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Vol.442 鑑定医を秘密漏示罪とした最高裁―現場と司法との絶望的な乖離

医療ガバナンス学会 (2012年3月26日 06:00)


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この原稿は講談社「本」4月号より転載したものです

京都大学教授、児童青年精神医学
十一 元三
2012年3月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


●発端となった少年事件
二〇〇六年、奈良県に住む少年が自宅に放火し、家族が死亡した事件は社会に衝撃を与えた。犯人は有名受験校に通う高校生であり、父親は勤務医で経済的に問題のない家庭であった。非行歴のない優等生がどうして家族が三人も犠牲になるような事件を起こしたのか。この点がまず大きな関心を呼んだ。その後、父親が 少年に対して尋常でないやり方で勉強を強制し、しばしば暴力に及んでいたこと、そして放火を計画した動機は父親の殺害にあったことが明らかになった。一 見、これで事件の原因が説明できたかのように思われた。
しかし、たとえ虐待に近い境遇にあったにせよ、エリート街道を歩んできた少年がいきなり殺人を計画するであろうか。さらに謎が現れた。それは、自宅に放火した当日、父親が不在であることを少年が知っていたことである。すなわち、目的とする相手がいないのを知りつつ放火を実行した訳である。
すると、不幸にも犠牲になった母親(継母)に注目が向けられ、犯人の少年が母親と不仲であったかのような報道が現れた。マスコミが得意とする”悪者さが し”である。犠牲者の顔に泥を塗る行為であり、差別的偏見の表われでもある。しかし、いずれにせよ非行歴のない少年がいきなり放火を計画する動機とはなり 得ない。ほかにも、この事件には重要部分にいくつも不可解な点があり、少年を保護した家庭裁判所は精神鑑定の実施を決定した。

●崎濱医師への鑑定依頼
奈良家庭裁判所が鑑定人として選定したのが音羽病院(京都市)神経精神科の崎濱盛三医師であった。崎濱医師は我が国の児童精神医学発祥の地の一つである京都大学医学部を卒業し、大学病院での研修に続き、舞鶴市民病院にて検査機器に頼らない内科診療で国際的に名を轟かせていたDr.Willisの指導を受けた後、精神科医の道を本格的に歩んだ医師である。その後、大津家庭裁判所の医務室技官も務め、少年司法の造詣も深い。実は、崎濱医師は医学部に入る前に社会人を経験しており、高校で体を張って若者の教育にあたり、若いうちから家族を支えてきた苦労人でもある。そのため、秀才コースを歩んできた医師と違い、 多様な生活感情が理解でき、教育に必要な柔軟さと厳しさを持ち合わせるなど、児童精神科医として大切な資質を備えた人物である。

●少年事件の鑑定に必要な資質
ご存じのように裁判の鑑定人は医師以外の職種(臨床心理士など)が務めることもある。しかし、精神障害の関与が疑われる事件では、精神医学の専門家として精神科医が鑑定を行うことが多い。
一方、この事件では放火で三人も死亡しており、改正少年法の下、原則として家裁から検察官送致され、大人の刑事事件と同じ扱い(地方裁判所での公判)に切 り変わって当然の事案である。従って家裁での非公開審判にとどまるか、あるいは刑事事件として公判になるのかについても精神鑑定の結果が大きく影響する。
このような状況を考えると、奈良家裁が人選にあたり必要と考えた鑑定人の資質として、児童精神医学の専門家であることに加え、もう一つ重要なポイントがあったと推測される。それは「発達障害」に詳しいという資質である。

●「発達障害」とは
発達障害は、文部科学省が進める”特別支援教育”や”発達障害者支援法”により広く知られるようになり、解説書も急増した。発達障害にはいくつかの種類が あるが、司法にとってとりわけ重要なのは「広汎性発達障害」(別名、自閉症スペクトラム障害)である。広汎性発達障害は”病気”というより生まれつきの独特な資質特性という方がふさわしい。その第一の特徴は、社会性の根幹部分(”対人相互的反応”と呼ばれる)が育ちにくいこと、第二の特徴は一度関心をもっ た物事に強くとらわれる傾向(”同一性保持”ともいう)である。そのため非常に独特で、時として不可解にみえる行動を生む。
この障害のマイナス面としては、たとえ知能が高くても、相手の心情をうまく感じ取れず、コミュニケーションが苦手で、”常識的感覚”というものがピンと来づらい点が挙げられる。プラスの面については、数理科学、法学、分類学、専門的技能の類に長ける人が多く、研究者や専門家として高い能力を発揮する(ノー ベル賞学者にも多いといわれる)。常識に囚われず我が道をゆく”脱俗性”も長所といえるかも知れない。近年の調査では、広汎性発達障害は人口の2~数%に及ぶとされ、人間というものの理解に欠かせない基礎知識の一つとなりつつある。

●少年の”心の闇”
少年事件の中で近年大きく報道された事件を振り返ると、”まじめな”、”普通の”若者が突然、傷害事件を起こすパターンが目を引く。加害者の中には小学生も含まれ、動機や犯行方法も不自然なものが多い。例えば、愛知県の男子高校生(女性殺害事件)は”人を殺すという経験がしてみたかった”という一見不思議な供述をしている。母親にタリウムを飲ませ、病弱する様子をネットに掲載していた静岡県の女子高校生は”毒物の服用でどのようになっていくか確かめたい” という趣旨のことを述べている。この女子生徒は被害者である母親に特に恨みを持っておらず、事件は謎に思われた。
それ以外にも、被害者への加害動機が見出せない事件が連なっている。それらに対し、マスコミは”親”、”学校”、”社会”に原因を求めようとし、”悪者さがし”でうまく説明できなくなると、一転して”少年の心の闇”とする報道を繰り返した。

●「謎」を解く鍵
読者も既にお気づきのように、奈良で起きた放火事件にはこれら一連の事件と類似した要素がみられる。実はこれらの事件では精神鑑定が実施されており、被告 の少年(少女)に下された診断はいずれも広汎性発達障害である。誤解のないよう補足すると、本障害に決して犯罪親和性があるわけではない。それどころか先 述のように社会を牽引するような人も多い。障害の影響は、苦境に追い詰められた際、一般の少年とは異なる思考過程を辿り、一見不可解な動機で社会常識を超えてしまう点にある。このように少年事件では、生育史や環境などの影響(心理社会的要因)と、発達障害に限らず個人の特質(生物学的要因)のどちらを見落 としても理解を誤ることになる。
恐らく奈良家裁は、広汎性発達障害に詳しいことを鑑定人の要件と考えていたのではないだろうか。実際、崎濱医師の鑑定に先立ち、京都少年鑑別所技官の精神科医が行った診察で少年は”広汎性発達障害でない”とされていた。

●鑑定医が心配した少年の将来
精神鑑定の結果、奈良の放火事件の少年は「広汎性発達障害(特定不能型)」と診断され、父親の暴力的傾向を含め事件の全容がほぼ解明された。崎濱医師はさ らに、事件当日の放火は確定的殺意に基づくものでなかったことを指摘した。そのため、奈良家裁は検察官送致とせず、家裁で審判を終えた。三人も亡くなった 事件としては例外的である。そのため、刑事裁判を求めて殺人罪で起訴することを考えていた奈良地検の目論みは完全に崩れた。厳密な崎濱鑑定のお蔭で、少年 には刑事罰ではなく保護処分(矯正教育施設での更生)が選択されたわけである。
しかし、崎濱医師はその先をみていた。既にメディアを通じて”家族を三人も殺害した恐ろしい少年”というイメージが定着していた。少年院から社会に戻った 後、世間は少年にどのような目を向けるであろうか。さらに不幸なことに、保護者や付添人(弁護士)は鑑定が意味することを全く理解しなかった。そのため、 少年が将来helplessな状況に置かれ、再び不適応に陥ることをなんとか回避したいと崎濱医師は考えた。実際、少年院では非常に安定した生活を送りながら、社会に戻ってから発達障害への配慮やケアを受けられずに大きく混乱し、再非行(再犯)に至るケースは稀ではない。また、社会に衝撃を与えた事件でありながら、同じ過ちを繰り返さないための教訓も得られないまま、これまで同様、事件が風化してしまうのが目に見えていた。

●崎濱医師がとった行動の意味
少年を見殺しにできないと思った崎濱医師は、言論人がこの事件を正しく把握できるよう、供述調書を含む資料を少年事件が専門で元法務教官のジャーナリスト に示した(単行本として講談社から出版)。普段の彼を知る筆者からすると、随分思い切った行動に出たと驚きを禁じ得ない。というのも、医療人としての彼は患者情報の守秘に厳格で、むしろ”堅い”とさえ言えるからである。しかし、それ以上に彼は「治療者」であり「臨床家」であった。すなわち、少年の治療に とってマイナスと判断するや否や、崎濱医師は即座に行動した。自らの保身を考える普通の医師にはできない芸当である。奈良地検が彼を強制捜査し、不当な逮 捕勾留という事態に至った時ですら、ジャーナリストや出版社を恨む発言が一切なかったことも、彼の信念の揺らぎなさを物語っている。実際、少年の更生と治 療について真剣に考えていたのは崎濱医師ただ一人だったのである。
最高裁は崎濱医師の上告棄却にあたり「ヒポクラテスの誓い」を引き合いに出している。そこでは「誓い」が大前提としている治療行為・治療者という文脈から、秘密保持の部分のみ切り離して取り挙げられ、医師の倫理性と結びつけて論じられている。精神科医にとってすら、少年司法の現場は外から理解しづらい領域ではあるが、臨床感覚を持つ者であれば、崎濱医師の行動こそ本質的な意味で「ヒポクラテスの誓い」に立脚することが分かるであろう。

(といち・もとみ 京都大学教授、児童青年精神医学)

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