないデフレギャップ状態が日本の対外純資産を巨額に積み上げ、海外に過剰なマネーを供給することで、日本は世界のバブルを 促進し、それが結局、日本自らの首をも絞めることにもなりました。せっせと働く日本アリが、モノとカネを世界最大の純債務国である米国キリギリスに供給 し、米国キリギリスは日本よりも高い資産運用益と家計支出水準を謳歌してきました。そろそろ、汗水垂らして築き上げた日本人の資産ストックを日本人自らの ために有為かつ有利に活用することで、この悲しいアリの物語から卒業すべきではないでしょうか。
●未来を描き、資産ストックを「解凍」する。
東日本大震災からの復興は、こうした不幸な状態から日本が脱却する契機になるものです。震災復興を日本が次の局面を切り開くビジョンと設計へとつなげ、 人々を覆う不確実性をいかに軽減していけるか、構想力と知恵が問われています。不確実性を前に各経済主体が縮みあがり、リスクテイクもマネーも凍結状態に ある状況を「解凍」すべく、将来に向けて納得と安心で進める道筋を描くことが、現下の日本では最大の経済政策です。
家計と非金融法人併せて2,000兆円をはるかに超える日本の民間金融資産を生きた資産へと蘇生することが、日本経済の答です。逆に、巨額の金融資産ストックをフローへと引き出して国内で有効に循環させることをしなければ、経済は縮小の道に向かいます。
日本のマネー循環の主流は、家計などの預貯金→金融部門→国債、であり、銀行では預貯金が増えても、貸出残高は減少し、国債への運用が増えるという事態が 続いてきました。それ自体が資産ストックの運用として生産性の高い運用のあり方にはなっていません。しかも、その国債の大半が、過去の政府債務ストックを 支える借換債です。今年度の政府の国債発行額約170兆円のうち借換債は110兆円にも及びます。その残りの部分からも、過去債務の処理に充てられる部分 がありますから、国債が政府の新たな財政支出や財政投融資に充てられて経済のフローに回っている部分それ自体が、小さなものとなっています。
つまり、巨額の政府債務残高が日本の資産運用に借換債という大きな「根雪」部分を生み、これが資産ストックをフローに引き出す上で重石となっているといえます。
フローの世界では、「貯蓄・投資バランス論」というものが経済学の教科書にも出てきます。それからみれば、投資水準が貯蓄水準より低い状態では、その投資 水準にバランスするように貯蓄水準が下がるよう、所得水準も低下するというのがマクロ経済の生理現象です。資産ストックを資産ストックの中で回転させてい るだけでは、経済は縮小の道に向かわざるを得ません。その結果、日本経済は、国内でフローの循環を生み出す力を喪失し、専ら海外経済に依存する形でしか成 長ができず、海外経済の動向に日本が振り回されるという姿になってしまいました。
それがモロに現れたのが、海外依存の「いざなぎ越え」景気回復局面のあと、リーマンショックによる海外需要の消滅で先進国最悪の停滞に陥った日本経済の動 きでした。日本で成長できるのはグローバル部門だけで、就業人口の大半を占める国内ドメスティック部門は、ここ20年あまり、ほぼ一貫して低下してきまし た。
日本経済の最大の課題は、海外依存ではない、自生的で力強い需要の循環を国内で生み出すことです。そのためには、一方では、それを妨げる過去の国債発行残 高の重圧を緩和すべく、財政再建のロードマップを明示するとともに、他方では、そこから解放された資産ストックがフロー化されるよう、新たな価値創造分野 を創出することが不可欠です。
●震災復興で日本のニューディールを
そもそも日本経済の問題の本質は、未曾有の超高齢化社会にあります。「日本の経済問題3D」という言葉があります。DとはDebt(巨額の政府の債務)、 Demography(人口の少子化・高齢化)、Deflation(デフレ)であり、これら3つのうち二つ目のD(超高齢化社会)こそが、日本の病気の 真犯人です。現役世代、つまり生産年齢人口(15~64歳)の人々に比べ、高齢世代の方々はあまりおカネを使いません。いま、消費の主役である現役世代か ら高齢世代へと、人口が急速に移っています。それが国内市場を大きく縮小させていることが、デフレの最大の原因です。今後は毎年、「団塊の世代」が270 万人も引退するのに対し、110万人しか現役世代に加わらない状況が続きます。デフレは税収も減らし、高齢化による社会保障費の増大と相まって、財政を悪 化させます。
ならば、将来の不確実性とおカネの使い道へのイメージ不足から個人資産の大半を持つに至っている高齢世代が、自らその資産を支出に回そうとするような価値や仕組みの創出に向けて社会システムを組み立てることに、日本の課題があることになります。
そこで私は、世界が高齢化する21世紀は、人類がまだその答を持っていない「活力ある超高齢化社会の運営モデル」を世界に先駆けて構築できる日本にとって チャンスの世紀だと捉え、これを国家目標に据えて、「活動し生産し消費し投資する高齢者の物語」を創ることを提案してきました。
いま必要なのは、人々が納得と安心で進むことができる日本の国の新たなストーリーです。超高齢化社会だけでなく、日本は世界が共通して直面する課題の解決 を最初に迫られる国になっています。これは日本の強さです。ならば、日本自ら「世界のソリューションセンター」になることで、新たな活力と国際社会におけ る存在を築くことに国家の将来像を求めるべきでしょう。
今回の震災を契機に、被災地をこうした「ニューディール」の先駆的地域として蘇生し、東北のストーリーを生むことで、被災地をコストセンターからバリュー センターに変貌させるべきです。それによって日本の膨大な資産ストックが、そこに生まれる価値を評価し享受するおカネとして循環することになります。
●東北をコストセンターからバリューセンターに
実は、この「コストからバリューへ」との概念転換こそが、日本の全体システムを持続可能なものへと再設計する上でカギとなる考え方です。
よく、社会保障の負担をめぐって、「低福祉・低負担」か「中福祉・中負担」かの選択肢が議論されますが、日本ではもはや、そうした選択肢自体が成り立たな くなっています。日本で中福祉を実現するためには、「高負担」が必要です。それは、他国に比べ少子化・高齢化が極端な日本では、同じ福祉水準を達成するた めに必要な若年世代の負担はそれだけ大きなものにならざるを得ないからです。また、先進国最悪の財政状態が今後、過去の債務処理にも莫大な負担を国民に求 めることになることがもう一つの理由です。
超高齢化以外にも、少子化対策や教育など他国に比べて支出水準の低い若年層向けの財政ニーズにも応えていかねばなりませんし、国の防衛や国際貢献などに も、これまで以上の資源投入が求められてくるでしょう。もはや日本は、超高齢化社会の経営の財源を、専ら国民負担の増に求められる状況ではありません。
つまり、日本の社会システム運営の財源を「負担」で賄う発想は限界に直面しています。そこには180度の概念転換が必要になっています。何事も金額をコス トと捉えれば、それは少ないほど良く、できるだけ削減すべき対象だということになり、それでも削減できなかった部分を「負担」として公平に分かち合う世界 になります。これに対し、バリュー(価値)であれば、人々の選択で付加価値を生む世界が広がり、金額の拡大とは人々が享受する効用の拡大だということにな ります。
例えば、医療の世界で考えれば、健康という価値に向けて人々が喜んでおカネを支払う部分を組み立てれば、公的医療保険によるコスト負担の部分に、人々の選 択によって投じられてくるおカネが加わることにより、医療の財源が拡充することになるでしょう。医療が提供するバリューが個人に帰属する対価性のあるもの であれば、医療システムに投入されるおカネには、国民医療「費」の世界だけでなく、国民医療「消費」(横山禎徳氏)の部分が生まれることになります。バ リューが特定の個人に帰属しない「公」の価値として提示されるものであれば、それを評価するおカネが寄付的な動機で医療システムに投入されることになりま す。
いわば、「官」が運営する公的健康保険に、「民」の論理での医療消費と、「民が支える公」の論理でのドネーションや資金拠出が加わることで、三層構造の財源システムが構築されます。それが結局は、国民に一律に保証すべき医療サービス水準の底上げを可能にします。
成熟ストック経済のソリューションは、資産ストックを持つ人々が自らの選択でその資産を支出に回すような魅力的なバリューをいかに多様に組み立てていくか に求められます。今般の震災の復興財源について増税論が先行している現状は、従来からのコスト論の域を脱していません。震災「復興」のエコノミクスのカギ を握るのは、復興過程をどれだけバリューの世界に転じられるかです。
日本がその資産ストックを活かすべく、新たなバリュー創造の仕組みを組み立てていく過程で、日本が日本らしいやり方で課題解決への答を出していく国になっ ていけば、その延長上にきっと、「日本新秩序」が形成されていくことになるでしょう。これについては、稿を改めて論じてみたいと思います。