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Vol.563 北茨城市のSOS

医療ガバナンス学会 (2012年8月6日 06:00)


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関西医科大学5年
宮崎  貴子
2012年8月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


事の始まりは、大学の社会医学実習である。
社会医学実習は、基本的に福祉施設や保健所で行うことが多い。私は自主テーマ班に配分された。自主テーマ班は自ら研修先を手配し、研修内容も自ら決めることができる。様々な人との出会いがあり、東京で研修を受けることになった。

東京での研修期間中、茨城県北茨城市にある医療法人誠之会 廣橋第一病院に同行させて頂く機会があった。私は、茨城県に行くこと自体が初めてだった。茨城 県は南北に広く、北茨城市は福島県の県境にある。日立駅から車で約30分、あと数駅電車に乗れば福島県に入る所にこの病院はあった(スライド1: http://expres.umin.jp/mric/MRIC.vol.563.pptx )。
廣橋第一病院は6階建て。1階は外来、2階は検査室、3~5階は療養病棟である。昭和48年創業なので、約40年続く病院ということになる。近隣に高い建物はなく、病院6階の屋上から先を見渡すと海が見えた。すぐ側には川が流れていた。

この病院も震災の被害が残る病院の一つである。
津波に飲み込まれる程ではないが、すぐ側の川が氾濫したそうだ。地震によって、白い建物全体に灰色のひびが入っていた。「斜めに走る亀裂は、壁表面の傷で はなく壁内部の梁が弱くなっているらしいです。」と事務局長の石澤敏さんが説明してくれた。3階の外壁には、X状にクロスしたひびがあった。5階の天井は 部分的に崩れ落ち、当時屋上にあった給水塔も倒壊したため、天井からの雨漏りがずっと続いていたそうだ。3~5階の中は、まるで廃墟のようだった。マット もシーツもはがれた病床のベッド台は一部屋に固められ、食堂の机や椅子も端に山積みにされていた。ナースステーションに医療機器らしいものは何も見当たら ない。閑散とした病室前には、患者さんの名前が書かれたプレートや誰かが作ったくす玉が残ったままだった。一年以上経った現在もなお、ここの入院病床は稼 動しておらず、補修された1、2階で外来診療をかろうじて行っている状況であった。

廣橋第一病院の復旧が遅れている理由は、多くの要因が存在する。
一つは、震災の被害を大きく受けている地域にも関わらず、東北3県の影となり、国や市からの支援補助が十分でないこと。もう一つは、廣橋病院の医療従事者 の不足および高齢化である。「入院病床を再び稼動させるには、病院を取り壊して新たに開設する必要があるが、どこからも支援がない状況でそれを遂行するの は難しい。仮に開設できたとしても、このまま医療従事者が減る一方では元も子もない。」と理事長の廣橋幽香子さんは頭を悩ませていた。

しかし、これは廣橋第一病院だけの問題ではないことに注目して欲しい。
北茨城市では、医療施設の不足・医師不足が甚だしい。これは現地に赴いてみると、すぐにわかる。大きな道路沿いでもクリニックが存在しなかった。
この機会を用いて、茨城県の市町村ごとの医師偏在について調べた。すると、水戸市、つくば市周辺を除いた8割以上の地域で、日本人口千人あたりの平均医師 数2.2人を大きく下回っていた。具体例を挙げると、北茨城市の人口千人あたりの医師数は0.8人である。世界で例えると、北茨城市はなんと『東南アジ ア』の平均と同等のレベルと言える(スライド2: http://expres.umin.jp/mric/MRIC.vol.563.pptx )。

余談であるが、私の生まれである愛媛県今治市も少子高齢化が進む地域であり、気になったので同様の統計をとることにした。今治市の人口千人あたりの医師数 は1.8人、世界では『トルコ』であり、日本の平均を下回る地域が愛媛県の7割を占める。自分の生まれの地域と比較していると、茨城県の医師不足の惨状が イメージしやすくなり、ただの数値の結果ではなく親身になれた。
話は戻るが、北茨城市の医療は、市立総合病院とこの廣橋第一病院および第二病院でほとんどを担っている。もしもこの病院が完全に運営できなくなれば、北茨 城市の医療崩壊は容易に目に浮かぶだろう。つまり、地域全体の問題であり、北茨城市を通して茨城県全体の問題でもあるといえる。

また、北茨城市は、放射線による風評被害でも厳しい状況に置かれている。有名なアンコウは観光客を呼び込める目玉商品だが、客足は大きく遠のいた。国や県 はホームページを通じて、随時セシウムの数値を公表しているが、一般の消費者には伝わりにくいのが現状である。医療現場だけでなく、産業面でも問題は多く 残っているようだ。

「医療崩壊を何とか食い止めたい。落ちてしまった医療レベルを引き上げたいんだ。」という思いを理事長の廣橋さんが話して下さった。「復旧に向けてアクションを起こしたい!そのためには人材が必要。」と言う。
関西のただの医学生である私に今すぐお手伝いできることは数少ないが、この事態を認識し、関西でもなるべく多くの所に発信していきたいと思う。

地震直後、廣橋第一病院に入院されていた患者さんは、そこから車で10分弱のところにある廣橋第二病院に移動したそうだ。現在も21人もの人がそこで入院しているが、その環境は決して良いとは言えなかった。
その患者さん達のためにも今後の地域のためにも、新たなる廣橋第一病院の再稼動と北茨城市の再興を望む。また、廣橋さんの強い意志にも敬意を払いたい。

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