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Vol.416 水滴石穿

医療ガバナンス学会 (2012年2月27日 06:00)


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ナビタスクリニック立川 医師
財団法人がん研究会がん研究所 嘱託研究員
谷本 哲也
2012年2月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私は1997年に九州大学医学部を卒業後、約10年間日本各地の臨床現場で血液内科を中心とした診療に従事し、2007年からの約5年間は(独)医薬品医 療機器総合機構(PMDA)で薬事行政に携わった。2012年からは再び臨床現場に戻り、がん研究会での研究に加え、ナビタスクリニック立川での診療、福 島県での医療支援や日中医療連携等に関わることになった。本稿では私の活動の一端について紹介させて頂く。

【ナビタスクリニック】
「ナビタス」はラテン語由来の言葉で、勤勉さや熱意を意味する。ラグビー部出身の熱血漢である、院長の久住英二先生らしい命名だ。ナビタスクリニック立川 は2008年6月に、東京都立川市、JR立川駅構内の商業施設「エキュート立川」の4階に開設された。久住先生が最もこだわったのは、「会社や学校を休ま ずに、帰りに気軽に立ち寄れる診療所をつくる」という点で、この立地条件はまさしくそのコンセプトに合致している。小児科、内科を合わせ、1日の外来患者 数は200人前後と非常に多忙な診療所だ。赤ちゃんからご高齢の方まで幅広い年齢層で、患者さんは朝10時から夜9時までひっきりなしに受診される。トラ ベルクリニックにも力を入れており、様々な感染症予防ワクチンの接種、特に昨今話題の不活化ポリオワクチンも個人輸入により取り入れられている。地域住民 からの高いニーズにできるだけ応えられるよう、積極的な取り組みがなされた結果だろう。久住先生とは10年来のお付き合いがあるご縁で、2011年より私 も内科外来の一翼を担わせて頂くようになった。
地域ニーズに合わせた駅ナカ診療所は、JR東日本からもご好評を頂いているようだ。3月29日には神奈川県川崎市に、JR川崎駅直結のショッピングセン ター、「アトレ川崎」がオープンする。この8階に「ナビタスクリニック川崎」が第二号診療所として開設されることが決まり、5月の診療開始に向けて準備が 着々と進められている。

【ときわ会常磐病院でのホールボディーカウンター立ち上げ】
2011年3月の東日本大震災後まもなくから、東京と福島を往復しつつ、私もささやかながら継続的な医療支援に参加させて頂いている。そのような中ご縁が あり、ときわ会グループの常盤峻士先生をご紹介頂いた。9月からはときわ会常磐病院で非常勤医師として採用され、いわき市での医療活動にも関わり始めた。 常磐病院では地域住民の要望を受け、昨年末からホールボディーカウンター(WBC)設置計画が持ち上がった。WBCに関しては全く経験がないものの、私も 立ち上げ作業に関わっている。この2月には若手スタッフを中心に、放射線技師の秋山淳一さん、事務長の神原章僚さん、泌尿器科の新村浩明先生らによるワー キンググループが作られた。どなたも地域のためにと、やる気満々の非常に頼もしい方々だ。WBC稼働の実現には、実際の個々の病院環境に応じて、設置場所 など機器設定上の話から、普段の診療を平行して行う中での、多くの検査希望者への対応方法といった運用上の話まで、様々な課題が生じる。

また、検査結果の説明や、結果に応じた生活指導など、検討すべき問題も多い。WBCに関し具体的なノウハウを持つ人物は、そもそも日本にはほとんどいな い。幸いなことに、東京大学医科学研究所大学院生で、南相馬市を中心に活動している坪倉正治先生の援助を受ける事が出来、順調に立ち上げ作業が進みつつあ る。大学院生といっても、坪倉先生は南相馬市で1万人にも及ぶWBC住民検診を成し遂げ、ごく短期間で日本の第一人者へと成長しようとしている逸材だ。原 発事故による地域住民による影響は、データの地道な積み重ねによる科学的判断と、住民一人一人の状況に応じ個別化した対応が重要になってくる。今回の WBC設置がその一助となることを願っている。

【上海との関わり】
中国上海市出身の同級生の案内で、私が初めて上海の地を踏んだのは、1990年代半ばのことだ。現在国際空港となっている浦東空港はまだ存在せず、上海都 心部近郊にある、こじんまりとした虹橋空港へと降り立った。社会主義市場経済体制のもと、改革開放による爆発的な経済成長が今まさにはじまらんとする時代 だった。当時は高層ビルもまばらで、人々の服装も質素で単調な色合いが主体だったように記憶している。転落防止の自動扉を完備し、2012年には十数路線 を数え、今後も新規路線の開通が次々と予定されている複雑なメトロ網は、もちろんのこと影も形もない。名物の自転車の群れはもちろん、バス、バイクや車も 年代物が多く、排気ガス臭の強い空気を吸い込みながら三輪車(自転車タクシー)で街を見て回った。高齢の人夫が汗いっぱいになり懸命にこぐ自転車に若い私 が乗るのは、なんともいえず申し訳ない気がした。日中の物価の差も今より著しく、観光地や公園の入場料は500円程度の外国人料金と数円程度の中国人料金 に分かれていた。1950年代の日本はおそらくこんな雰囲気だったのだろうと想像した。

この初訪問以来、私と上海の関わりは細々ながら、かれこれ20年近くも続いている。福岡から上海は飛行機で1時間半程度であり、距離的には東京に行くのと 大差ない。学生当時の私は東京よりも上海に行った回数の方が遥かに多かった。上海医科大学整形外科教授(当時)の陳統一先生には個人的に大変お世話にな り、滞在中には様々な面倒を見て頂いた。陳先生は文化大革命当時、上山下郷運動により四川省の農村への下放経験も持つ苦労人だ。数年前に心筋梗塞でステン ト術を受けたが、退官後の現在も精力的に手術を行い、あちこち飛び回る多忙な生活を行っているようだ。また、友人の紹介で劉老人のところを訪問の度に訪れ た。劉さんの父親は、辛亥革命後まもなくの1920年代に60万巻を超える宋・明・清時代の書物を収集した、嘉業堂藏書楼の創設者として歴史上に名を残し ている。魔都上海のイメージを象徴する建築「大世界」の近く、繁華街の南京路の裏道に入ればすぐ彼の家だった。旧イギリス租界の面影を残す、古ぼけて黒ず んだ英国風集合住宅で、さながら「When We Were Orphans」の世界を思わせた。当時の彼は猫の額ほどの小さな部屋に家族3人で住んでいた。普段は非常に質素な暮らしをしているにもかかわらず、日本 から来た私に20代の若者でも食べきれないほどの上海料理を毎回振る舞ってくれたのも思い出深い。その彼も数年前に亡くなってしまった。21世紀の上海は 世界有数の近代都市へと成長し、街の情景はロンドンや東京とさして変わらないものに変貌しつつある。

【日中医療連携の模索】
上海市出身で九州大学医学部を卒業し、現在は福岡市の杉岡記念病院に勤める陳維嘉先生の活躍で、2年ほど前から日中の医療連携に関し、何らかのプロジェク トを立ち上げようという動きが始まった。山形大学や大阪大学、東京大学医科学研究所など日本の大学と、復旦大学や上海交通大学など上海の名門大学との間 で、様々な分野にわたって共同研究計画が進み始めている。立ち上げの段階から私も短い休暇を利用して参加させて頂き、医療連携の道を探る話合いの見学など から関わり始めた。日中では医療をはじめとする社会制度はもちろんこと、国民性や価値観まで全く異なっていることを、私は実感を持って体験している。医療 分野での共同作業は一筋縄ではいかないだろうが、具体的な成果が挙げられることを期待している。

2012年2月には、山形大学客員教授の須栗眞先生(グローバルCOEプログラム拠点形成事務局長)、同特任准教授の成松宏人先生らとともに上海を訪問す る機会を頂いた。ドイツのフライブルク大学での招待講演後すぐの日程で、時差ぼけの身には些か堪えたが、私にとっては30数回目くらいとなる上海再訪と なった。成松先生とともに、私も復旦大学の教員や大学院生の方々を対象に、日本の医療事情について講演をさせて頂いた。多くの受講者の参加があり、中国の 若い世代の関心の高さが伺えた。山形大学医学部と復旦大学公共衛生学院は、ともにゲノムコホート研究に取り組んでいることもあり、2011年には陳先生の 仲介により両校で国際交流協定を締結するまでになっている。徐々にではあるが、具体的な研究へと発展させるための道筋がつき始めているようだ。

これらの日中医療連携が少しずつ形になりつつある背景には、上海在住の梁荣戎さんのご尽力も大きい。1989年の六四天安門事件によって、現代日本人には 想像し難いほどの強い影響を、その人生に受けた世代だ。梁さんは上海社会科学院文学研究所出身だが、当初は幼い子供を残して日本語が全くできない状態で大 阪へ渡り、その後は国立がんセンターでの勤務など、約20年間の日本生活を経て、今では流暢な日本語を操る才女だ。医学的専門用語を駆使しながら、通訳や コーディネーターとして大活躍してくれている。天安門世代が2010年代には日中の架け橋となる貴重な人材に成長しているという、歴史のダイナミズムが感 じられるエピソードだ。

【谷口プロジェクト】
最後に、私も事務局として参加している、原発作業員のための事前の自己末梢血幹細胞採取、谷口プロジェクトについて紹介する。谷口プロジェクト提案後の経 過を解説した文章について、英国医学誌ランセットに3回目となる掲載(電子版)が最近決まった。同誌には世界中から多岐にわたる医療問題について掲載の応 募があるため、論文採択率は非常に低い。今回の文章も、短いレターなら掲載を考えるとの指摘を編集部から受け、厳しい語数制限の中、可能な限り短くまとめ た要点の解説が受理された。それでも、約200年の歴史を持つこの医学総合誌において、同一テーマが1年未満に繰り返し取り上げられるのは極めて異例の扱 いのようだ。それだけ福島原発事故への関心が海外でもいまだ高いということを意味する。谷口プロジェクトの代表、虎の門病院血液内科部長の谷口修一氏は、 この2月に米国サンディエゴで開催された血液骨髄移植タンデム会議でプロジェクトに関する講演を行い、発表後は世界中の移植専門家からスタンディングオ ベーションで迎えられた。約200名程度(日本人は約10名)の聴衆から賛否の挙手をとったところ、9割方が賛意を示したという。注目されるのは1割程度 の反対者も明確に意志表示をしていたことだ。専門家が責任を持ってしっかり議論する文化の存在が伺える。2月25日には日本造血細胞移植学会の年次総会で 被曝医療に関するシンポジウムが設けられており、国内の議論が進むことが期待される。また、谷口氏は4月にスイスのジュネーブで開催される、欧州血液骨髄 移植グループ年次総会での招待講演も決まっている。福島原発事故への対応も数十年の期間を要する息の長い問題だ。今後も粘り強い取り組みが必要であり、私 も事務局の一員として引き続き支援を行っていきたい。

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