医療ガバナンス学会 (2011年12月21日 06:00)
選定された後継運営主体(地域医療振興協会)は、現在、4月以降の病院運営体制を築けておらず、公募要件を満たさないばかりか、極端な病院縮小が懸念される状況であり、日大光が丘病院との引継ぎにも入れない状況にあります。年度末まで、あと100日、徐々に明らかになるこうした事態は、患者とその家族、近隣住民や病院で働く方々にとってだけでなく、東京北部~近隣都下~埼玉南部といった医療圏にとっても憂慮すべき事態になっています。4月以降、医療内容は ともかく、病床数だけであれば、長い時間をかけて元に戻るかもしれません。しかし、今般の厳しい医療状況、特に、救急体制をめぐる厳しい状況のなかで、その間に医療圏が壊れてしまった場合には、壊れた医療圏を元に戻すことは至難といわざるをえません。
●日大光が丘病院の果たしてきた役割
東京23区の西北、練馬区の地にあって、この20年間、地元住民や地元医療機関のみならず、広い地域から患者を救急搬送する救急隊員のあつい信頼を受けて きたのが、日大光が丘病院です。日大光が丘病院は、日本大学が経営破綻した練馬区医師会立光が丘総合病院を引き受け、大学病院としては決して恵まれた建物 ではないところを、工夫を重ねて現在に至っています。規模は、17診療科病床数342床、2005年に順天堂大学医学部附属練馬病院ができるまでは、練馬 区唯一かつ最大規模の大学病院でもありました。また、経営を引き受けるのと相前後して、日本大学は、練馬区医師会立光が丘総合病院の残した借財にも手をさ しのべています(今回は立ち入りませんが、これが、いわゆる「50億円問題」です。経緯に関しては、片山医学部長が同窓会紙に書かれた記事もご参照ください http://bit.ly/t2rstj )。
医療圏というところでみると、2~2.5次の救急病院として、3次医療機関である日大板橋本院(1037床)と手をたずさえて、長年、東京西北部~近隣都 下~埼玉南部の地域医療を支えてきただけでなく、日大板橋本院のゲートキーパーとして、日大板橋本院が3次医療機関として重症患者の治療に専念できるよう、上手に役割分担してきた病院でもあります。ちなみに、電子データは日大板橋本院と共有しています。特に、小児科に関しては、手厚い体制であることから も、日大光が丘病院が地域で果たしている役割は大きく、都立清瀬小児病院が2010年春にすでに閉鎖、さらに志木市立市民病院も来春縮小が避けられないことが報じられるなか、小児入院患者を一手に引き受けてきた日大光が丘病院の撤退に、地域住民・医療機関の不安が高まっています。また、近隣には、日大光が丘病院ならではの医療内容があってはじめて生活が成り立っている患者さんも大勢集まってきておられます。
一つだけエピソードを書かせてください。病院近くの子どもたちは、救急車のサイレンの音が何種類もあることを、よく知っています。それだけ、いろいろな地 域から頼られている病院だということです。「撤退」が唐突に伝えられた7月中旬以来半年たった現在、事態は厳しさと不透明さを増すばかりです。
●区民の会の活動
事態が伝えられた7月以来、私たちは広く周辺の住民、患者、医療者のみなさんと手をたずさえて1万5千を超える署名を集め(医師会分とあわせて3万筆以 上)、11月には、日大田中英壽理事長、12月に入ってからは志村豊志郎練馬区長ともお会いして、直に日大存続のための協議を求めてきました。残念なが ら、区長は日大との協議を拒否、これを受けて私たちは現在、区に対して監査請求を行っています。
詳しい経緯は割愛しますが、私たちは、日大に経営を継続していただける可能性が残されていると考えています。田中理事長と面会した際にも、ボールは練馬区 の側にある旨のお話をうかがってまいりました。(注:理事長が、様々ないきさつで練馬区に腹を立てていることは事実としても、日大光が丘病院が、過去およ び現在、地域の医療に果たしている役割、また患者や地域住民が同院に寄せている信頼については、十全に理解しておられます。なお、区との間の経緯について の理解は、区発表のものとは全く異なっています。7月4日に、「突然一方的に日大から突きつけられた最後通牒」と練馬区が説明してきた文書は、実は、交渉の過程で練馬区が日大に頼んで書いてもらったものだったことも住民説明会で明らかになりました。)現在、日大光が丘病院は、職員のみなさんの志気は高く、 また、患者、住民も、今後のことに不安を感じながらも、病院に信頼を寄せつづけています。
志村区長とも面談しましたが、一言でいえば、医療行政のトップとしての自覚がまったく欠けています。「(地域医療振興協会で)大丈夫なのか」という問いに対して、「日大にかかったことも、協会にかかったこともない。自分の体験・経験としては、何ともいいようがない」「それは、患者さんが判断すること」「公募・吟味の結果、協会ということに決まった以上、協会を信ずる以外はない」といった具合(http://bit.ly/sNbJ5f)。そして、なにより も、志村区長は、3期目の現在に至る9年間、実質公的な医療機関としての役割を担ってくれている日大の田中理事長とただの一度も会っていません。
●後継医療法人
さて、そのうえで、後継運営法人についてです。8月の公募により、9月に後継運営主体が選定されました。選定されたのは、地域医療振興協会、公募の条件 は、「練馬区報」11月21日号裏面(http://bit.ly/uCRDTp)にも略述されています。なお、土地建物は、区が所有するものを無償で提 供(日大は有償でした)という条件でもあります。10月中旬に振興協会の開設準備室が開設され、私たちも何度か訪問しておりますが、浮き彫りになったの は、半年という短期間で新病院を開設するという計画のそもそもの困難さでした。
まず明らかになったのは、これまで日大光が丘病院が医療圏のなかで担ってきた役割と、後継運営法人の目指す方向性が根本的に異なるという点です。11月 18日に、練馬区議会の医療・高齢者等特別委員会が、振興協会の受託している台東病院を視察したのですが、その際の質疑において振興協会の常務理事から語 られたのは、「小児救急についても、総合医が診る。病院に振るか自分で処置するか。8割9割は自分で処置できる。入院は10人に1人、送り先さえあれば怖いことはない」といった内容だったそうです(実際に視察に参加した議員さんのブログ参照 http://ikejiri.exblog.jp /17043632/ )。
振興協会の語る《患者を送り出す病院》と、これまで日大光が丘病院が担ってきた地域の医療機関から送られてきた《患者を引き受ける病院》とはまったく異なります。これは、振興協会が過去に実績を積んでこられた地方の医療状況と、2次医療機関はすでに多数存在する都市部の医療状況との違いを反映しているよう にも思われます。そして、このことが意味するのは、病院(単体)の性格が変わるというだけでなく、一般の入院医療機関からの転送も含め医療圏全体から患者 を《引き受ける》側の2~2.5次の病院が丸々一つ失われるということ、そしてその余波を受ける周辺の2次、3次の医療機関が確実に困難に直面するであろうということです。これは、患者や救急隊員から見れば、救急車に乗った・乗せたまではよいとして、その先、運ばれる・運ぶ先がなくなるということです。
そして、この間、事態は、さらに深刻になっています。
(その2/2へつづく)