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Vol.347 福島県南相馬市・大町病院から(2)

医療ガバナンス学会 (2011年12月23日 06:00)


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南相馬市大町病院
佐藤 敏光
2011年12月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


入院患者数は59名(満床は57名)となりました。満床以上の人数が入れられるのは、同じ階にある開かれていない病棟の2人部屋のナースコールを繋ぎ直し て使えるようにしたからです。しかし、1単位の病床を増やすのは限界があるようで、ナースコールが鳴りっぱなしというような事態も生じています。

12月から2名の看護師が復職し、看護師数も震災前の約半数の46名となりました。ただ、増えつつある看護師数も1病棟を開くにはまだまだ足らず(急性期 病棟を開くには10名以上必要)、外来(の夜勤)に入ってもらうしかありませんでした。看護師の帰還もすぐには望めず、急性期病床を諦め、看護基準が緩い 療養型(本院には60床と24床の療養型病床があります)を開くか選択に迫られています。

確かに急性期に入院した患者さんの中には病状が安定しなかったり、家族の受け入れができないため入院が長期化する患者さんが出てきています。そのような患者さんを療養型に移すことにより、急性期病床の余裕も生まれるかも知れません。

一方では、急性期と慢性期とでは入院基本料が大きく異なる上、急性期以上に手のかかる慢性期の患者の場合、看護師にかかる負担は今以上に大きくなる可能性 があります。急性期や看護基準の高い病院に厚くする一方で、長期入院患者を社会的入院と決めつけ、早く退院させるために、慢性期病院の入院基本料を減らし 続けてきた日本の医療制度にも原因はあるように思います。

また厚生労働省は9月6日に医師や看護師数が少なくなった被災地の病院に対し、震災前の看護基準(本院は10:1)で請求して良い(9月6日措置)と言っておきながら、入院患者の増加分は2割までと事実上の入院制限を行っています。

3月19日と21日に計124名の入院患者を受け入れてくれた群馬県は県内の病院にオーバーベッドを認める超法規的処置をとってくれましたが、福島県には その動きはありませんでした。3月20日午後に13名の患者がヘリコプターで県立医大に運ばれましたが、入院することなく、外来ホールで1夜を明かした 後、群馬県にヘリ搬送されました。(相馬市に住所があった1患者には県立医大から1日分の入院料の請求がきたそうです)

大町病院は急性期104床と療養型84床を持つケアミックス型の病院で、それなりにバランスを保っていましたが、今回の福島第一原発事故では、福島県内に 受け入れ先が見つからずに大勢の入院患者が残る結果になってしまいました。早期から重症患者を中通りの病院に搬送させたり、内閣府の役人が病院を訪れて避 難指示を出した南相馬市立病院(太田圭祐書;南相馬10日間の救命医療)とは異なり、警戒区域で避難が後回しとなった双葉病院と似た運命を辿るところでし た。

最近大阪にあるテレビ局が災害関連死について番組を作りたいと訪れました。地震や津波のため間もなく亡くなられた方は認定には苦労しないと思います。しかし、搬送された後に肺炎や元々あった疾病のために亡くなった方については、認定が難しくなっています。

仮定の話として、もし原発が爆発しなければ、南相馬市が物流が途絶えなかったら、Speediのデータをきちんと発表し、3日間位の屋内退避で大丈夫だと 保証してくれ、48時間以内のDMATではなく長期滞在してくれる医療スタッフが来てくれていれば、30km圏内の病院の患者は搬送されずに済んだし、現 在のような南相馬市の医療事情(MRIC Vol.341地域医療なくなる不安~南相馬市の現状)にはならなかったように思います。

その意味では搬送後に亡くなった方は災害関連死ではなく、国策関連死とも言え、国策のために尊い命を落とした戦死者と同じだと思うのです。
広島の原爆記念公園にある碑文、”安らかにおやすみ下さい、過ちは繰り返しませんから”は原発事故には当てはまらないのでしょうか。

最後に病魔と闘い、南相馬に残った妊婦のために、国策に抗して自分の財産を除染費用に充てた高橋亨平先生の文章を載せます。You’ll be back!
(こちらからダウンロードしてご覧ください→ http://expres.umin.jp//fukushima/iwillbeback.pdf)

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