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Vol.581 福島を語るということ

医療ガバナンス学会 (2012年8月27日 06:00)


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南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹 昌明
2012年8月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


この街に作家の柳美里(ゆう みり)さんがいらっしゃったので、一緒に会食をさせていただいた。
彼女は、震災直後からこの南相馬市に入り、南相馬災害FM(インターネットラジオ)に出演している。さまざまな人をゲストに迎えて、耳を傾けるという立場 で、この街の人と対話を重ねている。ざっと挙げるなら、「仮設住居者」、「マーチングバンドの恩師と生徒」、「日本舞踊の先生」、「小学校の校長と教 頭」、「福島県外から新規就職で南相馬に来た20歳女性」などである。
在日だったこともあり、幼少時代はいじめの対象にされたが、生活苦や複雑なプライベートをバネに、作家として成功を収めた。彼女の唱えたいことの基本は、 「生きることを問うことが、生きる姿勢を支える」、「同情することはできずとも、寄り添うことはできる」ということであった。

さらに私は、最近、さだまさしさんのトークライブや、鎌田實先生の講話などにも参加した。震災から500日が過ぎたこの時期にも、度々支援に入られている 人たちがいる。さださんの、まだまだ透き通るような美しい歌声とメロディとにはとても魅了されたし、鎌田先生の包み込むような説得力のある語りにも感激し た。
皆さん、口を揃えて「南相馬市の人たちは温かい、優しい」と言う。「夢や希望、信頼や絆」などの言葉が踊る。それは、とてもとても勇気付けられるイベントであった。

私は、県外からの支援部隊としてこの地に足を踏み入れた。(才能や技能の違いは言うまでもないことだが)いくら柳さんやさださん、鎌田先生とは違い、「私 は、この地と寝食を共にしている」ということを強調したとしても、私の語る文章は、いつまで経っても”外から見た南相馬市”であり、”組織から見た医療現 場”である。
私の主張は、この地の人たちにどう届いているのか。どう思われているのか。
親しくなった現地の住人と、外からのボランティアの人たちとに、「私の語る文章はどうですか?」と尋ねてみた。つまり、内部者と外部者からの意見である。
両者には若干の温度差があった。
前者、すなわち地元の人々からは、「先生の書かれる文章は、確かに思慮深いかもしれませんが、上から目線であることは否めない」とのことで、「寄り添っているつもりだろうが、どこかで人を見下しているようだ」であった。
一方、外部の支援者からは、「細やかな共感的観察によって、大切なことを丁寧に紡ぎ合わせ、言葉を尽くして語ろうとする先生の志向に、大変感銘を受けた。真っ直ぐな心を持っているからなのではないか」というような意見であった。

後者からの評価に関しては、誉め過ぎている感はあるが、少なくとも賛同を得る一方で、やはり、大所高所からの高圧的で身勝手な考察が多いのではないかと 思った。私の文脈を快く思わない現地人がいたとしたら、それはそれで謙虚に受け止めるが、”万人受け”する正しい論考に価値があるとは思っていないので、 これまでは、”そういう物言い”でしか物を語れなかった。
しかし、被災地という特殊な環境下での言説である。他人を傷つけてしまうことは、もちろん本意ではない。この地での言論や描写の仕方に”善し悪し”があるとしたならば、それは一考の余地がある。今後のこともあるので、少し考えてみたい。

この地に来て、私は必然的に何人もの、そして、それぞれの立場の人と話しをしてきた(話しを”聞いた”のではなく、あくまで対等に話しを”した”つもりである)。
「初めてこの地を訪れた人物に対して、すぐに胸の内を明かすはずがない。そういう態度自体が、すでに”上から目線”だ」と言われれば返す言葉はないが、被 災地の中にいる人たちの会話は、心ならずとも、やはりいまだに、「震災時には何をしていた、津波の被害はこうだった、原発事故が家族を引きはがした」であ る。
もちろん、想像するに余りある。悔しいに違いない。そこで生まれ、ここに育ち、震災を体験し、津波や原発事故に遭遇した人の語る手記や言葉は、深刻で切実である。
今では、すっかり私も内部の人間であるし、十把一絡げで語ることはできないが、あえて、非難を承知で、誤解を恐れずに言うなら、この街の人々は、「一歩が 踏み出せない」でいる。復興のためには何かをしたいけれど、何かをしなければならないと解っているけれど、何をしたらいいか判らないでいる。
がんばっていることも想像できる。耐えていることも承知している。絆の大切さもよく解った。「でも、だったらどうしたいのですか?そして、それを実行するにはどうしたらいいのですか?」と尋ねたくなる。

失礼とは知りつつも、私は柳さんに、「あなたは、どういうつもりでこの地に入り、そして、この地でできることは何だと思っているのですか?」と尋ねた。このことは、私も幾度となく自問自答してきたことだからである。
それは、「私の生い立ちを考えれば、他人事ではなかった」というシンプルな理由だった。彼女の口元から伝わることは、「自分のことはカッコに入れている」、「俯瞰的見るのではなく、個人を見て対話している」ということであった。
「放射線は気になりませんか?」の質問には、「そういうことを計りにかけては、行動していません」との回答であった。
分かりやすい動機だったが、いまひとつ観念的であった。私には、柳さんが、どうしてもここに来なければならない理由を、見出すことができなかった。
だが、住民からの一声一声、私たちの一挙手一投足を脳裏に焼き付けていこうという、丁寧な態度だけは印象に残った。彼女はあくまで聞き役だった。”話す” のではなく”話させ”ていた。そして、「何かをする、できる」という確固たる自信とは対極にある、”分のわきまえ”であり、”慎み深さ”であった。

外部から来て、震災を経験していない私のような人物が話し相手だと、現地の人は”伝える”という行為に精魂を傾ける。「律儀に信号待ちをしていたら、津波 にのみ込まれた」、「靴の紐を結んでいたために逃げ遅れた家族を、バックミラー越しに見た」などという惨状は、枚挙にいとまがない。
だが、過去を語ることに心血を注ぎ、伝えきった時点で思考が停止する。だから、私のような想像するだけで未来を語ろうとする人間から見ると、そういう人た ちの話しは重過ぎる。しばらく耳を傾けることはできても、長くは続けられない。正直を言うならば、会話を愉しむという雰囲気には、少なくともならない。
外部支援者とのコミュニケーションでは、「震災は起こってしまったもの」として、過去完了的な未来志向になれるが、内部の人と話しをすると、そこにはどう しても”重し”の載った、過去から脱却できない、何としても払拭されない、十字架を背負った窮状が繰り返される。この地は、まだまだ被災進行形なのであ る。

勝手なことを言うようだが、私という論述者をどうか見守っていて欲しい。
私のような関東人が東北に来て、「これは大変だ、ここは悲惨だ」と列挙している。「南相馬市の海岸は壊滅的です、山の線量はこんなです、医療や介護が崩壊 寸前です、街の人は途方に暮れています」と言い募っている。何もしがらみがない。トラウマも欠落感もない。だから、ぐいぐい言える。
社会人類学者が未開の地にやってきて、民族史資料を書くような感じで、溢れるような好奇心と輝かしいほどの才能で、書き伝えている。
現地人では、このような形には、なかなか書けないのではないかと思う。語ったとしても、感情的か惨劇的となる。そして、あまりにもリアルな体験などは、被災者のことが脳裏をかすめ、筆も進まないのではないか。

現地の人は、「震災や津波は、私たちの生活を脅かし、それに続く原発事故においては、まったくの被害者である」という悲観が底流にあって、その絶望感と喪失感とを”込み”で伝えたいのである。
だから、柳さんとの対話、さださんの音楽、鎌田先生のトークに対して、感に堪えないのである。彼らの言葉は、内部向けである。不条理を埋めていく圧倒的なメッセージに驚嘆し、その力業に感慨を得たいのである。
確かに「今、この街でもっとも必要なものは何か?」と尋ねられれば、私も「連帯と協力です」などと応えるかもしれない。だが、私は外部に向けて発信した い。外部者を相手に、正直に、内部を伝えたい。そして、さらに言うなら、外部者への言説を内部者にも理解してもらいたい(複雑ですいません)。
外部からの支援者の言葉が有効なのは、外からの目線で、外部から支援したいと願っている人と、いかに共鳴できるかに係っている。そうした共属意識が得られれば、私のように屈託のない参入者が、抵抗なく笑顔でやって来ると思っている。

今回の論述で、さらに不快に思われたとしたら、頭を下げる。しかし、福島県以外の人たちにとって、福島県への距離は、あまりに遠い。
震災を起こってしまったものとして捉え、「後はどう再生させていくか」ということに、もっともっと舵を切らなければならない。いつまでも惨状を語っていた のでは、福島から離れていくだけである。だったら、思い詰めた感のない、”このくらいの物言い”の方が良いのではないか。
自分の中にあるさまざまな言葉を輻輳させ、重なり合わせ、和音を奏でるように、言語能力を高め、表現力が増やし、語彙を整え、リズム感を身に付けて、外部の人々に、広く福島での想いを伝えたい。

柳さんや、さださんや、鎌田先生は、何かをせずにはいられないから来ているのかもしれない。外部者が、内部者を勇気付けるならそれでいい。しかし、すでに内部となった人間が、外部の人間に伝え、さらには支援を煽るとしたならば、そうした視点で述べる必要がある。
それが福島を語る、もうひとつのやり方のような気がする。

私のそういう考えは、患者を、街の住人を置いてきぼりにしてしまっているのだろうか。何とか立ち直らせようとして、それが叶わぬと解った時点で、達成できなかったことを、病気や被災のせいにしているのだろうか。
もしくは、努めて平静を装い、震災の影響を度外視したような振る舞いを見せて、はじめから震災などなかったことにしようとしているのだろうか。
本稿の書き初めの時点では、少しは謙虚になろうと論を進めるつもりだったが、やはりこのようなことしか述べられなかった。私は医師だからかもしれないが、過去に執着していると前に進めなくなる。そういう点で、どのように考察しても、結局は”上から目線”になってしまう。

今日も、”くも膜下出血”で心肺停止の患者が担ぎ込まれた。39歳の若者が、常磐自動車道の復旧工事中に突然倒れた。当院に搬送されるまでに1時間が経過してしまった。助からなかった。しかし、そのとき、私は医者をやっていた、何も考えずに医療をやっていた。
何はともあれ、まずは医師の仕事をしなくては。伝わりにくかった部分もあるかと思うが、これにて推敲を止める。

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