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臨時1 vol 201 「「メディアが報道しない東京都立墨東病院事件の背景」

医療ガバナンス学会 (2008年5月19日 11:40)


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国家統制が生み出した東京の医療過疎」

東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門
上 昌広

今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media) 12月3日発行の
記事をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

東京都立墨東病院事件を解説するため、過去2回の配信では東京都内の大病院
のなりたちを説明しました。繰り返しになりますが、その要旨を示します。

1) 東京23区内に700床以上の大規模病院は21施設あるが、その半数は大学病
院で、残りは都立病院、国立病院(ナショナルセンター)、その他(虎の門病院
など)に分類される。
2) 大学病院の大半は私立大学であり、大半が明治から大正期に創設された。
3) 都立病院は伝染病、貧困、精神病患者の隔離を目的として、明治期に創設
されたものが多い。
4) 国立施設は旧日本陸海軍の医療施設を前身とし、戦後に厚生省に移管され
た。
5) 大学病院、都立病院、国立病院の大半が、明治から大正期、および戦後早
期に創設されているため、当時の東京都市圏、つまり山手線内に集中している。
それ以降、医療施設の大規模な移動はなく、近年、新規に大学や大規模病院が創
設されていないため、23区東部、23区西部や多摩地区には大規模な医療機関が少
ない。

石原慎太郎 東京都知事 vs. 舛添要一 厚労大臣論争

東京都立墨東病院事件の報道を受けて、石原慎太郎 東京都知事は国による医
師養成が足りなかったことを、舛添要一 厚労大臣は東京都が地域医療に配慮し
なかったことを責めました。多くのマスメディアで報道されましたから、記憶さ
れている方も多いでしょう。実は、この発言は両方とも一部正しく、一部が間違っ
ています。私が点数をつけるとすれば、舛添大臣が70点、石原都知事の発言が30
点というところでしょうか。

しかしながら、この論争は、石原知事、舛添厚労大臣という知名度の高い政治
家が、テレビで非難を繰り返したため、結果として、国民が問題の本質から目を
そらすことになってしまいました。医療問題に対する貢献を考えれば、石原知事
は舛添大臣の足元にも及びません。しかしながら、その石原知事が、マスメディ
アの報道内容では舛添大臣と五十歩百歩のレベルまで戻したのですから、石原知
事のテレポリティクスの手腕が優れていたと見るべきなのかもしれません。

東京都は医師不足ではなく、医師が偏在している

では、石原・舛添論争のどこが問題なのでしょうか。まず、石原知事の主張か
ら解説すれば、東京都は医師不足であるという前提が間違っていることを挙げな
ければなりません。2005年現在、東京都の人口1000人あたりの医師数は2.8人で
あり、独仏の平均(3.4)には及ばないものの、アングロサクソン系諸国の平均
(2.1-2.7)は大きく上回っています。

このように、東京都全体では医師の数が不足しているとは言えないのですが、
医師の分布には著しい偏りがあります。例えば、千代田区、中央区、港区、文京
区、台東区からなる東京都中央部の二次医療圏では、人口1000人あたりの医師数
は12.6人です。これは全国平均の6.3倍であり、そのうち、5.0人が大学病院、3.
6人が病院に勤務していることが示すように高度医療機関が充実しています。一
方、都立墨東病院が位置する墨田区を含む23区東部医療圏(墨田区、江東区、江
戸川区)の人口1000人あたりの医師数は1.6人であり、江戸川区はわずか0.9人
です。

東京都の23区内の医療提供体制が、全国平均を大きく下回っているということ
を、どの程度の都民が認識しているでしょうか。23区東部医療圏の人口は110万
人であり、東京都の医療のアキレス腱となっています。実際、今回の妊婦事件は、
この地域で生じました。このような実情を、都民に正確に伝えてこなかったこと
は、石原知事、東京都の最大の問題です。

このように、東京都内では医師の総数が不足しているわけではないため、厚労
省が医師養成を怠ったことが原因というのは不適切です。また、東京都はオリン
ピックを開催しようとする自治体ですから、財政状況が悪いため、医療体制を整
備できなかったというのも無理があります。

今回の事件で議論すべきは、東京の東部地域では総合病院の絶対数が不足して
おり、近所で受け入れが出来なかったこと、および東京中央部に位置する大病院
との連携が不十分であったということが出来ます。

どうして、東京東部には医者が足りないのか?

現在、厚労省は妊婦搬送問題の応急処置として、東京全体、あるいは東京圏を
対象とした広域搬送体制の整備に尽力しています。具体的には、IT技術や人的
ネットワークを駆使して、東京都内や東京周辺の医師不足地域と、東京中央部の
病院の間での患者搬送を円滑にしようとしています。確かに、現行の医療体制で
すぐにできることは、これしかないでしょう。その意味で、厚労省の施策は妥当
です。

しかしながら、普段から患者さんの紹介・逆紹介がない遠く離れた医療機関の
間で、迅速な対応が必要とされる救急患者を紹介するのは、どうしても限界があ
ります。むしろ、机上の空論になってしまう可能性が高いでしょう。特に、昨今
のように医療訴訟のリスクが高まれば、万全の

準備が出来ていない病院では、普段つきあいのない医者から紹介された状態の
悪い患者を受け入れるに躊躇するのは当たり前です。やはり、救急患者は、原則
として普段から人的・物的交流が密な地域の医療圏の中で対応するのが理想です。

このように考えた場合、都立墨東病院事件を繰り返さないためには、23区東部
地域の医療体制について、抜本的な見直しが必要です。では、そもそも、なぜ東
京東部には医者が足りないのでしょうか? この理由を十分に考察し、適切な対
策を採らなければ、問題の根本的解決は不可能です。この理由は、冒頭で説明し
ましたように、「大学病院、都立病院、国立病院の大半が、明治から大正期、お
よび戦後早期に設立されているため、当時の東京都市圏に集中している。このた
め、東京東部、西部や多摩地区のような近年、人口が増えた地域には医療機関が
存在しない。」ということになります。では、なぜ、近年、人口が増えた地域に
は病院が存在しないのでしょうか。多数の患者がいて、病院を建てれば経営的に
安定することが予想できる地域に、何故、医療機関は進出しないのでしょうか?

医療費亡国論と新保守主義

以前、ご紹介しましたが1983年に厚生省保険局長の吉村 仁氏(後の事務次官)
が「医療費亡国論」という説を主張されたのを覚えておられるでしょうか。吉村
氏は「ミスター官僚」や「厚生省の歴史を変えた男」とも呼ばれ、「医療費の現
状を正すためには、私は鬼にも蛇にもなる」と言い、医師優遇税制やサラリーマ
ンの二割自己負担などの制度改正を行いました。

実は、1983年から舛添厚労大臣の登場まで、厚労省の医療政策は基本的に吉村
氏が提唱した「医療費亡国論」をベースにしており、東京都内の医師偏在を理解
するためには、医療費亡国論が主張された1980年代の時代背景を認識する必要が
あります。

皆さん、1980年代と言われると何を思い出されるでしょうか。様々な意見があ
るでしょうが、世界中で新保守主義が台頭した時代という見方が可能だと思いま
す。米国ではレーガン、英国ではサッチャーが政治指導者として活躍し、「小さ
な政府」を目指した政治・行政改革が進みました。わが国では、1982年11月に中
曽根康弘氏が総理大臣に就任し、1987年までの在任期間中に、増税なき財政再建
を目指し、超緊縮予算、国営三公社の民営化を断行します。

ちょうど、この時期に厚生省の吉村氏が「医療費亡国論」を唱え、医療費の削
減に努めます。医療費削減は、行財政改革の大きな柱の一つでした。具体的な施
策としては、医療費の自己負担比率を上げることで受診抑制をはかるとともに、
1982年の医学部定員削減、1985年の第一次医療法改正に伴う医療計画策定により
病床数を制限し、医療の供給量を制限しました。この結果、明治維新以後、一貫
して増え続けてきた医学部定員数・病床数が、1980年代以降頭打ちとなります。

ちなみに、医学部定員削減の方針が撤回されたのは本年夏ですし、病床数の規
制は今でも続いています。

クリントン・ブレア政権とバブル崩壊

「医療費亡国論」に代表される医療費抑制政策は、1980年代には程度の差こそ
あれ、世界の多くの先進国が正しいと信じて推し進めました。これは、1970年代
までの「大きな政府」「行き過ぎたリベラリズム」に対する反動だったのでしょ
う。

わが国と英米の医療政策の間に差が生じはじめたのは1990年代です。米国では
クリントンが大統領に就任し、IT革命・情報公開を主導します。この時期、
1980年代までの医療経済学界でのコンセンサスであった「医師が増えれば医療費
が増える」という医師誘発需要学説は、IT化・情報公開が進んだ米国・北欧で
の研究を通じて否定されます。このため、米国は医師養成数増加を加速します。
また、ヒラリー・クリントンは、最終的に挫折するものの、国民皆保険を制度化
しようと試みます。一方、英国では1997年にブレアが首相に就任し、医療費増と
医師養成増員に大きく舵を切ります。このように、英米のいずれにおいても、
1990年代は「小さな政府」に対する反動が起こっています。

一方、1990年代の日本を振り返れば、バブル経済の後遺症のまっただ中でした。
また、政治では1993年に55年体制が崩壊し、不安定な時期を送ります。私が調べ
た限り、1990年代のわが国では、医療費抑制や医療供給抑制を目的とした政策転
換の必要性は議論されず、景気浮揚を目的とした公共投資が繰り返されました。
このように、わが国では、1990年代にレーガン・サッチャー・中曽根時代の医療
費抑制政策が修正されることなく、小泉・ブッシュ政権時代へと引き継がれます。
小泉政権以後、診療報酬の引き下げが進み、わが国の医療が崩壊の危機に瀕して
いることは、皆さんがご存じの通りです。このように考えれば、私は、医療崩壊
もバブルの後遺症の一つとみなすことが可能です。

余談ですが、2008年以降、わが国では医療改革について活発な議論が巻き起こっ
ています。実際に医学部定員数は大幅に増員することは既に決まりましたし、医
療費の価格決定や社会保障の負担に関しても議論が始まりつつあります。丁度同
時期に、米国でもオバマ大統領が登場し、医療制度改革が進みそうです。一方、
日本でも政界再編含みの総選挙が予定されています。来年は、世界的に社会保障
制度が大きく変化する年になりそうです。

政府規制により医療供給の自己調節機能が失われた

話が脱線しましたが、23区東部には何故、病院が少ないのかという問題に戻り
ましょう。結論から言えば、1985年、厚生省が医療費の増加を抑制するために、
都道府県に医療計画の策定を指示し、それ以降は地域の実情に応じて病院を新設
することや、病床数を増やすことが困難になったからです。この制度が始まって
以来、医療の供給は、行政の裁量によりコントロールされることになり、国民・
メディア・議会からは実態が見えにくくなりました。

複雑で高度化した医療現場の実態を、数名の行政官や有識者だけで管理するこ
とは不可能です。しかしながら、わが国は、医学部定員削減、地域医療計画、さ
らに中央社会保険医療協議会(中医協)を隠れ蓑とした全国一律の価格統制を通
じて、国家が医療を統制するようになりました。当然ですが、このような体制で
は、社会の急激な変化に対応することができず、行政の対応は常に後手にまわり
ました。これは、旧ソ連で起こった現象と全く同じです。

実際に、1985年以降、東京都内では地域の中核医療を担うような大学医学部や
大病院が、新しく設立されたことはありません。一方、東京都の人口は1985年以
降、バブル崩壊後の1990年代中盤を除き、一貫して増加しています。特に人口増
加が著しいのは、世田谷区、江東区、練馬区、江戸川区などの東京の区東部と区
西部に集中しています。東京都のHP
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/isei/hoken/zenbun/1bu/06_02.htm
によれば、区東部の既存病床数は7,457床で、東京都の設定する基準病床数
8,024床より567床、比率にして7%少ないことになります。つまり、行政サイドは、
病床不足は7%程度の軽微であると認識しています。これは、どうみても現場の感
覚と乖離していますし、区東部の人口あたりの医師数は、医師不足のわが国の全
国平均より20%も不足しています。

現在、政府・東京都は23区東部地区へ医師への派遣を検討していますが、この
ような弥縫策では焼け石に水です。23区東部の医療過疎は、数名の医師を強制的
に派遣した程度で解決するレベルではありません。もっと、問題の本質を議論す
べきです。この点で、舛添大臣の都立墨東病院事件は東京都のせいだという認識
には問題があります。

私は23区東部の医療過疎は、政府が医療提供体制を規制したため、医療現場の
自己調節機能をストップさせてしまったことが原因であると考えています。1985
年に厚生省による医療計画が始まり、医療提供体制の規制が強化されるまでは、
人口が増加する地域には民間の私立大学法人や医療法人が進出し、地域の医療ニー
ズに対応してきました。その具体例が、戦後になって設立された板橋区の帝京大
学病院や日大病院、大田区の東邦大学病院や品川区の昭和大学病院、三鷹市の杏
林大学病院です。いずれも、戦後の人口急増地域ばかりです。

1980年代に厚労省が「医療費亡国論」という立場にたち、医療供給を制御した
ことは、当時の世界情勢を考えれば妥当です。また、1990年代に米国で、この方
針が見直された際に、わが国が追随できなかったことは、バブル経済崩壊の後遺
症を考えれば理解可能です。問題は、2008年に都立墨東病院事件が発生しても、
医療計画の抜本的な見直しという問題の本質が議論されずに改革の好機を失おう
としていることです。

政府規制の弊害

医療計画という規制の弊害は、多くの専門家が認識しています。おそらく、官
僚や有識者の多くも、この問題を認識しているでしょう。では、なぜ、対応でき
ないのでしょうか。実は、20年以上にわたり、医療計画によって病院の新規参入
は規制されてきたので、道路や農政の補助金と同様に利権が生じ、抜き差しなら
ない状況に陥っています。このため、行政や有識者のレベルでは対応できなくなっ
ています。

例えば、監査法人トーマツのウェブサイト
http://www.tohmatsu.co.jp/news/hc/topics20080430.shtml)で、公認会計士
の渡辺典之氏は以下のように説明しています。

「病院を対象としたM&Aの特徴は、病院事業を売買するというよりは一種の既
得権となっている病床(ベッド)を売買するという側面が強い。これは、各都道
府県が「二次医療圏」の地域ごとに基準病床数(総数)を定めており、その総枠
に対して病床数の不足がない限り増床が認められないこと、また、行政が政策的
に病床数を減少させる方向に導いていることから、個々の病院の経営上の要請に
応じた増床の認可が困難なことが背景にある。そのため、買い手は売り手が保有
する病床数に一義的な関心があり、売り手の既存事業の内容への関心は低いこと
も多い。」

つまり、一部の地域では、病床をもっていることが既得権となり、病床のマー
ケットが存在することがわかります。このような状況では、医師会が地域の病床
数の増加に反対し、自らの資産価値を高めようとするのは自然な振る舞いです。

一方、医療経営評論家である古川俊弘氏は、メディウェルログというブログの
中で、以下のように述べています
http://mediwel.livedoor.biz/archives/847404.html)。

「一般病床の入院患者数が遂に70万人台を切ろうとしています。厚生労働省の
まとめによると今年(著者注 2006年)4月の1日平均入院患者数は、一般病床
で705,952床です。前月比較で3月、4月と2万人近い減少が続いた結果です。こ
のペースでいくと5月には70万人を割り込むことが確実となっています。このた
め病床稼働率は、前月の76.6%から74.4%に低下。とうとう4分の1以上が空床となっ
ています。病床稼働率は、今年2月が80.3%でした。」

「最近、病院関係者の間から聞こえてくるのが「時間がたつほど(病院又は病
床権)試算の目減りが進む」という声です。経営がいよいよ厳しくなったら病院
譲渡すればいいという感覚は通じないという指摘です。」

つまり、一部の病院では入院患者数が少ないのに、病床は空床のまま放置して
おいて、病床権は確保しようとしています。このような振る舞いは、病院経営者
としては経済合理的です。一方、地域の中核病院では、多くの患者が入院を待っ
ています。しかしながら、このような病院は病床規制のため、患者や医療者が如
何に希望したとしても、病院規模を拡大することが出来ません。このため、多く
の患者が手遅れになり、あるいは家族に大きな負担を追わせることになります。

これは、医療者、患者が「医療統制」の辻褄合わせに翻弄している不幸な姿で
す。しかしながら、この問題を如何に解決するか、まだ議論の俎上に上っていま
せんし、国民のコンセンサスには程遠い状況です。墨東病院事件については、背
景に関する詳細な情報提供、および掘り下げた考察が必要です。

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