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Vol.371 産科医療補償制度で紛争は増加する

医療ガバナンス学会 (2012年1月19日 06:00)


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井上法律事務所 弁護士
井上 清成
2012年1月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1.日本医事新報オピニオン
日本医事新報4571号(2011年12月3日号)のオピニオン欄に、産科医の池下久弥医師の「産科医療補償制度で紛争は増加する」と題する論稿が掲載された。この論稿に対し、日本医療機能評価機構が反論を行うらしい。現在、制度スタートから3年が経過し、産科医療補償制度の運用実績を振り返りながら見直しが進められている折である。オープンな議論が展開された上で、適切な見直しと再スタートが期待されよう。

「産科」医療補償制度は「産科」だけの問題ではない。世界初の制度で試行的な側面があったので、もともと5年後の見直しが予定されていた。そして、その見直しが終われば、今度は、「全診療科」医療補償制度に移行することも目論まれている。それは全診療科における「不真正な無過失補償制度」の実施にほかならない。
「産科」医療補償制度の見直しの行方は、ただちにすべての医師・医療機関に波及する。目を離せない重要政策課題の一つであろう。

2.紛争は増加するのか
池下医師の「産科医療補償制度で紛争は増加する」の論稿は、論旨明快であるし、法律的にも正確である。見出しを読むだけで、その論旨が見通せよう。それら は、「患者情報が漏出、責任の所在不明確」、「法的安全弁が患者と医師にない」、「個人情報は保護されているか」、「重大な決定を下す委員の選出根拠が不明確」、「調整委員会が裁判の代わり」、「有責なら医賠責に変更」、「医事紛争・刑事訴訟が増える」、「行政処分の拡大強化になる」、「脱退しても患者の 不利益にならない」、「小産科施設は崩壊している」というものである。
法的構造は、まさに池下医師の述べておられるとおりであろう。構造的に見れば、それぞれの見出しは正しい。

現実に「医事紛争・刑事訴訟が増える」勢いなのかどうかは、日本医療機能評価機構がその情報のすべてを把握しているので、すべての情報を公表すれば自然と明らかになろう。2011年11月末時点では、まだ刑事事件化した事例はないものの、補償件数は急速に増えていて既に247件になっているらしい。医事紛争も増加していて、既に訴訟も誘発されているらしいが、医事紛争の数はまだ100件にはいっていないと聞く。多いと見るか少ないと見るかは評価の分かれる ところであるが、いずれにしても日本医療機能評価機構が正確な情報を全面開示することが望まれよう。

3.調整委員会は廃止すべき
「調整」委員会とは奇妙なネーミングの組織である。「産科医療補償制度加入規約」第27条によると、日本医療機能評価機構が別に設置する「医療訴訟に精通 した弁護士等を委員とする委員会」らしい。いわゆる患者側の弁護士達は、この委員会の委員に就任したがるであろう。しかし、いわゆる医療側の弁護士達は果 たして委員になるのであろうか、筆者としては素朴に不思議な気がする。そこで行おうとするのは、いわば「私的な裁判」らしい。ちなみに、私的な刑罰を「リ ンチ」という。法的責任の認定を民間で行おうとするのは、たとえそれが民事責任であったとしても、近代国家が歩んで来た道を逆行してしまいかねない。

ところが、規約には、「調整委員会が当該重度脳性麻痺について加入分娩機関およびその使用人等における重大な過失を認めたときは、加入分娩機関は、正当な 理由がある場合を除き、前条に規定する補償金返還措置を講じなければならない」と明示してある。調整委員会の「認定」権限と、分娩機関の「義務」を明文化 したものと言ってよい。つまり、「調整」委員会は、「調停」委員会でないのはもちろんのこと、むしろ「裁判」委員会とネーミングしてもよいであろう。まさ に、池下医師の言われるとおり、「調整委員会が裁判の代わり」なのである。

4.法的安全弁を設けるべき
究極の問題は、産科医療補償制度には全く法的安全弁がないことであろう。制度見直しの最大の眼目は、法的安全弁を設けることである。そうしないと、産科のみならず、後に波及を受ける全診療科が崩壊しかねない。
ひと口に法的安全弁と言っても、諸々のレベルのものが考えられる。最低限のものは、既に述べた「調整」委員会の廃止であろう。さらに、手続的なものとしては、証拠制限条項が欲しい。民事訴訟における証拠能力を制限するものであり、これは約款に一文を挿入するだけで容易にできる。補償の審査決定通知や原因分 析報告書・再発防止報告書を民事訴訟の証拠としては使用できないようにしてしまう。これらは、医師賠償責任保険における保険会社提出用の医療事故報告書と 同様な性質のものだから、最高裁判所判例に鑑みても問題ない。

5.医師免責あっての無過失補償を
最後に、実は、産科医療補償制度の最大の法的トリックは、補償金3000万円を分娩機関の頭越しに患者家族に直接に交付する点にある。
標準補償約款の第3条第2項で、さりげなく、「当院は、この規程に従い、補償金の支払いに関する業務の一部を運営組織に委託します。」と規定した。一見す ると何の変哲もない当該条項こそが、本制度の中で最高の法的テクニックである。この条項を考え出した担当者は、相当の知恵者と評してよい。もちろん、公式 の制度解説だけでは、「この制度では、分娩機関の事務負担を軽減し円滑に補償を行うために、分娩機関は、補償の事務の一部を運営組織に委託します。」と誰にも気付かれないよう、あっさりと流している。

本来、患者家族に補償金3000万円を支払う者は分娩機関にほかならない。運営組織はその3000万円を分娩機関に補填することだけが役割である。医賠責も全く同じ構造と言ってよい。しかし、もし補償金が本来の流れを辿るとすると、分娩機関は当然、補償金を患者家族に手渡す前に、示談書(和解契約書)を要請するであろう。つまり、医師免責あってこその補償金となる。補償金3000万円の本質は無過失補償なのだから、この示談(和解)は決して違法ではない。
したがって、見直しの際には本来の趣旨にたち戻って、医師免責あってこその「真正な」無過失補償に改めるべきであろう。

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