医療ガバナンス学会 (2012年8月9日 06:00)
こうした中で、2012年3月30日、千葉県は、千葉県保健医療計画に基づく病床配分を発表した。配分可能病床数3725床に対し、66施設から、 5762床の増床計画書が提出され、51施設に3122床が配分された。許可病床を求めて多くの医療施設が一斉に手を挙げた。医療機関は、需要が増えて も、自らの意思だけでは増床できない。しかも、許可病床は、たとえ実際に使われていなくても既得権益として保持されてきた。
実際に増床するためには、看護師を確保しなければならない。病床数に対して、必要とされる看護師数が厳密に決められているからである。
各都道府県では、厚労省が決めた調査方法に基づいて、看護師の需給見通しを作成している。医療機関に職員配置計画、採用計画を問い合わせて、それを集計し ている。このため、看護師需給見通しは、調査時点での各病院の許可病床数と在職看護師数で決まる。高齢化による病床需要の推移予測に基づくものではない。 急速な高齢化に対応できるような調査ではないのである。最新の第7次千葉県看護職員需給見通しは、平成21年10月から同年12月に実施された医療機関等 実態調査に基づいて算定された。その結果、千葉県では、平成23年2430人、平成27年1480人の供給不足が見込まれるという。今回の3122床の病 床配分は、調査の時期からみて、各医療機関からの回答には、一切反映されていない。3000床の増床だと、おおむね3000人の看護師が新たに必要にな る。増床させようとすると合計5,500人不足することになる。
そもそも、千葉県は、看護師不足にもかかわらず、看護師養成数が少なかった。千葉県の人口当たりの看護学生数は、2009年段階で全国45位だった。それ にもかかわらず、この年以後、千葉県では看護師養成数が減少に転じた。1学年定員が2009年度の2752人から、2013年度には2348人まで減少す る。
2009年、千葉県立衛生短期大学、千葉県立医療技術大学校が再編整備され、千葉県立保健医療大学に改組された。前身の両校はそれぞれ、3年課程の第1看 護学科(1学年80人)、2年課程の第2看護学科(1学年40人)を有していた。改組に伴い、これらの学科は廃止され、4年制看護学部(1学年80人)が 新設された。結果として、千葉県立教育機関による看護師養成数が1学年240人から80人に減少した。
廃止された第2看護学科は、いずれも、准看護師資格を有していることを入学の条件としていた。廃止の理由は、そもそも、希望者が少なく定員割れしていたこ と、准看護師の養成数が減少していること、就労している准看護師は、通信制への進学を目指すことが多いことである。第2看護学科を通常の看護師養成機関に 移行させる方法はなかったのだろうか。せめて、両校の3年課程の定員160人をそのまま4年課程に移行できなかったのだろうか。
高齢化により、看護師不足が深刻になることは、人口推計から容易に想像できた。箱モノにかかる予算を、宣伝と奨学金に振り向けてでも、学生を確保し、養成 数を維持すべきだった。千葉県の高齢化は急激かつ大規模で、社会の在り様を根底から変えつつある。看護師養成機関の改組がいつ決定されたのか知る立場にな いが、危機感を、県庁全体で共有していたとは思えない。社会の大変化に備えようと号令できる指導者がいなかったのだろう。
2011年11月の「千葉県地域医療再生計画」では、課題の筆頭に医療人材の不足を挙げている。「今後の急速な高齢化に伴って増大する医療需要に対し、単 なる現場での努力や現状の医療人材提供体制では、対応が困難であることが予想される」と高齢化への対応の見通しが立っていないことが示されている。
この状況下で、千葉県は多数の病床を配分した。配分を受けた医療機関の多くは、看護師養成を行っていない。本気で増床しようとすれば、支度金を積んで看護 学生を集めたり、他の病院から看護師を引き抜いたりせざるをえない。しかし、どの病院も看護師が不足している。一定以上の人数を引き抜かれると、病院が立 ち行かなくなるので、引き抜かれた病院は、他から引き抜かざるをえなくなる。
看護師数には大きな地域差がある。病床数に地域差があるためである。基準病床数の計算方法が、病床数の地域差を追認してきた。関東の係数で計算すると、九 州、中国、四国の許可病床数は、関東、東海の2倍近い(文献1)。病床数の多い地域は、高齢化が既に進んでおり、人口の減少が目立つ。病床需給、看護師需 給の急激な変化はない。需給は千葉県や埼玉県ほど逼迫していない。日本全体が同じ状況にあるわけではない。
金銭による引き抜き合戦は不毛である。医療サービス不足を助長することはあっても、改善することはない。看護師獲得競争は、病院の財政基盤を危うくしかね ない。病院の生存をかけた苛烈なものになる可能性がある。しかも、若い看護師や看護学生のモチベーションを歪め、医療機関同士の対立を助長する。
日本の医療費は全国一律に決められている。真面目に経営して何とかやっていける程度に診療報酬が設定されている。民間病院は、赤字をだすと倒産しかねな い。一方で、自治体病院は、例外なく、医業収入より医業費用が大きい。例えば、2010年度、千葉県立7病院は全体で、306億円の収入に対し、費用が 385億円かかった。あらかじめ、補填のための予算が103億円計上されていた。行政用語では赤字とは言わないが、民間だと1年持たずに倒産するような大 赤字である。救急医療や小児医療などの不採算医療は、自治体病院だけが引き受けているわけではない。公立ゆえの経営の問題が赤字の主たる原因である。
近年、医療の進歩により、病院事業の財政規模が巨大になった。赤字になると、自治体も支えきれない。現在建設中の東千葉メディカルセンターも、医師・看護 師集めが難しく(文献2)、一部で「ミッション・インポッシブル」とささやかれている。無理やりお金で周辺の医療機関から看護師を集めると、他の医療機関 を壊すことになる。無理な計画に伴う莫大な財政負担に、東金市と九十九里町が耐えられるかどうか心配される。
千葉県での増床が期待通り進まない場合、増床能力のある病院が増床しようとしても、既得権益に阻まれる。大量の病床配分が、逆に、医療サービスの提供を阻害しかねないのである。
配分から3カ月、怖れていた看護師の引き抜き合戦、看護学生に対する勧誘合戦が始まったことを示す情報が入り始めた。
金銭を使うのなら引き抜き合戦、勧誘合戦ではなく、看護師養成に振り向けるべきである。実際に看護師養成には多額の資金を必要とする。学生からの授業料、 行政からの補助金だけでは足りない。養成機関を支える病院・関係者は、教育に対する協力以外に、多額の費用負担を覚悟しなければならない。
亀田総合病院関連の亀田医療技術専門学校は1学年80人、3年課程で看護師を養成している。亀田総合病院を経営する医療法人鉄蕉会から、運営費用として 2012年度には6000万円が寄付される。奨学金、修学資金として、それぞれ9000万円、8700万円の費用が拠出される。奨学金は鉄蕉会の病院に就 職して一定期間働けば返還免除となるので、いわば前払いの給与のようなものである。しかし、正規の給与は支払われるので、看護師養成のための費用とみなす こともできる。修学資金は無利子貸付であり、後日返還されるので鉄蕉会の負担は金利分のみとなる。鉄蕉会は、奨学金、修学資金とそれに伴う金利を除いて、 一人当たり3年間で75万円の費用を負担している。奨学金を含めると、一人当たり190万円の費用負担になる。
2012年4月開学した亀田医療大学は、1学年80人、4年課程で看護師を養成している。大学はさらに多額の資金を必要とする。設置経費と開設年度の経常 経費で合計30億8000万円。このうちの約30%、9億700万円は鉄蕉会の寄付である。加えて、鉄蕉会の呼び掛けにより300の法人、1200人の個 人から、8億700万円の寄付が集まった。これら個人の中には、亀田総合病院の経営者、幹部職員のみならず、多数の患者や一般職員が含まれている。
施設・設備の減価償却は学生一人当たり、4年間で約150万円。このうちの約30%が鉄蕉会の負担である。開学から最初の卒業生がでる2015年度までの 4年間の経常経費は21億4800万円。この内、6億円が鉄蕉会からの寄付である。鉄蕉会は、経常経費として、一人当たり4年間で300万円を負担してい る。ただし、開学5年目以後、私学助成補助が年間1億円程度入ると予想されている。助成補助の額に応じて鉄蕉会の負担は軽減される。
亀田医療大学も奨学金、修学資金制度を設けている。返還免除となる奨学金貸与を、73%の学生が受けている。これを含めると鉄蕉会は、4年間で一人当たり 460万円の費用を負担することになる。施設・設備の減価償却を含めると学生一人当たり500万円を超える費用を負担することになる。
看護師養成のためには、多額の資金に加えて、関係者の熱意と献身を必要とする。多くの人たちの協働の成果である看護師を、金銭で奪い合うことは、法的に問題がないとしても、千葉県の医療を損ねる方向に機能する。
厚労省は、かつての全体主義国家の計画経済のように、あらゆる医療活動について、細かい量まで統制してきたが、皮肉なことに、統制そのものが、医療の需給 の地域差と税金の使い方の不平等を固定化させた(文献3)。しかも、高齢化による医療・介護需要の増大に対する準備は不十分だった。首都圏での病床規制の 矛盾は限界に達しつつある(文献1,2,3,4)。2012年3月30日、厚労省は「医療計画について」と題する医政局長通知を発出した。通知は、「病院 の病床等の適正配置を図るためには、全都道府県において統一的に実施しなければ実効を期しがたい」として、病床規制の継続方針を強い表現で宣言した。千葉 県の大量の病床配分と同じ日である。千葉県で発生しつつある看護師引き抜き合戦は、厚労省によって誘発されたものではないか。
需給の逼迫している首都圏の一般病床の規制を撤廃する、あるいは、病床配分と看護師養成をリンクさせるなど、何らかの具体的対策が急がれる。
<文献>
1.小松俊平, 渡邉政則, 亀田信介: 医療計画における基準病床数の算定式と都道府県別将来推計人口を用いた入院需要の推移予測. 厚生の指標, 59, 7-13, 2012.
2.小松秀樹:病床規制の問題1:千葉県の病床配分と医療危機. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.539, 2012年7月11日. http://medg.jp/mt/2012/07/vol5391.html#more
3.小松秀樹:病床規制の問題2:厚労省の矛盾. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.540, 2012年7月12日. http://medg.jp/mt/2012/07/vol5402.html
4.井上従子:病床規制の今日的意義について -医療分野における競争政策と地域主権の視点からの考察‐. 横浜国際経済法学, 18, 1-26, 2010.