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Vol.437 『ボストン便り』(第35回)「大学でどういったことを、いかに教えるべきか」

医療ガバナンス学会 (2012年3月18日 06:00)


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ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2012年3月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。

●日本の大学・アメリカの大学
2012年1月31日に配信されたJMMの、『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』というコーナーで「Q:大学でどういったことを、いかに学ぶべきか」 という問いに、水牛健太郎氏(日本語学校教師、評論家)は、アメリカの大学院で学んだ経験をもとに、「日本の大学には教育力が欠けていると感じています。 これは東大だろうが新設私立大学だろうが基本的には同じことです」と書いておられました。そして「日本の大学の先生は「学者(=研究者)」というアイデン ティティを持っている人が大半」と続けていらっしゃいました。日本の大学がすべてかどうかは分かりませんが、少なくとも私が通っていた日本の大学には、こ の指摘はかなり当たっているのではないかと思いました。
更に水牛氏は、「日本の大学は、何かが学べる「可能性」はもちろんありますが、それが制度化されていないのです。ゼミなどが始まってようやく何を勉強する か見えてきたと思ったらもう就活になってしまう、というのが実態のようです」と書いておられます。これも頷けるところが多くあります。私も学部時代は何を 勉強するかを見つけている段階で、本当に勉強したと思えるのは、大学院に入ってからだったように思います。
水牛氏は、このような状況への処方箋として、「日本の大学で本当に何かを学びたいと思ったら、学生はよほどしっかりしなければなりません。ぼんやりとであ れ何か学びたいことがあるなら、積極的に動くことを進めます。これぞと思う先生がいたら研究室に訪ねていき、どんな本を読めばいいか聞いてみるといいと思 います。そしてその本を読んだらまた訪ねて行って、感想を話してさらに教えを乞うことです」と書いています。

●教師も「しっかり」しなくてはならない
確かにその通りだと思います。しかし、この状況への処方箋として、学生にだけ「しっかり」するように求めるだけでは十分でないと思います。すなわち、大学の先生も、同じように「しっかり」するように仕向けなければならないのではないでしょうか。
「アメリカの大学でも先生の大半は一義的には「学者」というアイデンティティですが、伝統の力や学生からの教師評価などもあって、教育者としての責任感を 持たせることに成功しています」と水牛氏は書いています。確かに私のいるハーバード公衆衛生大学院でも、教師評価は、学生でも教師同士でも誰でもネット上 で自由に見られるようになっています。ですから、どの先生の授業は人気があり、どの先生の授業はイマイチか一目瞭然です。これは、大学の先生方が学生に とってよい授業をしようとするインセンティブに確実になっているでしょう。
実はその他にも、大学での教育力を上げるため、アメリカの大学や学会組織には、学者や研究者を教師に仕立て上げる仕組みがあるのです。基本的な仕組みはだ いたい共通のようですが、大学や学会によって若干異なると思いますので、今回はそうした仕組みを私の所属するハーバード大学とアメリカ社会学会を例にご紹 介します。

●教師を作る大学のプログラム
私は現在、研究員としてハーバード公衆衛生大学院に所属しています。研究員というのは、基本的にすでにPhD(博士号)を持っていて、研究を業務として大 学に勤務している人たちのことで、ポスドクと呼ばれる場合もあります。アメリカ国外の研究員の多くは、自国では既に教授や准教授として教鞭をとっていた人 で、サバティカルなどの長期休暇・休業でハーバードに来ています。
私の同僚の研究員たちは、研究と共に非常勤講師をしていたり、将来的に自国に戻ってアカデミックポジションを得ようとしていたりする、新米大学教師や教員の卵がほとんどでした。
こうした研究員やTA(ティーチング・アシスタント、博士課程の学生が担当することが多い)に対して、ハーバードでは、教師になるために必要な知識や技術 を伝授する様々な仕組みを準備しています。たとえば、シラバスの書き方やプレゼンテーションの仕方のワークショップなどが、定期的に無償で提供されていま す。

●シラバスの書き方を学ぶ
シラバスとは、授業における全体的な目的や授業の流れ、毎回の課題や読んでおくべき参考文献、教材の入手方法、教員への連絡方法、成績評価の仕方など、授 業に関するあらゆる情報を含んだ冊子のことです。アメリカの大学生は高額な授業料を払っているので、それに見合うだけの教育サービスを受けられるかどう か、とてもシビアな目を持っています。シラバスは、学生がどのような講義を登録するか、すなわち、どのような教育サービスを購入するか、を決めるときに大 事な資料になるのです。アメリカで教鞭をとった経験のある教育学者の苅谷剛彦氏は、「シラバスとは、教育サービスの売買における商品の詳細な『カタログ』 である」といっています。
シラバスを上手に魅力的に書いて学生に自分の授業をとってもらうことは、教員にとって死活問題です。というのも、もし学生数が規定の人数に達しなかったら その授業は開講されなくなり、その教師はお払い箱になってしまうからです。そこで、ハーバードでは学生にアピールするようなシラバスの書き方を学ぶワーク ショップの場を設けているのです。そして新米教師や教員の卵たちは、どんなシラバスを書いたら良いのかを学ぶのです。

●授業での話し方を学ぶ
さて、上手なシラバスが書けるようになったら、次に教師には、学生を引き付けるような授業をすることが求められます。いくら素晴らしい論文が書けるほどの 知識があったり、卓越した思想を持っていたりしたとしても、しどろもどろの話し方をしていたのでは、学生に興味を持って聞いてもらえません。面白味のない 授業を続けていれば、当然学生による授業評価は低いものになってしまいます。何よりも、学生に十分な学びを提供できないのですから教師失格です。
そこでハーバードでは、人前で話をする能力を高めるためのワークショップが提供されています。プレゼンテーション能力やパブリック・スピーキング能力を高 めるためのワークショップは、いろいろな形で、頻繁に行われているのですが、例えば私が参加したワークショップは、1週間に2時間、6週間のコースでし た。

講師を務めるのはハーバード附属劇団の指導者で、元同劇団女優という方、スージーでした。1回目は聴衆の注目を集めて、気をそらさないためのアイ・コンタ クトの仕方を学びました。スージーはテニスボールを持ち出してきて、教壇の真ん中に立ち、目があった受講者にボールを投げます。よほどしっかり受講者を見 つめていないと、その人は自分がボールを投げられるとはわからずに、ボールを受け損ねてしまいます。
スージーが見つめると、受講者は自分が投げられるのだと気づき、ボールは落ちることはありません。しかし、次に受講者が教壇に立ち、これぞと思う人の目を 見つめてボールを投げるのですが、なかなか相手は気付いてくれずに、ボールは受け止められることなく落ちてしまいます。それでも、何回か繰り返すうちに、 上手にできるようになりました。
以降、2回目は教室全体に聞こえるための発声の仕方、3回目は言葉だけでは複雑なことや難解なことを分かり易く示すためのボディランゲージの使い方、4回 目は話をしながらスライドを効果的に使うやり方を学びました。そして5回目と6回目では、希望者数人ずつが、これまでに学んだことをすべて生かして実際に プレゼンテーションをして、受講者全員でそれを評価しあいました。

余談ながら、一般にアメリカ人はプレゼンテーションが上手だと思われているようですが、このワークショップに参加して、苦手な人もたくさんいるのだと実感されました。そして、そう人でも努力して何度も練習しているうちに、だんだん上手になってくるのだと思いました。
このワークショップはとても有意義で、私も自分で授業をしたり学会発表したりするときに役立たせたいと思っています。ただ頭では分かっていても、なかなか実際には上手にできないのも本当で、試行錯誤しながら経験を積んでいきたいと思っています。

●教育の質の向上における学会の役割
学会も、その分野の教育の質を向上させるために、様々なリソースを提供しています。例えばアメリカ社会学会の会員になると、社会学の幾つもの分野のシラバ スや授業で使用するための統計調査のデータや図表など教育のための色々なリソースに、ホームページからアクセスができます。
他にも、学生を教育するに当たっての心構えや注意点などのコーナーもあります。例えば、教育活動を行う際の倫理という箇所では、いろいろな具体例を挙げて、教員としてとるべき/とらざるべき態度を示しています。ひとつ例示してみます。

(ケース)ある教授は、学生に「人種と民族、性とジェンダーの社会学」という科目を教えていたが、よりよく理解してもらうようにと、学生に個人的な体験や 意見などを綴った日誌の提出を求めていた。その日誌は後日、採点されて返却されることになった。その教授は、返却の際、廊下のボックスの中に入れて学生た ちに持って行ってもらうようにしていた。

(質問1)学生の日誌に関して、この教授は何か倫理にもとるようなことをしているか。
(質問2)この時この教授は、法律的にも何か侵害行為を行っているか。

(議論)学生によって書かれた日誌は個人情報なので、丁重に扱わなくてはならない。特に、個人的な体験や意見などが書かれている場合はなおさらである。 よって、廊下のボックスに入れて学生たちが自由に持っていくようにすることは、日誌がほかの人に見られる危険があるので、するべきではない。この行為は、 家庭教育の権利とプライバシー法(Family Educational Rights and Privacy Act)に反することになる。

このような具合に、教師の倫理的態度についての解説がなされます。また、ホームページだけでなく、アメリカ社会学会の年次総会でも教育の質の向上のための さまざまなセッションが設けられています。翻って日本社会学会のホームページを見ると、残念ながらそのような情報はのせられていないようです。

●「教師を作る仕組み」導入のすすめ
以上、アメリカにおける「教師を作る仕組み」について紹介してきましたが、ここで私が最も言いたかったのは、「教師としてのアイデンティティ」や「教育者 としての責任感」は、個々の教師が個人的に習得してゆくという側面もありますが、大学や学会などの組織的な支援によって獲得されてゆく側面もあるというこ とです。
大学の先生が、研究者と同時に教師としてのアイデンティティを持ち、授業を構成し、遂行してゆく技術を身に付けることはとても大事です。しかし、それは、 個人がひとりで努力するだけで十分に達成されるものではありません。大学組織の支え、仲間同士の監視、学生からのフィードバックなど、さまざまな社会的な 協力が必要なのだと思います。
日本には日本のやり方があると思いますので、具体的なシステムは諸条件を勘案しながら作ってゆくべきですが、教えるための技術や心構えを学ぶための何らかの仕組みを用意するということは喫緊の課題だと思います。

【参考文献】
・苅谷剛彦、1992、アメリカの大学・ニッポンの大学、玉川大学出版部
・アメリカ社会学会のホームページ http://www.asanet.org/

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学客員教授。ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を 経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。コロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と 現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。現在の関心は日米の患者会のアドボカシー活動。

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