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Vol.432 神奈川県と大阪府の医師数の差が生じた原因についての一考察

医療ガバナンス学会 (2012年3月14日 06:00)


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横浜市立大学医学部医学科4年
曽原 雅子
2012年3月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


●増え続ける神奈川県の人口と医師不足の現状
平成22年度厚生省の国勢調査によれば神奈川県の人口は9,048,331人に達した。県内の常勤の医師数は9,002人である。平成24年にはさらに約 1.2万人の人口が増加し、1975年に人口の約5%であった65歳以上の人口は平成21年には20%を超えた。今後ますます高齢化する団塊の世代を神奈 川県の医療はどのように支えていけばいいのだろうか。
神奈川県の医師不足(特に産科・外科・小児科・麻酔科)は、1997年2月24日に起きた大和市の大和市立病院事件、2003年から2006年の間で起き た横浜市の堀病院での看護師による無資格助産の際にもしばしば指摘されてきた。また、川崎市は新しく開発された地域でもあり、人口22万人に対して聖マリ アンナ医科大学の付属病院と有馬病院の2病院しかない。

そこで、今回は神奈川県における現状の医師数の不足がなぜ生じたか、という「供給」側の問題について、平成22年度と廃藩置県後の明治5年における人口が神奈川県と同程度の大阪府を比較対象として検証してみた。
現状の医療の供給体制の指標として用いたのは、国勢調査、e-stat、各医師会で提示されている総人口、人口当たりの医師数、病床数あたりの医師数・看護師数、二次医療圏ごとの医師数であり、供給体制の歴史的背景の指標としては、医学部創立の年代、創立者の出身地・職業である。
結果として、神奈川県は大阪府と比べ、1)1947年より前に医学部が一つも設立されていないこと、2)医学部定員数が少ないこと、3)病床数・受療率が低いことが要因として浮かび上がってきた。以下、詳細を述べていきたい。

●神奈川県と大阪府の医師数の比較
平成22年度の病院勤務医師数を比較してみると、神奈川県の常勤医師数0.9万人に対し、大阪府は1.1万人で、0.2万人の差があり、人口10万人に対 する医師数は神奈川県が187.8人で、大阪府は248.1人である。対人口の医師数の差は昭和61年では43人であったが、平成8年からは60人以上で ある。
(参考資料:下記よりご覧ください↓↓)

https://docs.google.com/open?id=0B_p4n7o6rPtlNGNMSm95VGNRb0tzNHJfTkZrbWFKZw

ここで、両者の二次医療圏別の勤務医師数を比較すると、神奈川県では横浜の一部や川崎、平塚を除き、横浜北部、厚木、藤沢、小田原で人口10万人あたりの勤務医数が100人を下回り、大阪府では東大阪市のみで100人を下回っている。つまり、大阪府では東大阪市のみに生じている現象が神奈川県では広範なエ リアで生じていることが分かる。
(参考資料:下記よりご覧ください↓↓)

https://docs.google.com/open?id=0B_p4n7o6rPtlSlpTQ3BIMVJRZmlWZnNpeEdhdml0Zw

●大阪府では人口の増加に先立って医学校が創立されていた
明治4年、中央政府の統治の下で府と県に一元化した行政改革(廃藩置県)が行われると、近代的な地方行政が開始した。神奈川県の人口は、明治5年は約49 万人であり、現在までの140年間で約857万人増加した。一方、江戸時代から商都であった大阪府は、明治5年の人口は53万人が、平成24年度には 8,864,228人で増加量は神奈川県と同程度である。
ところが、神奈川県の医学部創立が可能になったのは第二次世界大戦後であり、大阪府では第二次世界大戦前にすでに4つの医学校・医専が創立されていた。

●なぜ、神奈川県の医学部設立は遅れたのか
現在、神奈川県には横浜市立大学、北里大学、聖マリアンナ医科大学、東海大学の4つの医学部があり、大阪府には大阪大学、大阪市立大学、大阪医科大学、近畿大学、関西医科大学の5つの医学部がある。これらの大学の創立の歴史について調べると以下のような特徴がみられた。

1) 神奈川県にある医学部は、すべて1945年以降に設立されており、大阪府の医学部はその前身となる医専や医学校は主に1945年以前に創立されている。1828年には、大阪女子高等専門医学校(関西医科大学の前身)が、1838年には福沢諭吉らが学んだ適塾(大阪大学の前身)が創立された。
2) 大阪府の医学校・医専の創立者は、福沢諭吉(大阪府出身)、濱地藤太郎(大阪扁桃腺病院院長)、などの適塾門下生をはじめとする大阪府出身の医師や指導者、吉津度(大阪細菌研究所附属病院長、大阪市会議員、衆議院議員)などの大阪府に縁のある政治家たちである。一方、神奈川県の医学部の前身となる仮病院などを創立したのは一般開業医である明石嘉聞や丸善創立者の早矢仕有的や北里研究所などである。
3) 大阪府の医学校の創立者は、京都大学や京都府とのつながりが強い。例えば、関西医科大学の前身の医学校の創立者濱地藤太郎は、彼の恩師である和辻春次(京都大学名誉教授)を初代校長としている。そのため、京都大学から優秀な教員を非常勤で呼び、当時の深刻な経営難の状況下でも医学教育を行うことがで きた。
4) 神奈川県では、横浜港開港の影響により仮病院でアメリカ人医師らによる英米医学が主流だったが、全国的には鎖国時代から続くドイツ医学が主流であったため、東京大学医学部出身の広瀬佐太郎が院長になるとドイツ医学に改められた。さらに、横浜港開港直後から急速にすすめられた外国人街の建築、土地開 発、ペストやコレラの大流行、関東大震災が神奈川県の経済に及ぼした被害は甚大であった。
5) 神奈川県は1601年以降江戸幕府の統治下にあったこともあり、1874年に横浜での医学校創立が検討されたが東京大学の医育統一論派による反対を 受けた。一方、大阪府も大阪医科大学の前身となった医専創立時に同論派による反対を受けたが、京都府との連携や人脈を活かすことで実現した。

以上のような事由により、大阪府と神奈川県の医学部の設立の歴史には100年以上の差が生じ、その結果、大阪府では神奈川県よりもはるかに長い期間、大阪府出身の指導者たちや大阪府に縁のある有力者たちによってその土地に深く根付いた医学教育が施されていたと考えられる。
(参考資料:下記よりご覧ください↓↓)

https://docs.google.com/open?id=0B_p4n7o6rPtleE1YSnUwTDdSMVN5WkZqRW0tRy1vUQ

●医学部の定員数
平成22年度の医学部の定員数を比較すると、この年に入学した学生が正規の就学年数で卒業すれば、平成28年度の神奈川県と大阪府の医学部卒業者数の差は100人となる。
定員数の差は供給できる医師数の差を示すほか、次世代の指導者数の差も示唆する。医師の教育は、大学での講義による教育の他、臨床現場での医師たちから受 けるベッドサイドの教育も欠かせない。現場の医師数が少なければ学生や研修医の指導に当たれる人手が足りなくなり、充実した実習ができなくなる危険性があ る。

●病床数と受療率から
神奈川県の病床数は62,432床、大阪府は95,015床であり、両者の病床数の差は3万を超えている。医師数および看護師数あたりの病床数にすると、 大阪府の方が医療者一人あたりの病床数が多い。さらに県内外の受療率を比較すると、神奈川県は県外へ、大阪府は県内への受療が多い傾向にあり、前者の方が 医師数・看護師数は充足しているように見える。しかし、神奈川県の現状は冒頭でも述べたように医師不足の状態にあり、今後の急速な人口の高齢化により医師 不足はさらに拍車がかかるだろう。
(参考資料:下記よりご覧ください↓↓)

https://docs.google.com/open?id=0B_p4n7o6rPtlV1ZLQVlYeElRdFM1TExxLUlHTlMtZw

●若干の提言
神奈川県の医師の分布状況は二次医療圏別でみると、医学部のある横浜市(横浜市大)、相模原市(北里大)、伊勢原市(東海大)、川崎市(聖マリアンナ医 大)のみで人口10万人あたりの勤務医数が100人以上である。今後、団塊の世代の高齢化により医師不足にさらなる拍車がかかれば、既存の医学部定員数の増加だけでは神奈川県全体の医師数を充足させることは困難である。厚木市や小田原市などの医師不足の深刻な地域で絶対数を増やすためには医学部新設が不可欠であるといえる。

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