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Vol.458 神戸の高校生と、宮城・福島を訪れて

医療ガバナンス学会 (2012年4月8日 06:00)


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灘高等学校教諭
前川 直哉
2012年4月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


去る3月27日から29日まで、灘高校の生徒有志8名とともに、宮城・福島の被災地を訪れた。灘高校は神戸市東灘区の私立男子校で、17年前の阪神・淡路 大震災では震度7の激震に見舞われ、大きな被害を受けた地域にある。今回被災地を訪れた高校生たちは、ちょうど阪神・淡路大震災の前後に生まれた子どもた ちだ。

夜行バスで仙台入りし、1日目と2日目は名取市にあるNPO法人ロシナンテスさんのボランティア活動に参加。山元町の果樹園さんで清掃とガレキ拾いを行っ た。大学生のボランティアに混じり、総勢15名ほどでまる一日作業をしても、広い果樹園のごく一部しか綺麗にならない。震災から1年経った現在でもこうし た場所が無数にあると思うと、復興への道のりの長さを実感する。
生徒たちが自分たちの無力さを痛感していたとき、果樹園オーナーの奥さんが声を掛けてくださった。「わあーとっても綺麗になったね、ありがとう!遠くから来てくれたのねえ、すごく元気をもらったわ!」 生徒たちの表情に、明るさが戻った。

ボランティア活動の合間には、津波被害の大きかった沿岸部を訪れた。被災家屋が撤去され、土台だけが広がる風景。名取市の閖上小学校では泥にまみれたラン ドセルが並んでいて、胸が詰まる。海岸沿いに延々と積まれた瓦礫の山を近くで見て、生徒がポツリと呟いた。「瓦礫っていうか……家なんですね、こ れ……」。テレビや新聞だけでは分からない、実際に訪れて初めて気づくこと。一つひとつを、生徒たちは目に焼き付けていた。

3日目は本校OBでもある上昌広先生のご案内で、相馬市を訪れることができた。まずは相馬市役所で立谷市長から震災直後の取り組みと、その後の復興計画に ついてお話を伺う。バイタリティ溢れる市長のお話に生徒たちは引き込まれていく。「市長の使命は、その時点その時点で『次の犠牲者』を出さないことなん だ」と熱く語る立谷市長は、我々が思い描いていた「有事の指導者」の姿そのものだった。

続いて相馬高校へ。南相馬市立総合病院副院長の及川友好先生から地域医療に関する課題を伺った後、相馬高校の高村泰広先生と松村茂郎先生のお蔭で、両校生 徒の交流会が実現した。生徒たちが相互に質問をする。「被災地を訪れるのって、かえってご迷惑じゃないかなと躊躇しちゃう部分もあるんですけど、どういう 点に気をつければいいですか?」「全然迷惑じゃないです。実際に来て、見てもらうことが一番だと思うので、たくさんの方に相馬に来てほしいです」。

はじめはやや緊張気味だった生徒たちも、途中から生徒だけの少人数トークになると一気に打ち解けた様子に。相高生の中には自宅が警戒区域などに指定され、 仮設住宅での暮らしを余儀なくされている生徒も少なくない。自分の部屋が持てず、受験勉強にも専念しづらい状況などを聞いていた。最後に本校生徒から寄せ 書きを送った後、相高生たちは仙台行きのバスに乗る我々をバスの出発まで見送ってくれた。何人かの生徒は、メールアドレスの交換もしていたようだ。

阪神・淡路大震災と同様―いや被災地域の広さと原発事故のことを考えれば17年前のあの時以上に、復興には長い長い時間が掛かることだろう。だが最近の神 戸では、被災地の生活や原発事故に関する報道も少なくなり、3.11の震災は人々の記憶から急速に薄れ始めている。そうした中、被災地を実際に訪れ、自分 の目で見て、直接話を聞くことには、大きな意義があるはずだ。これまでテレビの中の世界だった相馬は、今や灘高生にとってメル友の住む、身近な場所になっ た。生徒たちは全員「また近いうちに東北を訪れたい」と話している。滞在したのは僅か3日間であったが、今回の訪問は確実に、生徒たちに大きな変化をもた らした。

……とここまで書いたところで、上昌広編集長から「少し行儀よく書きすぎじゃないの? MRICって、もっと思ったことをダイレクトに書いていいんだよ!」とお達しが来た。もちろんここまでの文章にも偽りはないが、より率直に本音を書くと、次の通りだ。

私は高校三年生の時、阪神・淡路大震災で被災した。実家の建物は無事だったものの両親の経営する喫茶店は半壊し、大学進学の費用は奨学金とアルバイトで賄った。
よく言われる通り、被災地では地中にあるガス・水道に比べ、電気がいち早く復旧した。久々に観るテレビに映っていたのは傷付いた神戸の町並みでも避難所で もなく、「もし首都圏で同規模の地震が起こったら」という東京発の番組だった。ふざけるな、と電源を切った。窓の外では、崩れた木造の民家がそのままに なっていた。

苦い経験をした神戸だったが、17年経った今、東北の被災地を実際に訪れる人は意外なほど少ない。私自身、初めて被災地を訪れたのは夏休みに入ってから だった。傷跡の癒えぬ岩手県釜石市で瓦礫撤去のボランティアをしながら、深く後悔した。俺はバカだ、なぜもっと早くに来なかったんだ。神戸の人間なら、 真っ先に駆けつけるべきだろう。もし俺が夏休み前に訪れていたなら、生徒たちにも「この夏休みは東北に行け、親に頼みこんででも行け」と伝えられただろう に。

神戸が立ち直れたのは、多くの人々がこの街に来て、応援してくれたおかげだ。そしてたくさんの地域からの励ましを受けて、神戸を愛する人たちが、もう一度 この街を甦らせようと歩み始めたからだ。「自分は被災地には行かないけど、別の形で復興に携わりたい」。そんな言葉は、もう聞き飽きた。現地を訪れようと もせず、遠くテレビの中の「震災」や「原発」を語る人たちを、私は信用しない。生徒たちにはそうした評論家になってほしくないから、何より「被災地の今」 をこの目で見て、現地の人たちの話を聞いて欲しかった。

今回の訪問で大きな収穫だったのは、生徒たちに、被災地で活躍する「カッコイイ」大人たちの姿を見せることができたことだ。NPO法人スタッフのみなさ ん、立谷市長をはじめ相馬市役所のみなさん、相馬高校の先生方、そして医療スタッフの方々…。たとえば震災後、相馬・南相馬で大活躍されている東京大学医 科学研究所の坪倉正治さんは、本校のOBであり、今回訪問した生徒たちの十数年先輩にあたる。相馬・南相馬と東京を往復しながら、住民の方の放射線被ばく の問題に取り組んでおられる坪倉先生の姿は、紛れもなく「カッコイイ」。坪倉先生は中学一年の時に阪神・淡路大震災を経験し、遺体安置所や避難所になって いた灘校と、ぐしゃぐしゃになってしまった神戸の街並みを知っている。

「自分は何のために勉強しているのか」。高校生の悩みは、今も昔も変わらない。未来が描きにくくなっているこの国の高校生たちは、日々の勉強の意義をなか なか見いだせずにいる。そんな彼らにとって、「自分は、こういう時のために勉強してきたんだ」と被災地で活躍する大人たちの姿は、まぶしく映ったことだろ う。相馬高校の生徒たちは大人びており、高村先生・松村先生は「震災後、生徒たちは成長した。『誰かのために役立てる人になりたい』という思いが急速に強 まった」と目を細めておられた。
一人でも多くの高校生に、被災地を訪れてほしい。自分が何のために勉強しているのか、きっと気付くはずだから。

最後になりましたが、今回の宮城・福島訪問では多くの方々にたいへんお世話になりました。本当にありがとうございました。
神戸の学校として、これからも継続的に生徒たちと東北を訪れたいと考えております。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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