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Vol.370  『ボストン便り』(第33回)アジアのヘルスケア改革

医療ガバナンス学会 (2012年1月18日 06:00)


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ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2012年1月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

●香港訪問
「アジアの医療制度改革Health System Reform in Asia」と題する国際会議が、香港大学で2011年12月9日から12日まで開催されました。この会議を主催するのはニュージーランドとオーストラリア の研究者で、ELSEVIERとSocial Science and Medicineという出版社と雑誌がサポートし、ロックフェラー財団が協賛していました。アジアは未だコーカソイド系のリードがないと進まないものかと いう思いを抱きつつも、ポスターセッションでの発表もあったので、何とか日程を調整して香港に向かいました。
初めて訪れた香港は、活気あふれる光の街でした。夜中の11時半に着いた巨大な香港国際空港では、旅行客も空港で仕事をしている人もほとんどが東洋系で、 標識も漢字と英語で書かれていて、香港は中国の一部なのだということを実感しました。空港からリムジンで九龍半島のホテルに到着するまで、煌々と電気のついた高速道路、アパート群、ビル群が続きます。ふと、「節電」という意識はないのかと思いましたが、ちょうどクリスマス前だったので、いつにも増した電飾による飾りつけが、そんな懸念を吹き飛ばすかのように煌めいていました。

●ヘルスケア改革の必要性
香港大学は、九龍半島の向かいの香港島の山の傾斜に沿って位置しています。最寄りの地下鉄の駅からタクシーに乗って、大学の入り口に降ろしてもらうと、そこから会場の大講堂までは、階段とエレベーターで延々と上ってゆきます。大講堂に集まったこの会議の参加者は500人くらいで、医療政策、医療経済、医療 社会学、公衆衛生などを専門とする研究者や実務家が主でした。一部、医師や看護師の資格を持つ参加者もいましたが、参加者の多くは医療系の資格を持ってはいません。医療の直接の提供者でなくても、医療の制度や提供の在り方について、意見や提案ができるということをこの会議は示しているようでした。

基調講演は国連社会開発調査研究所のS. クック氏で、大きく変動を遂げているアジアで、それぞれの国における社会的変化は何であるかを明らかにし、それに応じた保健医療政策を策定することの重要 性を指摘していました。アジアの国々においては、近年の急速な経済発展で、ますます貧富の差が拡大しています。医師不足や医療費の高騰が進む中で、すべての人々に平等なアクセスが保証されるように、国民皆保険の導入や、公的保険と私的保険の組み合わせの模索など、各国で様々な医療制度の在り方が試行錯誤されています。基調講演に続いては、フィリピンや香港やバングラディシュでのヘルスケア改革の試みが紹介されました。

●医療ガバナンス
会議では、様々な国におけるヘルスケア改革の構想や実践が紹介されました。こうした発表を聞いていると、最も重要なキーワードのひとつは「ガバナンス (Governance)」でした。「ガバナンス」というのは、近年社会科学の公共論の領域で注目されている概念で、目標達成のために、官・民を問わず関 連する複数の多様な集団や組織がパートナーシップで結ばれながら、管理・運営・調整を連携して行うという考え方のことです。「ガバナンス」には政治的支配 という含意はなく、行政(ガバメント)とは異なる社会を運営する原動力として期待されています。

こうした考え方によれば、医療ガバナンス(Healthcare Governance)を構成する諸主体は、医療提供者(Healthcare Provider)、政府(Government)、研究者(Academia)、市民社会組織(Civil Society Organization)、企業(Industry)などです。また国際医療ガバナンス(Global Health Governance)という構想もあり、そこには、上記に加えて世界保健機関(World Health Organization)、国際連合(United Nations)や世界銀行(World Bank)などの国際機関、NGO/NPO(Non-Government Organization / Non-Profit Organization)などの参画が望まれていました。
各主体の参加の仕方や度合いは、それぞれの国の制度、ニーズ、主体の力量、主体間の関係性、文化、歴史的経緯などによって異なってきます。日本においてはどのような「医療ガバナンス」がふさわしいのか、いろいろ考えさせられました。

●市民/消費者/患者/当事者の参加
この会議では、ハーバードにおける2008年から2010年までの同僚で、現在は韓国に帰国してソウル国立大学で教鞭をとるジュワンと再会しました。彼 は、産婦人科医であり、社会疫学や医療市民運動の専門家でもあります。今回の彼の発表は、韓国における「医療市民評議会」の社会実験についてでした。
彼の研究チームは、インターネットや広報を通じて114人の一般市民を参加者として募集しました。そしてまず、韓国の医療制度の方向性としてどのようなものが望ましいかを聞く質問票に答えてもらいました。たとえば風邪の薬は公的保険でカバーできるようにすべきか、臓器移植や高額医療はどうか、保険でカバーされる対象を増やす代わりに保険料を値上げすることに賛成かどうか、などといったことを質問しました。その後、参加者に向けて医療制度に関する1日がかり の勉強会を開催し、講師と参加者は熟議(deliberation)をしました。最後に、再び同じ質問票に参加者に答えてもらいました。

その結果、勉強会や熟議を経た後、人々は、それ以前とは違う意見を持つようになりました。つまり、以前の保険料は安ければ安いほどいいという回答は減り、 代わりに支払う保険料が少しくらい上がっても、手厚くカバーされる保険の方がいいと答える人が多くなりました。また、実験的でも最先端の医療を受けたいという人は減り、すでに標準化した医療を受けたいという人が有意に増えるようになりました。結論として、市民の医療制度改革への参加は言うまでもなく重要なので、十分な情報が与えられ、専門家と議論する機会が与えられることで、より良い市民参加が可能になるということでした。
とても共感できる発表でしたが、研究者が開く勉強会がバイアスのかかった内容でないか十分注意する必要があるのではないか、という疑問がわきました。そこ で質疑応答の時間にその疑問をぶつけてみたところ、イギリスからの参加者も疑問を共有してくれました。ジュワンもその通りといい、今後勉強会のプログラム を工夫すること、さらに日本やイギリスなどでも同様の実験的調査をして、共に市民参加の医療を目指してゆこうと誓い合いました。

●ヘルスケア改革の理念と現実
最終日の一日前、香港大学に近いセントラル地区のレストランで会議参加者のための晩餐会がありました。時間に余裕があり、歩いていける距離と聞いたので、 急な坂道を下ってその場所まで行くことにしました。その道筋で、昔ながらの香港の下町の風情を満喫できました。色とりどりの野菜が段ボール箱に山盛りに なっている市場、切った肉が上から釣り下がっている肉屋、木くらげや魚介の干したものが店からあふれ出るように並んでいる乾物屋、何か判断が付きがたい 様々な塊が大きなビンに詰められ薬として売られている伝統医療の店など。道行く人も普段着で、買い物のビニール袋を提げたその町に住むような人ばかりでし た。

このような街並みを興味深く歩いている途中で、鼓笛隊の音楽が聞こえてきました。何かと思ってみてみると、鼓笛隊のパレードの後に、さまざまな宗教団体の 旗を持った人たちが連なり、デモ行進を行っているのでした。ちょうど私が向かう方向からやってきていたので、ところどころに宗教名の入った旗を持つ人々を 含む長い隊列を、目的地に向かいながらずっと見てゆくことができました。隊列が進んでゆくと、宗教名だけでなくメッセージが書かれた旗もありました。どれ も中国語で書かれていましたが、いくつかの旗には、下の方に英語も書かれていました。どうやらこうした宗教団体は、中央政府から弾圧されているので、デモ 行進によって信仰の自由と弾圧の撤廃、人権擁護を訴えていることが分かりました。そうした旗の一つに、目を閉じて裸で横たわる男性の上半身の写真がありま した。その胸から腹にかけては、縦や斜めに数本の長い手術の跡がありました。旗の下には、思想犯として中央政府に捕えられ、死刑となり臓器を摘出された、 という趣旨のことが英語で書いてありました。

中国では、政府に反対するような思想や信条を持つ人々が、思想犯として刑務所に入れられ、臓器を摘出されていることは、以前、コロンビア大学の医療史教授 のディビッド・ロスマンが雑誌に書いていたので知っていました。男性の写真と解説文を読んで、すぐにこのことを思い出しましたが、実際に犠牲になった人の 写真を見て、そしてそれに抗議する人々の列を見て、とても大きなショックを受けました。市民参加、医療ガバナンス、協働など、会議で熱く語られていた言葉 が、あまりにも過酷な現実を前に、急に色あせてくるのを感じました。しかしこうした過酷な現実を変えるためには、人々の命や健康を守るためには、やはり市 民も専門家も政治家もみんなが協力していかなくてはならないのだと思いかえしました。

●アジアのヘルスケア改革
デモが行われていた場所から10分も歩くと、海沿いの大きなショッピング・モールへの歩道橋がありました。モールを覗いてみると、そこにはシャネルやブル ガリやフェラガモ、毛皮や宝石の店、高級スーパーマーケットなどが入っていて、流行の服に身を包んだクリスマスの買い物客でごった返していました。たった 10分でこんなにも異なる二つの世界を見せてくれる香港は、この会議が企画された趣旨、すなわち今日ますます広がりゆく「格差」に対応すべく医療へのアク セスを平等にしようという動機を、身を持って感じるのに、まさにうってつけの場所でした。

このような「格差」、人権侵害、基本的な医療や薬へのアクセスがなく健康が守られていない状況に、アジアの多くの国々が苦しんでいます。この会議に参加して、日本だけでなく、アジアのヘルスケア改革にも取り組んでいかなければならないと、改めて思いました。

<参考資料>
アジアの医療制度改革会議のホームページ

http://www.healthreformasia.com/

ディヴィッド・ロスマンが中国の臓器移植について書いた記事、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌より。

http://www.nybooks.com/articles/archives/1998/mar/26/the-international-organ-traffic/

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学客員教授。ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を 経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。コロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と 現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。現在の関心は日米の患者会のアドボカシー活動。

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