医療ガバナンス学会 (2012年7月6日 06:00)
~見て見ぬふりはできない世代間格差、終末医療問題・・・
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/
武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕
2012年7月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
6月26日 相当数の議員の反対はあったものの、税と社会保障の一体改革における消費税増税法案が可決され、衆議院を通過しました。
数々のメディアで指摘されているように、今回の採決の最大の問題点は、「”主”であるはずの社会保障制度改革が先送りされ、それに従って決まる”従”のはずである、増税のみが先に決まってしまった」ということです。
短期的な財政面は一息つくことができるのでしょうが、中長期的には社会保障給付の増加を抑えない限り、財政悪化は止まりません。消費税が10%になったところで、プライマリーバランスの20数兆円もの赤字分を埋めるのには全然足りないのです。
野田佳彦首相は「苦しいことだが国民に説明し、賛同を得るよう努力していく。こういう政治を実現したい」と発言して消費税増税法案の理解を求めました。
しかし、首相が本当に国民に説明しなければならないことは「消費税増税」ではなく、「消費税増税の上に社会保障支出も減らさないと国家の財政の黒字化はできない」ということなのではないでしょうか?
社会保障の給付制限や年金削減策について全く踏み込むことなく決定された今回の消費税増税は、消費税率を際限なく上げていくことになる近未来の序曲のように思えてなりません。
●世代間の負担と給付のアンバランス
医療分野では「後期高齢者医療制度」の改革が今回棚上げされました。
そもそも後期高齢者医療制度が誕生したのは、現役世代の支払う保険料の実に50%近くが75歳以上の方々への拠出金となり、9割以上の健康保険組 合が赤字に陥ってしまっていたことが発端です。そこから健保組合の老人保健拠出金不払い運動に発展し、約97%の健康保険組合が賛同したことから制度化さ れたのが、この制度です。
現在、75歳位以上の人にかかる医療給付費は年間平均85万円です。一方、現役世代の人が利用する医療給付費は12万円程度と大きな開きがあります。
高齢になれば医療費がかさむのは仕方がないとしても、現役世代の負担と給付のバランスを考えると、現役世代の負担が大きすぎることは間違いありません。
これはとりもなおさず、生産年齢人口と従属人口(生産年齢以外の人口)のバランスが崩れたために、これまで機能してきた社会制度が機能不全になっているということを意味します。
例えば、妊婦検診が100%自費である一方、引退世代の医療費が1割負担で本当に良いのでしょうか?
現役世代と引退世代の負担と給付のバランスを調整することこそが、限られた財源の中で行う社会保障制度改革の本質であるはずです。ところが、正面から議論されているようには全く感じられません。
●分かっているのに手が付けられない終末期医療とフリーアクセス問題
後期高齢者医療改革の中でやるべきことは、既に指摘されています。
1つは「回復のための治療」と「延命のためだけの治療」の区別および適正化です。
「延命のためだけの治療」は終末期医療とも呼ばれ、食事が取れなくなってきた状態の高齢者の方に鼻から管を入れたり、胃に穴をあけて栄養剤を流し込む処置(胃ろう処置)などのことを指します。
「回復のための治療」と「延命のためだけの治療」の線引きは非常に難しいので、個々の事例に応じて担当医と本人家族の相談で決められるべきだとは思います。そして、家族の気持ちとして「1分でも1秒でも長く生きてほしい」と思うのは当然でしょう。
それでも、高齢者の体に負担のかかる医療行為を考えられる限り全て行うべきなのかは、考え直されても良いと私は思います。年老いて食べられなくなった人の胃に穴をあけるなどして無理に栄養を取らせるのは、人間の尊厳を傷つける行為と考えることもできるのです。
医療の現場レベルでは、日本透析医学会が「終末期の患者家族が希望した場合などについて、透析の中止や開始の見合わせも可能」とする提言をまとめるなど、様々な対処法が試行錯誤されています。
それともう1つは、多重受診と頻回受診の問題です。
高齢者の場合、多くの診療科にかかる必要があるのは間違いないでしょう。しかし、現状のように「自由にどの病院でも何回でも受診できる」と、「手厚く豪華な」医療機関を探し求めて次から次へと違う病院を訪れる方がいます。
例えば、胃腸科の診療所を数週間のうちに立て続けに3カ所訪れて受診したあとで、「治療に不満があるから(症状がすぐに改善されないので)」という理由で当院を受診される方もいます。
このような多重受診、頻繁な受診対策として、1カ所メインの診療所(ないしは病院)を指定して対応する「担当医制度」(家庭医ないしは総合医の養成が必要ですが)の導入は非常に有効と思われます。
他の医療機関の受診が必要なのかどうかを、経緯を把握している担当医が判断することは、医療の効率化に大いに役立つはずなのです。
ところが、「1つの医療機関に高齢者を縛り付け、他の医療機関を訪れないようにしむけるのは”人権侵害”にあたる」として、導入の目処は全く立っていません。
●社会保障システムの再構築には身を切る改革が必要
以上は、いずれも「日本人の死生観」の定義や「総合医(家庭医)養成」などの、短期では解決できない問題が絡んでいるため、早急な結論は出せないと思われます。しかし、財政悪化スピードに対して議論の進み具合があまりにも遅いのは間違いないでしょう。
「年金一律3割カット」や「混合診療(一定レベル以上の医療については全額自費とする制度)」などの方策でハードランディング的に社会保障支出を削減するよりは、消費税増税で財源を確保する方向性自体は間違ってはいないと思います。
とはいえ、現役世代と引退世代の負担の給付のアンバランスの是正議論、そして、医療体制そのものの変化を伴う「医療の適正化」の議論が、国策としての大きなビジョンが示されていない以上、進み方がスローペースすぎるのには危惧を覚えます。
増税の前に「増税は必要だが、それと同時に国民皆さんにも(医療費を含む)社会保障制度の適正化のために身を切る改革に協力してほしい」と野田首相に一言述べてほしかったと私は思うのです。