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Vol.460 『ボストン便り』(第36回)「病名変更への患者の願い」

医療ガバナンス学会 (2012年4月10日 17:00)


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星槎大学共生科学部教授
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2012年4月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。

●病名による誤解
「慢性疲労症候群をともに考える会」の第2回総会が、2月19日に都内で開催されました。その際に、この会を特定非営利活動法人(NPO)として申請する ことが満場一致で可決され、続いて設立総会が開催されました。NPO法人の名称は、「慢性疲労症候群」という病名を使わない形で、「筋痛性脳脊髄炎の会」 となりました。なぜなら、これまで「慢性疲労症候群」という病名によって患者たちは誤解にさらされてきたから、その病名を使いたくなかったのです。
「慢性疲労症候群」は、世界保健機関の国際疾病分類(ICD-10)において、神経系疾患と分類されていますが、原因が特定化されず、治療法もない病気で す。一般の検査でも異常が検出されません。そのため、患者は、いくら安静にしていてもとれない倦怠感や耐え難い体の痛みのために受診しても、「単に疲れが 蓄積しただけなので休めば治る」、あるいは「精神的なものだから考え方を変えれば治る」などと医師から言われてきました。また、「怠けている」とか、「詐 病ではないか」などと、職場や学校、家族や友人からさえ思われることもあり、患者は全く孤立した状況に置かれてしまいます。
病名が患者の実態を全く表していないことは、長い間患者にとって大きな不満の種でした。2012年3月22日のテレビ東京では、『慢性疲労症候群 「疲 労」と呼ばないで』と題する特集番組が放送されました。病いによって誤解や偏見が生まれるという意味で「慢性疲労症候群」というのは、「スティグマ付けさ れた病い」と言えるでしょう
スティグマとは、社会的偏見によって、社会から被る負の烙印のことです。この概念は、1963年に社会学者のE.ゴフマンの著作で紹介されたもので、人種 や民族や信条、犯罪歴などがスティグマを生むことが知られています。病いや障害もスティグマを生むことが今日知られています。例えば歴史をひも解くと、い くつかの感染症の患者などには非常に厳しいスティグマが負わされてきました。「慢性疲労症候群」も同様に、社会からの無理解と偏見にさらされてきているの です。

●ハンセン病の患者運動
このような、病いによるスティグマを払拭しようとして過酷な運動を繰り広げてきた病いの代表はハンセン病でしょう。ハンセン病はかつて、「らい病」(英語 ではLeprosy)と言われ、人権を侵害するような方法で隔離が行われ、患者の人生は踏みにじられてきました。ハンセン病にかかった人々は、病気による 身体的苦痛だけではなく、忌み嫌われるものとしてスティグマ付けされ、社会から疎外されることに苦しんできたのです。
しかし、そうした中で社会からのスティグマを覆そうと努力してきた人々がいました。その中心は、ハンセン病にかかった患者自身でした。ハンセン病当事者が 立ち上がり、患者会(全国療養所入所者協議会:全療協)を中心に、自らを疎外する社会に向かってスティグマを不当なものとして訴えかけてきたのです。
全療協では、古来より多くのスティグマや偏見を惹起してきた「らい病」という病名をなくし、「ハンセン病」へと変えることを、1952年から訴えてきまし た。これは、アメリカのルイジアナ州カービル療養所の入所者達が、「らいLeprosy」をやめ、らい菌の発見者であるノルウェーの医学者、アルマウエ ル・ハンセンにちなんで「Hansen’s Disease」と呼ぼうとする運動に倣ったものでした。
この病名変更の活動はしだいに社会的に広がっていき、やがて1970年代後半になると、新聞などのマスメディアからは「らい」は消え、「ハンセン病」とい う呼び名が定着していきました。ただし、厚生省(現:厚生労働省)は、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで長きに渡って名称の変更を認めることは ありませんでした。また医学関連学会である「日本らい学会」が「日本ハンセン病学会」に名称変更したのも、1996年に予防法廃止が廃止された後のことで した。患者が病名変更を要求してから、約半世紀たってからやっと、行政や医学会は動いたのでした。
ただいったん動いた後の行政や医学会は、ハンセン病のスティグマ削減のために様々な対応をしてきています。例えば日本ハンセン病学会は2010年に、歴史 上のハンセン病患者を、誤解を招くような性格付けで登場させたゲームソフト会社に対して、偏見・差別を招く表現を避けるように要望書を提出したりしていま す。

●一刻も早い病名変更を
この例をみるとよく分かるのですが、行政や医学会は、病名を変えることにとても慎重です。しかし早く病名が変えられなかったら、その間、患者はずっと偏見や差別に苦しむことになります。スティグマが除去されないままで患者を放置することは許されないと思います。
また、この例からは、たとえ行政や医学会が慎重な姿勢を崩さないとしても、社会の人々がスティグマ付けされた病名を使わないようにして、実質的な病名変更 が可能だということも分かります。しかも、患者がメディアの力を借りたりしながら、病名を変えてきた前例は他にもあります。たとえば「精神分裂病」は「統 合失調症」に、「老年痴呆」は「老人性認知症」に変更されました。
「慢性疲労症候群」という名前を変えて欲しいという願いは、日本だけのものではなく、世界中の患者達の望みです。イギリスやカナダやオーストラリアなどで は「筋痛性脳脊髄炎(ME:Myalgic Encephalomyelitis)」と呼ばれています。この点に関しては、「慢性疲労症候群を考える会」の代表の篠原三恵子氏が2012年1月12日 発行のMRICのVol.362「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」に詳しく書いていますので参考にして頂きたいと思います。

●病名は恣意的
ところで病名というのはどのようにつけられているのでしょうか。実は、そもそも病名というのは恣意的につけられている、という側面もあります。たとえば病 名は、病態を表す名前(多発性硬化症、心筋梗塞)、病気を最初に報告したり病因を発見したりした人の名前(ベーチェット病、川崎病)、病気になる患者が沢 山出た場所の名前(水俣病、四日市ぜんそく)、病態の雰囲気を表現する名前(がん、イタイイタイ病、もやもや病)などなど、いろいろな根拠によってつけら れています。
その他にも、同じ病気なのに複数の名前で呼ばれている病気もあります。たとえば、厚生労働省の出している患者調査などが所収されている『国民衛生の動向』 で、いわゆる脳卒中の統計が示されるときには、「脳卒中」、「脳血管障害」、「脳血管疾患」という3つの病名が、特に何の区別もなく混同して使われていま す。
ちなみにアメリカの小児科医で「慢性疲労症候群」の患者を長く見てきたデイヴィッド・ベル医師は、この病気を「千の名前を持つ病気The Disease of a Thousand Names」といい、同名のタイトルの本を出版しています。すなわちこの病気は、Chronic Fatigue Immune Dysfunction Syndrome, Chronic Immune Activation Syndrome, Fibrositis, Fibromyalgia, Chronic Epstein-Barr Virus Syndrome, Myalgic Encephalomyelitis, Benign Myalgic Encephalomyelitis, Atypical Poliomyelitis, Iceland Disease, Akureyri Disease, Tapanui Flu, Royal Free Disease, Yuppie Flu, Raggedy Ann Syndrome, Atypical Multiple Sclerosis, Antibody Negative Lyme Disease, Ecological Diseaseなどといった沢山の病名が付けられているといいます。
患者会は、筋痛性脳脊髄炎へと病名変更することを求めているのではありません。慢性疲労症候群という病名は病態を表していないので、一刻も早く研究を進 め、病態にふさわしい病名に変更して欲しいと願っているのです。そうするにあたって患者会は、関係者に対する事前の説明や相談も怠りなく進めてきました。 この病気の専門医と言われる医師たちや医療問題に詳しい医師たちに相談し、厚生労働省の疾病対策課にも事前に説明をしてきました。

●患者の願い
名前に限らず、医学や科学というのも、純粋に「客観的」な「真実」はなくて、ある時代、ある社会文化において、再現性のある反復可能な実験によって証明さ れたと専門家集団で了解されているもの、と捉えることができます。つまり、医学や科学というのも、そんなに確固たるものではなくて、不確実で流動的なもの と捉えられるのです。実際に、遺伝子や再生医療の研究などで、近年の医学教科書もどんどん書き換えられています。
患者会は、病名変更を要求することで、現在の医学に揺さぶりがかけられ、研究が進み、病因が解明され、さらに治療法が開発されるようにと、切に願っていま す。今回の病名変更は、その希望をかなえる第一歩であり、偏見を断ち切り「生物学的要因のある病気」であると医療関係者や一般社会の人々の理解を求める、 勇気ある宣言なのだと思います。

【参考文献】
・Bell, David, 1988、The Disease of a Thousand Names, Pollard Publications, NY.
・Goffman, Erving, 1963, Stigma:Notes on the Management of Spoiled Identity, Prentice-Hall.
・蘭由岐子 2004『「病の経験」を聞き取る―ハンセン病者のライフヒストリー』皓星社
・篠原 三恵子、2012、MRIC Vol.362 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群、2012年1月12日、医療ガバナンス学会、http://medg.jp/mt/2012/01/vol362.html (2012年3月12日閲覧)
・全国ハンセン氏病患者協議会編、1977、全患協運動史―ハンセン氏病患者のたたかいの記録
・全国ハンセン氏病療養所入所者協議会編、2001、復権への日月―ハンセン病患者の闘いの記録
・日本ハンセン病学会のホームページより

http://www.hansen-gakkai.jp/doc/basara100216.pdf

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学教授。ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程の後、 02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。コロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て、ハーバード公衆衛生大学院フェローとなり、2012年10 月より星槎大学客員研究員となり現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海 社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)。現在の関心は医療ガバナンス、日米の患者会のアドボカシー活動。

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