医療ガバナンス学会 (2012年10月3日 06:00)
この記事は月刊『集中』2012年10月号より転載です。
井上法律事務所 弁護士
井上 清成
2012年10月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2. 厚労省担当者の示唆
現在、厚労省はその思い描く医療事故調の全体像を公表していない。かつて「第三次試案」や「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」を主導して失敗したことに懲りたからであろう。そこで、自らの思いは主唱せずに慎重に推移させていた。
ところが、この8月27日に、日本病院団体協議会の「診療行為に関連した死因究明制度等に係るワーキンググループ」において、その思いの一端を示唆したらしい。示唆したのは、厚労省医政局総務課の医療安全推進室の担当官(宮本哲也室長)である。
金融ADR(裁判外紛争解決手続)を参考例の一つとして紹介した上で、医療事故調査制度の検討のポイントとして、1)行政(権)の関与の程度「調査権、届出等の行政(権)との関わりをどのように考えるか」、2)中立性・公平性の確保、という2点を挙げた。
3. 金融ADRが医療事故調の参考例?
サブプライムローン危機やリーマンブラザーズ倒産が原動力になって、日本でも金融ADRができた。金融商品取引法の改正によって、指定紛争解決機関制度が創設されたのである。民間機関が指定紛争解決機関を設置し、各金融機関はそれと契約し、裁定された結論には従う。
つまり、民間の指定紛争解決機関の設置とその裁定の拘束力というテクニックが医療においても有益ではないか、という示唆のように思われる。しかし、これで は私的制裁や私的裁判が公然と行われかねない。そもそも金融界の凄まじいモラルハザードを強力に規制するためのモデルは、全く状況の異なる医療界には適切 ではなかろう。さらに付け加えれば、それは「紛争」の存在を前提にした制度であり、「紛争」の存在を前提としない医療事故調とは相容れない。もともと医療 ADRは医療事故調ではないのである。
4. 行政の関与?
「行政(権)の関与の程度」について、具体的には調査権、届出を義務づけることと、公的機関なのか民間の機関なのかということの整理が必要。調査権、捜査 権のような行政権の重大な部分を民間の機関に直接付与するというのはかなり難しく、例がない。行政の仕組みに調査の体制を位置づけたり、行政機関を調査機 関として位置づけることを考える必要がある、という示唆であった。
つまり、行政の調査権限や処分権限を縮減するという想定はないということであろう。医療界の自律的処分もありえないらしい。これでは、医療界が中立的第三 者機関を創設したとしても、所詮、行政の下請けに過ぎず、院内事故調に至っては行政の孫請けに位置付けられることになろう。このような想定の下だとする と、医療界は一体何のために中立的第三者機関を創ることになってしまうのであろうか。下手すると、無益どころか有害なものともなりかねない。
5. 中立性、公平性の確保?
社会から受入れられることが必要。とりわけ民間機関を中心にということであれば、中立性、公平性をどう確保するかということを考えていただきたい、という示唆であった。
つまり、医師・医療機関と患者遺族の対立紛争を前提に、両紛争当事者からの中立ということを意味している。しかし、これでは医師・医療機関と患者遺族の対 立構図を固定化してしまう。医療事故調が本来ならば医師・医療機関と患者(遺族)の一体性回復の実現を目指すべきところ、むしろ対立性を固定化させ、むし ろ前提とさえしてしまっている。
そもそも「中立性」や「第三者性」は甘美な響きを持つが、そのように甘いものでも美しいものでもない。当事者との間の分離(不介入)と公平(関与)との絶 えざるバランス調整が必要不可欠であり、絶えず揺れ動かざるをえず緊張感も解けないのが「中立性」である。時に「中立性」「第三者性」の美名の下に重大な 人権侵害を引き起こしかねない危険なものとも言えよう。科学であるべき医学・医療に軽々に持ち込むと、それは独裁的な権力性にも変容しかねない。
「中立性」「第三者性」を導入するには、それに対する十分な知識と知恵を備える必要がある。現在の医療事故調の議論には、そのような知識や知恵を具備した 上での熟慮があるとは感じられない。むしろ、単なる「中立的第三者機関ブーム」に流されているようにも思え、議論の現状を強く危惧してる。