医療ガバナンス学会 (2012年5月7日 06:00)
この記事は月刊『集中』2012年5月号「経営に活かす法律の知恵袋」第33回より転載しています。
井上法律事務所
弁護士 井上 清成
2012年5月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.重大案件・不服案件の取り扱い
問題は、いわゆる重大案件・不服案件の取り扱いであり、「提案」でも述べられているように、<医療関連死、あるいは、死因不明例など、結果が重大であり、 院内調査だけでは原因究明を十分に行い得ない場合が現実には存在する。このような例、すなわち、患者家族にとって納得できる説明が困難な場合や、いわゆる 重大案件・不服案件は、現実には存在する>。
この場合、理論的には確かに、<第三者調査委員会の制度設計をしておくことは、『自律』とは矛盾しない>。しかし、<第三者調査機関の設置にあたっては、 懲罰性を調査委員会から排除するように十分な配慮が必要である>。つまり、逆の言い方をすれば、懲罰性を調査委員会から排除するように十分な配慮ができな い場合には第三者調査機関を設置してはならない、ということになろう。懲罰性をキーワードとして、この筋道を提示したことこそが、日本脳神経外科学会の提 案の特筆すべきことだと思う。
なお、「提案」では同時に、<内部調査での科学的調査では限界があり解析困難な事例、あるいは、事件性が高く医学的判断になじまない重大な事例に対する第 三者調査機関の設置の必要性に関しては、全く異論のないところである>とも述べている。ただ、前者の事例はその通りであるが、後者の事例(事件性が高く医 学的判断になじまない重大な事例)については再考を要する個所だと思う。
3.事件・紛争は事故調査の範囲外
ところで、<説明責任を医療者が自律的に万全に行っても、遺族・関係者の不信感、処罰感情を払拭できないことはしばしば経験することである。それは、「自律」とは別の次元の問題であり、遺族感情は十分に理解できる人間の情である>。しかし、そのような状態は、すでに事件とか紛争とも言うべき事態にほかなら ない。事態は、医療事故調査や説明とか納得という領域を超えてしまっている。
事件・紛争という事態は、懲罰性を排除することが困難な領域と言わざるを得ない。弁護士や裁判外紛争解決機関(ADR)や裁判所の適合する場面である。既 に医療のプロセスの内とは言えず、医療のプロセスは終了していると言わざるをえず、医療のプロセスの外ととらえるべき領域であろう。
その領域にまで医療事故調査の論理を持ち込むことは、それが中立的第三者機関であろうと、適切とは思われない。医療事故調査機関をADRと混同すべきではないと思う。
もし事件・紛争の領域に中立的第三者機関をと言うのならば、それは医療事故調査機関(委員会)ではなく、純然たるADRとして制度設計すべきことである。
4.事故調査は事件・紛争前の医療プロセス
もともと医療事故はすなわち事件・紛争ではない。医療事故があっても、患者・家族が医療者の説明を理解しようと努め、納得に努めようとしている間は、事件・紛争とは言えないと思う。例えば、患者・家族が医療者に対し、究極的に不信の意思を表示して、説明への理解・納得が困難となるまでは、一連の医療のプ ロセスの内側である。ただし、不信の意思が表示されて理解・納得が困難と見うるようになったら、その時点で医療のプロセスは終了し、事件・紛争つまり医療 のプロセスの外側に移らざるをえない。
事件・紛争とは言えない医療のプロセスの内側の場面では、通常の医療の場面と同じく、医療の当事者である医師ら医療者と患者・家族だけが関わるべきである。こういう考え方を当事者主義とネーミングしても良いであろう。これに対立する考え方は、往々にして弁護士や患者代表や中立的第三者機関を権威的に関わ らせようとする傾向が強く、それを「職権主義」とネーミングしたい。
5.当事者主義に中立的第三者調査機関は不要
当事者主義・職権主義の語源は、刑事訴訟や民事訴訟といった(医療のプロセスの外側の)事件・紛争の場面を前提とした法律用語である。ところが、医療のプ ロセスの内側にある医療事故調査の趣旨を表現するに適した法律用語が見当たらない。現行の法律と医療とが適合していない一例と思う。
そこで、かつて筆者は、法律用語である当事者主義・職権主義を、事件・紛争でない医療のプロセスの内側の場面に転用したことがある。医療事故すなわちち事 件・紛争ととらえがちな法律家の中には、これを誤用と勘違いした人もいるらしいが、あくまでも転用であって誤用ではない。従って、この意味の当事者主義を 採用するのならば、中立的第三者事故調査機関は要らないのである。