医療ガバナンス学会 (2011年10月22日 06:00)
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私たちが311以降に実施した看護
高田明美(南相馬市立総合病院看護師)
今もなお、多くの方に当院、当地域の医療を守るためにたくさんのお力をお貸しいただいていますことお礼申し上げます。
福島第一原子力発電所の事故により、南相馬市立総合病院の看護部にとっても、多くの想定外の対応がありました。
最大の想定外は、原発事故に伴い避難指示が発令され、入院患者の遠隔地への搬送が求められたにもかかわらず、原発事故のため、DMATやJMAT、看護協 会と言った医療関係団体からの援助がストップしたことです。患者の搬送は自衛隊の患者搬送車両以外、外部からの支援を受けられない環境下で、自力、家族の 力を借りての退院が難しい患者全員を移送することになりました。看護師はできるだけ移送時間を穏やかに過ごせるように、できうるケアを実施して引き渡せる ようにとの思いから、搬送時間に合わせるべく早朝5時前後より、モーニングケアの実施、搬送による揺れからの車酔いに対応すべく、早めの朝食介助、その後 清拭、出発間際には排泄のチェック、おむつ交換実施し、残った資源を最大限活用し、工夫し最低限の看護の提供は最後まで維持する努力をしながらの搬送とな りました。
全入院患者が転院した3月20日以降に、南相馬に残っていた看護師をはじめメディカルスタッフの多くは、最低限の外来機能を維持する病院で勤務するスタッ フと、福島県内外、市内の避難所へ配属配置されるスタッフに大きく分けられ、それぞれの場で市民の安全確保に努めました。避難所では看護師として住民の体 調管理を含め、南相馬の情報提供と連携、市職員として避難所での住民の安全確保と避難住民の要望調整という日ごろとは違う役割、日ごろ扱わない疾患(主に 精神疾患)への対応など戸惑うこともありましたが、多くのボランティア医療者の関わりで避難所対応をしてまいりました。
震災後あらゆる物流が止まり限られた資源を有効活用しながら、病院内では患者に最低限のケアしか届けられないため「ごめんなさい」申し訳ないと思いながら 震災後の看護を続けました。災害支援、原発事故時の看護、医療を見直すきっかけになればと思い、私たちの経験の一端を紹介いたします。
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TEAM JAPAN-今度はボクらが応援する番だ。
長塚智広(競輪選手、社団法人アスリートソサエティ理事)
アスリートソサエティ(以下、AS)は2010年8月、為末大、朝原宣治、松下浩二、朝日健太郎、長塚智広の5人のオリンピアが理事となり「アスリート同 士、アスリートと地域や企業、教育機関とのコミュニティの創造、アスリートと社会に希望をもたらすプロジェクトの実現」を目的に発足したアスリートとプロ フェッショナルサポーターを中心とした団体です。ASには現在100名以上のトップアスリートが参加し、スポーツ、アスリートに関するあらゆる問題につい てともに考え、解決策を探っています。
3月の大震災後、アスリートには何ができるのだろうか、ASで議論しました。常に応援される側のアスリートが、日本を応援できるような取り組みにしたい。 そこで出した結論の一つが「被災地へのアスリート派遣プログラム」です。一度のイベント訪問に終始せず、アスリートが同じ地域に何度も足を運び、その地域 や子どもたちの中に溶け込み、復興支援を長期にわたって継続的に行うプロジェクトです。
子どもたちが普段行っているスポーツをアスリートとして支援しながら、子どもたちとの心の交流から心のケアに繋がる活動ができるだろうか。アスリート個人 個人に何ができるか自問自答しながら、これまで石巻でのバスケットやラグビー教室、相馬高校での陸上教室を継続して実施しています。
参加した子どもたちから、「久しぶりに笑って顔が筋肉痛です!」「自分の記録を更新していきたい、更新することができるという自信を持つことができまし た」「自分に足りない技術、知識を教えてもらって大きな刺激を受けました。」「次回も楽しみにしています!」「今まで悩んでいたことがわかり、モチベー ションが上がりました」という感想を受け取っています。
子どもたちはスポーツを通じ”困難を乗り越える経験”を積み重ねます。アスリートとして支援することで、子どもたちの”有能感(自分の能力に気が付く、達成する喜び)”の向上も期待できると考えています。
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福島第一原子力発電所の北側で機能している最前線の高校としての現状と今後
髙村泰広(福島県立相馬高校教諭)
3月11日の6校時の授業中に地震が起きた。とてつもなく揺れの大きい、長い地震だった。このため、本校の施設の損壊、上水道の遮断、周囲は津波被災や原 発事故に伴う避難、JR常磐線の不通などで、本校は4月15日まで臨時休校、18日から再開した。本校としては、学校長不在、変則的な人事による教員数の 偏り、空間放射線量による屋外活動の不安はあるものの、震災前とほとんど変わらない通常の授業が行われていた。この頃から、本校とネットワークのあった大 学の先生方を中心として様々な教育的な支援が受けられるようになる。5月の連休以降、本校は、原発事故による避難地区の高校が他の高校や施設の中に間借り をして授業を行う、サテライト校の協力校として、これまでとは全く異なった環境で授業を行うこととなった。原町高校の約300名の生徒とその教員、相馬農 業高校の約200名の生徒とその教員が、本校施設で授業を行った。この受け入れ人数は、県内最大である。原町高校は、本校校舎内の視聴覚室、LL教室、講 義室などの特別教室をクラスとして使用し、相馬農業高校は、第二体育館をパネルで間仕切りをしてクラスとして使用していた。勿論、臨時の職員室も数カ所に 設置した。9月30日現在、夏休み中に本校の敷地内に仮設校舎が建設され、更に小高工業高校の約200名の生徒とその教員を受け入れており、本校校舎に は、原町高校の約100名の三年生とその教員が残って学習している。このような教育環境だからこそ、生徒の教育効果を高めるような支援を受けての環境作り が重要である。この本校の教育支援ネットワークは、東京大学経済学部の松井彰彦先生・理学部の須藤靖先生から始まり、東京大学医科学研究所の上昌広先生・ 中村祐輔先生・代々木ゼミナールの藤井健志先生、星槎グループの宮澤保夫会長・鍼灸師の藤田義行先生が接続した清水商業高校サッカー部の大瀧雅良先生・競 輪選手の長塚智広選手が率いるアスリートソサエティの選手達と広がっていき、単なる学習面のみならず、運動面でも精神面でも生徒を支援できる体制が整いつ つある。ピンチをチャンスとして本校生徒の教育環境を充実させる必要がある。