医療ガバナンス学会 (2011年11月19日 06:00)
○福島県
山下氏のもう一つの失敗は、うかつにも、福島県と組んだことです。福島県は、震災への対応で、被災した県民の利益を損ねる問題行動が目立ちました。双葉病 院事件のように、県の職員の言動に問題があって社会に大きな迷惑をかけても、責任を明らかにして謝罪するなどの後始末をしようとしません。
南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後、法的権限なしに、書面を出すことなく、口頭で入院病床の再開を抑制し続けました。当時(2011年5月) も今(2011年11月)も、この地域の入院診療サービスは、住民数に比して大幅に不足しています。入院診療が抑制されたため、民間病院の資金が枯渇しま した。苦戦が今も続いており、存続できるかどうか、ぎりぎりの状況です。
福島県立医大は、2011年5月26日、学長名で、被災者を対象とした調査・研究を個別に実施してはならないという文書を学内の各所属長宛てに出しまし た。行政主導で行うからそれに従えとの指示です。福島県の指示による文書だと推測されます。本来なら大議論が始まるはずですが、県立医大内部に、個人の自 由闊達な意見のやり取りが生じた気配が見てとれません。自ら考える個人の存在が見えません。学問は、方法を含めて、何が正しいのか、学問の担い手が自分で 考えて提示します。担い手は、所属施設はあるにしても、基本的に個人です。多様な意見を許容することが、学問の進歩の前提条件です。行政は学問の担い手で はありません。別の論理で動くので、行政が学問を支配すると、行政の都合でデータの隠蔽や歪曲が生じかねません。
被ばくの被害として、最も注意すべきは、チェルノブイリで見られた小児の甲状腺がんです。放射性ヨウ素による内部被ばくが原因だとされています。チェルノ ブイリと福島を比較検討する必要があります。放射性ヨウ素が環境中に放出された総量、放出された期間、体内への取りこみ量などを可能な限り推計して、比較 したいところです。放射性ヨウ素は半減期が短いので、南相馬市で内部被ばくの検査が可能になった時には、すでに検出されなくなっていました。内部被ばくの 検査を担当してきた東大医科研の坪倉医師は、セシウムによる内部被ばくがごく軽度だったこと、放射性物質の体内への取り込みが継続していないことなどか ら、大きな被害はなさそうだと予想しています。しかし、予想は予想であって、結果ではありません。どうしても観察は継続しなければなりません。
なにより重要なことは、長期間にわたる小児の甲状腺がんの検診です。被害を小さくするには、早期発見が求められます。逆に、チェルノブイリで甲状腺がんが たくさん発生した時期になっても、福島で発生していないことが明らかになれば、子供たちとその親の安心感は高まるはずです。ホールボディーカウンターによ る内部被ばくの調査と同様、市町村の方が、住民に近いので、県よりきめ細かな検診が可能です。
ところが、南相馬市の病院には、甲状腺の専門家や甲状腺の超音波検査に習熟した技師がいません。そこで、地元の病院の院長が、関西の専門病院の協力を得 て、小児の甲状腺がんの検診体制を整えようとしました。講演会や人事交流が進められようとしていた矢先、専門病院に対し山下俊一氏と相談するよう圧力がか かり、共同作業が不可能になりました。この専門病院に連絡したのは、県立医大の外科医だそうです。邪魔する正当な理由は考えられません。
さらに、福島県は、南相馬市立総合病院で実施した内部被ばくのデータを一人あたり、5000円で提供するよう、市立総合病院に要請しました。県も内部被ば くの検査を行っています。本来は、それぞれで、成果を発表し、議論するのが学問のあるべき姿です。意見の違いが、進歩を生みます。互いにデータを検証する のは良いにしても、県が一括管理するのは、あまりに危険です。震災での福島県の数々の不適切な行動が、危険であることを証明しています。
福島県・福島県立医大は、放射線被ばくについての被災者の不安が強かったにも関わらず、検診や健康相談を実施しようとしませんでした。しびれを切らした市町村が、県外の医師たちに依頼して検診を始めたところ、県はやめるよう圧力をかけました。
除染についても、住民や市町村は県が主導権をとることを期待しましたが、県は動こうとしませんでした。そこで、地元の高橋亨平医師が中心になって、妊婦の 自宅や、子供が集まる場所の除染を開始しました。高橋亨平医師が、協力者と、飯館村で除染の効果を検証するための実験を実施しようとしたのを、県が邪魔し たと協力者本人から聞きました。県として、邪魔するという行動を選んだことに、びっくりしました。利害得失の判断過程が想像できませんでした。
検診や日常生活の場の除染は、本来、住民に近い市町村が担当すべきです。県を頼りにするのは、県が財源を握っているためではないでしょうか。県は、財源を住民に近い市町村に渡すべきです。
福島県は、自ら関与していないにもかかわらず、地元の市町村が独自に行った検診結果を県に報告せよ、ついては、個人情報を出すことについての同意を地元で取れと指示しました。県や福島県立医大の職員は、検診場所に来ていません。市町村は県の出先機関ではありません。
福島県の指示で動く医師には、住民の生活上の問題や不安に向き合おうとする個人として顔の見える医師がいませんでした。山下氏の言動の影響もあり、福島県の健康調査について、県民に不信感が広がっています。
私自身の体験からも、福島県には、疑問を呈さざるを得ません。私の勤務する亀田総合病院は、東日本大震災で、透析患者後方搬送(文献2)、老健疎開作戦 (文献3,4)、知的障害者施設疎開作戦(文献5)、人工呼吸器装着患者8名の受入れなどの救援活動を、鴨川の様々な機関や個人と協力して実施してきまし た。いずれも、対象は福島県民でしたが、福島県がしばしば活動の障害になりました。
透析患者約800名の後方搬送では、福島県は、自ら搬送するとして、民間での搬送をやめさせておきながら、すぐに搬送を放棄しました。結局、民間のネット ワークで搬送しました。福島県は、救援を遅らせただけでした。現場を混乱させましたが、中止に至った経緯の説明はありませんでした。無責任かつ傲慢と言わ ざるをえません。民間の組織や個人なら許されません。老健疎開作戦を実行した際には、邪魔されると思ったので、県には一切相談しませんでした。人工呼吸器 装着患者の搬送では、県を通さず、官邸を通して自衛隊に頼みました。
おそらく、いたるところで福島県民の利益に反する対応があったと推測します。3月18日に届いた浜通りの中核病院の医師からのメールを紹介します。
昨夜、20km前後で取り残されている500人前後の患者を、当院を中継地として県外に搬送する作戦を、DMATを集結して今日から行うと言う事になり、 まず150人を移送する為に鋭意準備を進めていました。一時的に収容出来る屋内スペースも作り、院長・救急センター長以下、頑張っていました。ところが、 昨日深夜になって中止になりました。
県が断ったと言うのです。理由は搬送先が決まっていないのに動かすな、でした。県の幹部は誰もここまで見に来ていませんし、残留している施設にも電話等で 直接状況を問い合わせていないのです。一刻も早い避難勧告地域からの撤退の為に現場が頑張っているのに、県に潰された格好です。そこにいる人達がどの位持 つのかもわかっていないのに、です!
DMATを投入するために役割分担も決め、まさにGOサインを出した直後に潰されたため、 DMATの人達もこの次はこんなに早く集結してくれないのではないかと危惧しています。
県と県、県と国との要請手順の手違い、との話も漏れ聞いています。 真実は分かりませんが、 何とか、国が主導して搬出作戦を直ぐに再開出来ないでしょうか? 県の一瞬の判断躊躇でどんどん患者さん達が死んでいくんです。 事件は現場で動いているんだ!と申し上げたい。よろしくお願いします。
○憲法上の県の位置づけ
県というのは、実にあやふやな存在です。国には外交や国防といった国にしかできない役割があります。地方自治の主体は住民に近い市町村です。このため、市町村は基礎自治体と称されます。
なぜ県が必要なのか。日本国憲法には県と市町村の区別についての記載はありません。憲法92条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治 の本旨に基いて、法律でこれを定める」と規定しています。「地方自治の本旨」には、「住民自治」と「団体自治」の二つの意味があるとされています。「住民 自治」とは、地方公共団体の運営が住民の意思によって行われるべきことを意味します。「団体自治」とは、国とは独立した、すなわち、国の言いなりにならな い団体が自治を担うべきであることを意味します。憲法学者の高橋和之氏は、地方自治の本旨について、「国家と地域的自治団体との間のチェック・アンド・バ ランスにより、個人の自由を護る」(『立憲主義と日本国憲法』有斐閣)ことだと説明しています。さらに、「団体自治における国とのチェック・アンド・バラ ンスの観点からは、市町村は規模が小さすぎて国と十分に対抗し得ない危惧が残るため、都道府県を挿入したと理解することができる」と述べています。
しかし、県庁の役人は、憲法の規定より、むしろ、歴史的経緯で動いています。都道府県は、明治維新から太平洋戦争後まで、中央政府の地方行政機関でした。 知事は選挙で選ばれるのではなく、勅任官でした。近代憲法の特徴である立憲主義とは、「人権保障と権力分立原理を採用し、権力を制限して自由を実現する」 (同前)ことを意味します。戦前の県は立憲主義に基づく「団体自治」の担い手とはまったく逆の存在でした。戦後も、福島県のみならず、ほとんどの県の役人 の気分は、国の出先機関のままでした。上位下達の中間に位置するので、住民の生活との間に距離があります。存在感を示しにくいので、権威を欲しがります。 所詮、空虚な権威なので、市町村や住民に対して傲慢になり、国に対して卑屈にならざるをえません。日本国憲法の体現する基本価値は個人の尊厳ですが、県庁 の姿勢は、個人の尊厳を守るどころの話ではありません。
住民にとって切実な施策の実行を遅らせる、重要な情報を開示しない、状況を説明しない、市町村が住民のために行おうとすることを邪魔する、このようなこと はすべて、権威を保つためだと想像します。困らせて、頼らせることが統治の常套手段なのです。この状況をみていると、県は不要ではないかと思ってしまいま す。憲法99条は国民ではなく、公務員に憲法を尊重し擁護する義務を負わせています。これは、人権を侵害するのが公権力だからです。福島県庁の職員は、憲 法の意味を理解しているのでしょうか。県がなければどうなるのか、困るのか、良くなるのか、本格的シミュレーションが必要かもしれません。
<文献>
2.小松秀樹:ネットワークによる救援活動 民による公の新しい形.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン; Vol.103, 2011年4月5日. http://medg.jp/mt/2011/04/vol103.html#more
3.小松俊平:老健疎開作戦(第1報). MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン;Vol.76, 2011年3月21日, http://medg.jp/mt/2011/03/vol76-1.html#more
4.小松秀樹:後方搬送は負け戦の撤退作戦に似ている:混乱するのが当たり前.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン; Vol.89, 2011年3月26日.
http://medg.jp/mt/2011/03/vol89.html#more
5.小松秀樹:知的障害者施設の鴨川への受入れと今後の課題.MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン; Vol.124, 2011年4月14日. http://medg.jp/mt/2011/04/vol124-1.html#more