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Vol.618 ぶっちゃけ、「南相馬の市立病院で研修」ってどうよ!

医療ガバナンス学会 (2012年10月20日 06:00)


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南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹 昌明
2012年10月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


以前にもこのMRICで伝えたことだが、今の私たちの最大の関心事といえば、何と言っても「臨床研修医指定病院」としての責務を、どうまっとうするかということである。
常勤医師18人のこの病院が、若き研修医に対して何を教育できるだろうか。

院長は小児外科が専門であり、現在では大人の消化器外科・内科もこなしている。2人いる副院長のうちの1人は、生粋の脳外科医であり、脳卒中診療に関して は、当たり前だが外科手技も含めて申し分のない診療能力を有する。脳外科には、もう1人の応援医師がいて、脳腫瘍などの標準的な手術もこなしている。
もう1人いる副院長は循環器内科医であり、広く心臓病の診療を手掛け、虚血性心疾患に対しては診断カテまで行う。外科に関しては、消化管から肝胆膵、甲状腺、乳腺疾患までをこなすベテラン常勤医に加えて、若手の応援医師の2人体制である。
その他、呼吸器科1人、小児科1人、産婦人科1人、麻酔科1人、整形外科応援医師2人、消化器内科および循環器内科応援医師が1人ずつ、そして在宅診療科の3人(うち2人は、元外科医)に加えて、私、神経内科が1人である。
さらに、11月から来年にかけて救命救急医、ペインのできる麻酔科医、小児科医が1人ずつ増員される。

全員がフルタイムで働いているわけではないし、1人体制の診療科(特に産婦人科と小児科)は綱渡りだし、内科の中でも糖尿病や膠原病、腎臓病、血液を専門 とする常勤医師はいないし、皮膚科や泌尿器科、眼科といったマイナー診療科の常勤医も不在だし、贅沢を言えばキリはないが、人口48,000人に対して 140床(震災前は230床)の被災地病院にしては、まずまずの医師が確保されてきた。
後は、どう市民に信頼される医療を提供していくかである。

言うまでもないことだが、この地域は震災前から医療過疎まっただ中であった。世界初のトリプル災害が発生し、地震と津波とに加えて、福島第一原子力発電所事故が追い打ちをかけ、一旦は常勤医が4人に減った。
震災当時を語る資格は私にはないが、よくここまで復活してきたと思う。その努力や葛藤たるや並大抵のことではなかったであろうし、そうした人たちが、この病院を今でも支えている。
つまり何が言いたいかといえば、「使命感は当然あるにしても、それ以上に皆、好きでこの病院にいる」ということである。医療職は売り手市場である。何も無理してこの地にいる必要はない。
ところが、医師に関していえば、震災前の14人と比較しても、減るどころかますます増え続けている。地方の公的病院の中に、そういう病院がはたしてあるか。あるかもしれないが、あまりないと思う。
その一点だけを考えただけでも、この病院には医師を引き付ける何かがある。しかも、ここは原発にもっとも近い病院である。

「この病院が、臨床研修医のための指定病院に値するか?」ということを考えた場合に、指摘されるまでもないことだが、「自分だったら、この病院で研修を受けたいか?」という問いに応えることである。
正直なことを言えば、「受けたら楽しいだろうな」と思う一方で、「ここだけというのも、少し不安かな」と結論付けるかもしれない。それは、設備や資源に関していえば、絶対量が圧倒的に足りていないからである。
ここにいる医師は、医師としてのスキルに問題はない。皆、それなりの修羅場をくぐり、揉まれてきている。哲学や思想も有している。ただ、設備・人的資源の不足しているこの現場でできることには限りがある。
高度先進医療はできない。超音波骨折治療法や家族性アルツハイマー病の遺伝子診断や経皮的レーザー椎間板減圧術や腹腔鏡下肝部分切除術や悪性腫瘍に対する 陽子線治療や骨髄細胞移植による血管新生療法やエキシマレーザー冠動脈形成術や活性化自己リンパ球移入療法はできないどころか、腹腔鏡下で前立腺摘除術も できなければ、人工心肺すら回せない。

私の領域で言えば、正しい問診の仕方と神経学的所見を詳細に取れるところまでは教育できる。そして、画像診断の可能な疾患については、ほとんど過不足なく伝えることができるだろう。しかし、遺伝性疾患の病理や、細かい電気生理学的検査の必要な疾患の病態などは学べない。
医療というのは、「経験を拠り所にした技術提供である」ということに、私も異論はない。だから、多くの患者、多くの疾患、多くの手術、多くの診察機会を体験できる病院で研修できるに超したことはない。
だから、最終的にこの病院で学べることは、「どうしても解決できない問題に対して、どういう措置を取るか」ということである。何でもできる医師にはなれない。私たちが考えていることは、何かをできないと判断したときにどうしたいいかを判断できることである。
だから、足りない領域に関する研修は、協力病院である亀田総合病院にお世話になるしかない。

もうひとつ、この病院で学べることは、愉しめる医療である。医療を通じて街の復興に寄与できることが、このうえなく非日常的でインテレスティングでエキサイティングある。これから全国で起こり得るであろう、震災や津波や事故などの災害時の医療研修を行うことができる。
そして、既に何度も述べているが、暮らし自体がイノベィティブでクリエイティブだからである。実際私は今日の診療をひと通り終え、医局に戻り、いまこうし て日記調にエッセイを綴っている。そして、そのパソコンの裏面では、メールのやり取りによって診療以外のプロジェクトを遂行させている。
その内容は、来週病院で行われる新進気鋭のピアニスト、パノス・カラン氏(ギリシャ出身、イギリス在住)のリサイタルの調整と、被災地における小児の成長 発達に関するリサーチのための準備と、来週末に行われる市民公開講座のためのスライド作成と、応援に来ていただいた国会議員の礼状書きと、日本内科学会の 教育関連病院の基準を満たすべく、その算段を練っている。
「忙しいか?」と尋ねられれば、たいして忙しくはない。なぜなら、愉しいからである。

医師が、 ーもっと言うなら人間がー、より高いパフォーマンスを発揮するための原動力は、その行動が”愉しいか否か”にかかっている。
病院に限らないかもしれないが、仕事場などというところは、責任感があって、勤務考課が公正で、尊敬できる上司がいて、愉快な仲間がいれば、どんな場所で も愉しい。逆に、無責任で、不公平で、尊敬できない上司と、感じの悪い同僚に囲まれていれば、どれほどエグゼクティブで、リーディングで、ソフィスティケ イトされた仕事をしていても、全然愉しくない。
研修の原点は、愉しい病院で働くことである。

私たちは、「被災地で仕事をしている」のではない、「被災地と仕事をしている」のである。
私は閉塞する医療現場に長く居たことによって、「自分とその周りの一部の人間さえいい思いをすれば、他はどうでもいい」というような考えになってしまった。
これまでもずっと、他者に尽くそうとしていたし、救えた命も少なからずあったかもしれない。しかし、目の前の患者に対しては、それで良かったかもしれない が、医療を社会全体として捉えることができなくなった。良かれと思ってしてきた私の行為が、どれだけ多くの人に迷惑をかけてきたか、そして、そうしたこと を美徳だとか正義だとか、そんな理屈で自分を誤魔化してきた。
「そんなのは個人の問題だ」と言われれば返す言葉はないが、ここでは、人々との共和が不可欠である。それは、医療者に限ったことではない。街の人に啓蒙を しようと思えば、市民活動家やボランティア団体との調整が不可欠だし、そうした中における”上から目線”は、けっして受け入れられない。
患者の療養を在宅にもっていくなら、保健師や訪問看護師はもちろんのこと、社会福祉協議会やその行政区を管理する区長や自治会長の声を聞くことも条件のひとつである。
そうした状況において、さまざまな人と関わり合っていく中で、人間は最後には、自分とその周りの一部の人間だけのことを考えるのではなく、もう少し社会全体の、延いては世の中のこと、世界のことを考える存在になる。
“社会における自分の立ち位置”、それが、私に対するこの病院の最大の教えだったような気がする。

だからと言って、付き合う相手として「行動パターンや生活感覚やアクティビティや価値観がぴたりと合う人間とでなければ上手くいかない」というわけではない。自分とは違う考えや行動が新鮮に見えることも多い。
ここにいる医療者たちの個性は濃い。私を想像してもらえれば解るとおり、こうして文章を重ねながら生活し、診療し、余暇を楽しみ、人と議論している。それ は、文章を書くという行為を通じて何かを考えたいからである。そして、できるなら人間の考えるという営みに関わり合いたいからである。
ここの人々は、それぞれが与えられた役割や立場や思想で、私とは次元の違う価値観で信じたいものを信じて行動している。それがとても新鮮である。
普段は瓦礫撤去の作業を目的としてユンボ(パワーショベル)を運転している女子が、休日は”芋煮会”を仕切っている。平日は往診をしている医師が、休日は霞ヶ関で官僚を相手に一席ぶっている。
そんな連中と感覚が一致するはずがない。

話しを研修医に戻す。
今さら、「どういう病院が研修に相応しいか」とか、「要は与えられた環境を活かせるかどうか」などということを説くつもりはない。
医師が何十人、何百人と勤務する病院で研修したとしても、直接の指導医はせいぜい数人である。その中において、本当に尊敬できる上司というのは1人か2人であり、確率的な理論で巡り会えるわけでもない。
システマティックに均質で良質な医師を育てられる病院が、”いい研修病院”であることは否定しない。そこそこやる気を引き出し、一定の技術の磨ける人気ブランド病院が、研修医にとって悪いはずがない。
私(たち)は、均質で良質な医師を育てられる確固たる自信があるわけではないが、個性的で仕事を愉しんでいる私(たち)との出会いに期待したい卒業生は、ぜひ当院の門を叩いてもらいたい。

窓から、花火の上がっているのが見えたときに、「あっ、花火だ、見に行こうよ」と立ち上がり、打ち上げている場所もわからないのに、いつまでやっているか もわからないのに、「見えるところに行けばいい、あれに向かって歩けばいい」と花火を目指して進んでくれる恋人・友人・兄弟のような、そういう上司であり たい。

研修医のために、社会人として成長できるいろいろなオプションを用意している(地域医療枠で既に学びに来ている研修医に対して、私が勝手に考えて実行しているカリキュラムだが)。
亀田総合病院との協力による研修をはじめ、一般開業医での診療の手伝い、消防署での救急車同乗研修、ボランティアやNPO団体との協働作業、市民活動への 参加、殺処分を免れた牛の飼育体験、防災FM局でのラジオ出演、内部被曝検診、応急仮設住宅でのサロン活動、往診など、街のシステムを知り復興に貢献して もらえたら、私もこの病院に勤めて一緒に社会参加をしていく意義がある。
南相馬市復興の歴史の1頁に自分の活動の痕跡を残していきたい。

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