医療ガバナンス学会 (2012年4月2日 06:00)
~患者の権利を「尊重するだけの医療」から「最優先する医療」へ
健保連 大阪中央病院
顧問 平岡 諦
2012年4月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
戦後、世界医師会は「法よりも何よりも患者の人権(権利)を優先する医療」、すなわち「患者の権利を最優先する医療」を推進してきました。それは、ナチ ス・ドイツでの「合法的だが、非人道的な行為」に多くの医師が関与した、という反省に立っているからです。人権意識の高まった現在の日本の医療現場で、良 好な医師・患者関係を築くためには、必要かつ当然とされる医療がこれです。
ところが日本医師会は「患者の権利を尊重するだけの医療(尊重するが、時にはその他を優先する医療)」を社会に宣言するとともに会員医師に押し付けています。日本医師会が示す「医師の職業倫理」に、つぎの内容から明らかです。
「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、、、」(「医の倫理綱領」より)。
「前回の倫理綱領を含め、その倫理は、1)患者の自立性(autonomy)の尊重、、、、を基本にし、、、」(「医師の職業倫理指針」改定に当たっての序文より)。
「尊重」という言葉は、「対等ないし目下の者に対する敬意」を示す言葉です。人権尊重の「尊重」は「対等目線のことば」です。お互いに尊重しあうというこ とです。人権はすべての人に同等に付与され、誰も犯してはいけないと考えるからです。一方、「患者の人格の尊重」、「患者の自立性(autonomy)の 尊重」の「尊重」は医師から患者への「上から目線のことば」です。「尊重するが、時には他のことを優先する」ことになります。
患者・社会が求めるのは当然ながら、「患者の人権を最優先する医療」です。しかし、日本医師会は「患者の人権を尊重するだけの医療」を社会に向かって宣言 しているのです。このような日本医師会を患者・社会が信頼するはずがありません。医療不信の源になっているのです。医療現場の医師は「患者の人権を最優先 する医療」を必要かつ当然の医療としています。良好な医師・患者関係を築くためです。しかし、日本医師会は「患者の人権を尊重するだけの医療」を会員に押 し付けているのです。これが現場の医師の疎外感の源になっているのです。医療不信と疎外感に耐えきれなくなった医師は現場を去ります。立ち去り型医療崩壊 です。もちろん医療崩壊には多要因が働きます。しかし、根本的な原因は日本医師会が、現代の医療にそぐわない「患者の権利は尊重するだけの医療」を固守す ることにあるのです。
なぜ、日本医師会は「患者の権利を尊重するだけの医療」にこだわるのでしょうか。なぜ、日本医師会は世界医師会の進めてきた「患者の権利を最優先する医療」を受け入れないのでしょうか。その理由は敗戦直後にまでさかのぼるようです。つぎのように考えられます。
ナチス・ドイツにおける「合法的な、しかし非人道的な人体実験」に多くの医師が関与していたように、戦時下の日本においても731部隊のように、「合法的 な、しかし非人道的な人体実験」に多くの日本の医師が関与していました。彼らは戦犯免責により罰せられることもなく戦後の社会へ復帰しました。彼らおよび 彼らを送り出した医学界は倫理的に反省する機会を失ったのです(いまだに日本医学会は反省していません。これが日本医学会の非倫理性です。患者は「治験」 と「非人道的な人体実験」をオーバーラップさせて考えます。これが日本で「治験」の停滞する理由です。)。世界医師会の推進してきた「患者の人権を最優先 する医療」を受け入れることは、「合法的な、しかし非人道的な人体実験」を行ったことを認めることになります。そこで、戦後、日本医師会の中に置かれた日 本医学会は、日本医師会の世界医師会加入をキッカケに、世界医師会の「患者の人権を最優先する医療」を隠すように日本医師会に働きかけました。その代わり として出てきたのが「患者の人権を尊重するだけの医療」です。そして、現在に至っているのです。
日本医師会は、世界医師会の「患者の人権を最優先する医療」を知りながらこれを隠して、日本の医療界へは「患者の人権を尊重するだけの医療」を広げているのです。これが日本医師会の非倫理性です。
戦時下の非人道的な行為が、日本医学会の非倫理性、日本医師会の非倫理性につながり、現在の医療不信、医療崩壊、先端医療の停滞の原因になっているので す。戦後65年以上が過ぎ、「合法的な、しかし非人道的な人体実験」の関係者および当時の医学界の重鎮たちはすでに時代という舞台から消えています。日本 医学会は戦時下の非人道的行為を反省し(何度も公表すればよい)、日本医師会は時代遅れの「医師の職業倫理」を抜本改正し、「患者の人権を尊重するだけの 医療」から「患者の人権を最優先する医療」に変えるのに何の妨げがあるのでしょうか。そうしなければいつまでも、日本の医療危機は改善されないのです。
つぎに世界医師会が推進してきた「患者の人権を最優先する医療」と、日本医師会のその隠し方(その巧妙なごまかし方)を示します。ポイントは二つです。
第一は、「個々の医師としてのあり方」です。
世界医師会は「合法的だが、非人道的な行為」に多くの医師が関与した反省から、「個々の医師」に「合法的な、しかし非人道的な行為」を拒否することを求め ました。すなわち、たとえ政府から非倫理的な行為を強制されても、患者の権利を守る義務を求めました。それがジュネーブ宣言(1948年採択)のつぎの文 章です。「私は、人の命に対する最大限の敬意を持ちつづける。私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すためには、自分の医学の知識を利用 することはしない;I will maintain the utmost respect for human life. I will not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat.」。(なお、これを受けて、アメリカ医師会の倫理綱領III文ではつぎのように表現されています。A physician shall respect the law and also recognize a responsibility to seek changes in those requirements which are contrary to the best interests of the patient。)
「患者の権利」を侵害するのは法だけではありません。表現方法も一般的な言い方に変わってきました。「治療に関わるどのような決定においても患者一人ひと りの最善の利益を第一に考える」(WMA 医の倫理マニュアル2005、序文より)こと、すなわち、「患者の権利を最優先する医療」が「個々の医師」に求められているのです。さらに「外部からの不 当な干渉を受けずに患者の最大利益を基準とした助言を行うこと」を「個々の医師の権利」とまで表現するようになっています(2009年採択のマドリッド宣 言;この部分はのちにも述べます)。
世界医師会はこのような「個々の医師としてのあり方」をClinical independenceあるいはClinical autonomyと呼んでいます。Independenceには「法、政府、その他の何ものからも独立」であることを含んでいます。患者一人ひとりの最善 の利益を第一に考える」ためには「respect for patient autonomy(患者の自律性に対する敬意)」が必要です。しかし、日本医師会は「患者の自立性(autonomy)の尊重」と訳しているのです。日本 医師会はClinical independenceを「臨床上の独立性」と訳していますが、何からの「独立性」と言っているのか不明です。これが日本医師会のごまかしです。
なお、日本医師会雑誌の同特集では畔柳達雄・日本医師会参与が「医の倫理の変遷;世界医師会の取り組みから」の中で、もちろん重要なジュネーブ宣言につい て書いておられる。しかし、ジュネーブ宣言の最重要点である上記内容についてはまったく触れていない。触れないことは「患者の権利を最優先する医療」を隠 そうとする意志の表れでしょう。そのように考えさせるのは、WMA Medical Ethics Manual 2005の日本語版の「あとがき」です。氏はその中で「意訳もして多少の手直しをした」と述べておられるが、その日本語版の中では「respect for patient autonomy」が「患者の自律性の尊重」と訳されています。日本医師会では、氏が中心となって「患者の権利を尊重するだけの医療」を推し進めているの でしょう。医師でない氏(弁護士)だからこそ、医師・患者関係を潰すこのような考えを推し進めることが出来るのだと思われます。
第二は、「医師専門職集団としての、すなわち各国の医師会としてのあり方」です。
政府、その他外部から非倫理的な行為を強制された時、「個々の医師」まかせにして、患者の権利を守ることが出来るでしょうか。非常に難しいのは目に見えて います。そこで世界医師会は、「個々の医師としてのあり方」をバックアップするための「医師集団としてのあり方」を考えました。それは、医師集団として 「患者の権利を最優先する」ことを宣言し、それを基準とする自己規制システムをつくることです。そうすれば、政府、その他外部から非倫理的な行為を強制さ れた「個々の医師」をバックアップして患者の権利を守ることが出来ます。また、「患者の権利を最優先しない」医師を処分することによって患者の権利を守る ことができるのです。
その内容を示したのが、1987年に採択されたWMA Declaration of Madrid on Professional autonomy and Self-regulation、いわゆるマドリッド宣言です。 その後改定されて、2009年採択のWMA Declaration of Madrid on Professionally-led Regulationに引き継がれています。その前文に「個々の医師としてのあり方」をバックアップする「医師集団としてのあり方」が示されています。以 下に示します。
The collective action by the medical profession seeking for the benefit of patients, in assuming responsibility for implementing a system of professionally-led regulation will enhance and assure the individual physician’s right to treat patients without interference, based on his or her best clinical judgment.
「個々の医師としてのあり方」を示す部分が「the individual physician’s right to treat patients without interference, based on his or her best clinical judgment」です。「治療に関わるどのような決定においても患者一人ひとりの最善の利益を第一に考える」ことです。これを「個々の医師の権利」とま で表現しています。これが上述したClinical independenceの内容です。
「医師会としてのあり方」を示す部分が「the collective action by the medical profession seeking for the benefit of patients, in assuming responsibility for implementing a system of professionally-led regulation」です。「the collective action by the medical profession」は医師集団としての行動、すなわち「医師会としてのあり方」です。その内容が以下の部分になります。「seeking for the benefit of patients」は「患者第一の医療」を目指すこと、「in assuming responsibility for implementing a system of professionally-led regulation」は「医師集団としての自主規制システムを構築する責任を果たすこと」です。求められている「医師会としてのあり方」とは、「患者第 一の医療」、すなわち「患者の権利を最優先する医療」をめざすことを宣言し(profess)、その目的に反する会員医師を規制するための自主規制システ ムを構築することです。
文章全体としては、「医師会としてのあり方」が「個々の医師のあり方」を「enhance and assure」するだろうといっています。もし、外部からの不当な干渉を受けた場合には「個々の医師」を医師会としてバックアップすることが出来ます(こ れがenhanceです)。そして、もし、患者の最大の利益を最優先しない医師が出た場合にはその医師を処罰して「患者の権利を最優先する医療」を守るこ とが出来ます(これがassureです)。文章全体として、「個々の医師としてのあり方」をバックアップする「医師会としてのあり方」を示しているので す。世界医師会はこのような「医師会としてのあり方」をProfessional autonomyと呼んでいます。日本医師会は片仮名のプロフェッショナル・オートノミーを使っていますが、その内容は「個々の医師としてのあり方」を示 すことばです。日本医師会のごまかしです。
なお、日本医師会雑誌の同特集で「日本医師会の活動とその課題」について書いておられる森岡恭彦・日本医師会参与は、マドリッド宣言について二点のごまか しをされています。第一点は、上で述べたように、プロフェッショナル・オートノミーを「個々の医師としてのあり方」として述べています。第二点は、引用文 と引用文献とのごまかしです。文献(1)は正しくはWMA Declaration of Madrid on Professionally-led Regulationです。また、折田雄一・滋賀県医師会参与も1987年採択のマドリッド宣言について述べられていますが、Professional autonomyの把握が不十分です。Clinical independenceをバックアップするためにあることを理解されていないようです。また、特集の最後に生涯教育に関する問題が出されていますが、 「マドリッド宣言の内容が医師のプロフェッショナル・オートノミー」とするのは誤りです。マドリッド宣言の内容は「医師会としてのあり方」としての Professional autonomyを示したものだからです。
日本医師会・原中勝征会長は同特集の巻頭言の中で、日本の医療の現状をつぎのように述べられています。「医療については患者の人権尊重の立場から、患者の 自己決定権、インフォームド・コンセントの尊重という考えが普及し新たな医師・患者関係が築かれるようになり、医師の職業倫理の重要性が強調されてい る」。これは正しい現状認識だと思います。「医療については患者の人権尊重」の立場に立つことが、患者・社会から、また現場の医師から求められています。 しかし、日本医師会は「患者の自己決定権、インフォームド・コンセントの尊重という考え」(尊重するが、時には他を優先するという考え)に基づく「患者の 権利を尊重するだけの医療」を普及させてきたのです。
いつの世も、現場の医師は「患者第一」の医療を行ってきました。医師・患者関係を保つために必要だからです。「私は能力と判断の限り患者に利益するとおも う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」(ヒポクラテスの誓いより)、「医の世に生活するは人の為のみ、己がためにあらずということを其 業の本旨とす」(緒方洪庵「扶氏医戒之略」より)、「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」(ジュネーブ宣言より)、「治療に関わるどのような決定に おいても患者一人ひとりの最善の利益を第一に考える」(WMA 医の倫理マニュアル2005、序文より)、このように、医を業(なりわい)とする医師はヒポクラテスの昔から現在まで、「患者第一(To put the patient first)」を原則としてきたのです。その時代に適した「患者第一の医療」を行わなければ、患者からの信頼を得ることが出来ないからです。
現代の「患者第一」の医療は「患者の人権を最優先する医療」です。日本医師会は現代にそぐわない「患者の人権を尊重するだけの医療」にこだわっているので す。この日本医師会のこだわりの結果が、「患者さんご自身が接している先生はいいが、医師会はダメだという方が多い」という会長の懸念になっているのです (日医ニュース第1209号、平成24年新春インタビューより)。日本医師会の考え方を変えなければ医療不信が無くならず、現場の医師の疎外感は無くなりません。また、医療不信による「治験」の停滞が解消しません。日本医師会の「医師の職業倫理」を根本的に改正しなければ解決にはならないのです。
最後に一言、「患者の権利は尊重するが、時にその他を優先する」という判断基準で自主規制システムを作るとどうなるでしょうか。最も危惧する点です。その 判断は「時にその他を優先する」ことが起こります。すなわち、判断が恣意的となるのです。そのようなシステムは会員医師を守るためのシステムではありませ ん。「合法的な、しかし非人道的な人体実験」をも会員医師に強制するシステムになるのです。決して「患者の権利」を守るためのシステムにはなりません。
「患者の権利を最優先する」という唯一つの判断基準を持った自主規制システムこそが、会員医師を守るためのシステムであり、「合法的な、しかし非人道的な人体実験」を拒否でき、「患者の権利」を守ることのできるシステムなのです。これが、マドリッド宣言の内容であり、世界医師会はこのような医師会のあり方 をProfessional autonomyと呼んでいるのです。
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