医療ガバナンス学会 (2012年11月2日 14:00)
「リメンバー・フクシマ(福島を忘れない)―星槎大学教員免許更新講習in南相馬より(その2/2)」 星槎大学共生科学部教授 東京大学医科学研究所非常勤講師 細田 満和子(ほそだ みわこ) 2012年11月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●傷ついた心を守り、育む
2日目のゲストであるアミア・ミラー氏は、「セッション3」で「被災地支援におけるカウンセリング―アメリカ的なアプローチ」と題した話をしてくださり、 「カウンセリング」の大切さを示してくれました。アミア氏は、ボストンの友人で、経営コンサルタント会社を経営しています。日本で育った経験があり、日本 語も達者です。震災後、何かしたいという気持ちにかられ、2011年6月から仕事は社員に任せ、日本に移り住んで長期の復興支援に取り組んでいらっしゃい ます。
カウンセリングというと、日本では、精神的な病を持つ方々への特別な治療というイメージがありますが、アメリカでは、もっと広く「カウンセリング」が行わ れているといいます。結婚する時、家族や親しい人が亡くなった時、盗難や犯罪被害者になったような時、仕事や家庭生活上で問題があった時など、様々な人生 の節目でカウンセリングを受ける機会があるといいます。問題に直面した時、我慢しないで、自分の中でため込まずに吐き出すことが大事なのです。これは、1 日目の番場氏の講演にも通じることで、ただ話すだけで、誰かに聞いてもらうだけで、震災後の心が癒されることもあると改めて知らされました。
「セッション3」の色平哲郎氏は、「金持ちより心持ち―すきな人とすきなところでくらし続けたい」というテーマで講演されました。色平氏は、宮澤賢治の 「雨ニモ負ケズ」を模した「雨ニモ当テズ」という詩を披露しました。この詩は、現代人が苦労を引き受けず、楽な道を進んでしまいがちなことをアイロニーと して歌ったものです。そして厳しい状況の中で、たくましい人を育むことの重要性を示して下さいました。
色平氏は、長年、地域医療に従事してこられ、常に地域のお年寄りの方々に接してこられました。山登りの時には一番遅い人に合わせることを紹介して頂き、一番弱い人に合わせて作り上げる社会を目指すことの大切さを教えて下さいました。
●立ち上がる市民
「セッション4」では、まず、相馬市職員でサイエンス・カフェを主催する但野直治氏が「市民科学者との出会い」、自営業で相馬を応援する相馬有楽応援団の小幡広宣氏が「震災から学んだこと、伝えたいこと」というテーマで講演をして下さいました。
但野氏は相馬市役所で会計課の職員として勤務すると共に、消防団の団員でもありました。津波の時も消防団活動をしていて、同じ法被を着た仲間を何人も失 い、その後の捜索活動にも携わりました。その時、生きることと死ぬことを考えさせられたといいます。また、前日のゲストの坪倉医師が、見ず知らずの土地で 奮闘している姿にも触発され、「自分のできる範囲で何かをしないと」と思うようになりました。
但野氏には、保育園から小学校までの3人のお子さんがいます。そこで、子どもたちを守るために何ができるかを考え、食の安全を守るための食品放射線測定器をつくることにしました。たくさんの賛同者や協力者が集まり、但野さんは測定器作りに没頭し、ついに完成に至りました。
その過程で但野氏は「市民科学者」として目覚め、一般市民も自分の健康や放射能のことをよく知り、上手に付き合うことが必要だと思うに至り、「サイエン ス・カフェ」を主催するようになりました。「サイエンス・カフェ」とは、食事やお茶をとりながら、専門家から科学についての話を気軽に聞いたり、仲間と話 し合ったりする場のことです。
「最初は、本当にできるかどうか分からなかったけど、本気でやることで、何とかなるってことが分かりました。また、やっていると、それが面白くもなるんです」。但野氏はこのようにおっしゃっていました。
小幡氏は相馬市で建築業を営んでいましたが、地元の同級生と一緒に相馬有楽応援団を結成し、震災後に職を失った方への有償ボランティア紹介、ペット避難所、中高生の教育支援活動、放射線量測定、仮設住宅のゴーヤのカーテン事業など様々な活動をしてきました。
小幡さんの家は海から100メートルの距離に位置していて、甚大な津波の被害を受けました。周りの家がすべて流された中で、それでも小幡さんの家は骨格だけは流されず、ポツンと残っていたそうです。それを見て「俺がやらなくちゃ」という思いを新たにしたといいます。
今も仮設住宅での生活が続く小幡氏ですが、今年(2012年)の夏に熊本で水害が起きた時には、その援助にも駆けつけました。小幡氏は、「できることをで きる範囲でやっていく」、「まずは行動を起こす」、「小さいリスクを怖がっていては行動できない」という心意気を語ってくださいました。これからも地域 で、そして全国で活動を続けてゆかれることでしょう。
●「活私開公」へ
こうした但野氏や小幡氏の活動を「活私開公」や「滅私開公」と表現したのは、東京大学で教鞭をとる公共哲学の第一人者、山脇直司氏でした。山脇氏には「セッション4」で「哲学からの問いと応答」というテーマでお話を頂きました。
山脇氏は、「個人と社会のかかわり方」として五つのパターンを挙げます。それは「滅私奉公(めっしほうこう)」(私という個人を犠牲にして、お国=公のた めに尽くすライフスタイル)、「滅公奉私(めっこうほうし)」(私という個人のために、公共の利益や福祉を無視するライフスタイル)、「活私開公(かっし かいこう)」(私という個人一人一人を活かしながら、人々の公共活動や公共の福祉を開花させるライフスタイル)、「滅私開公(めっしかいこう)」(私とい う個人の私利私欲をなくして、人々の公共活動や公共の福祉を開花させるライフスタイル)、「滅私滅公(めっしめっこう)」(無気力な生き方、ニヒリズム) です。
山脇氏は、「活私開公」を理想とする考え方をずっと唱えてきましたが、3.11以降は「滅私開公」も重要と考えるようになったといいます。氏の標榜する 「公共哲学」は、「公共(みんな)の利益や福祉と個人一人ひとりの生き方との関わり方をどう考えたらよいのか?」という問いから出発します。それは、星槎 の三つの理念――「人を排除しない」「人を認める」「仲間を作る」と共鳴するとおっしゃっていました。
現場の実践を基にした実践的な思想としての公共哲学は、私たちがこの社会を生きてゆく上で、考えるべきことへのヒントをたくさん与えてくれると思いました。
●伝える力
「セッション5 伝えるもの」では、和太鼓奏者の佐藤健作氏、役者であり演劇プロデューサーであり映画監督の塩屋俊氏をゲストに迎え、芸術の領域で震災を伝えることを示していただきました。
佐藤氏は、「ちはやぶる―被災地と世界を響きでつなげる『不二プロジェクト』」と題した講演と、和太鼓の演奏をしてくださいました。佐藤氏は和太鼓を打つ 時、打つことだけに集中して他のことは一切考えないといいます。ひたすら打つ軌道が正しいかだけに気持ちをかけ、それを「力を通す」とおっしゃっていまし た。だから、その響きを聴く者は、それまで眠っていた自らの中の力が呼びさまされるのです。
佐藤氏は震災の後、日本一大きい太鼓「不二」を被災地で演奏する「不二プロジェクト」を主催しています。それは祈りの公演として、人々の力を湧き立たせて います。「復興で力を出せるのは本人のみ」と言い、顕在化していない根源的な力を呼び覚ます太鼓を信じ、佐藤氏は受講者の前で演奏を披露して下さいまし た。圧倒的な響きに会場の空気は変化し、涙を流す方もいらっしゃいました。
塩屋俊氏は、震災後の相馬を『HIKOBAE』という演劇にし、ニューヨーク、東京、相馬で上演してきました。「閉塞感あふれる時代の中で、エンタテイメントが果たすべき役割とは」というテーマでお話を頂きました。
ひこばえというのは、古木や切り株の根元から生えてくる若芽を指し、再生と新しい息吹を象徴しています。演劇の『HIKOBAE』は、震災後の相馬中央病 院での医療者たちと津波で殉職した消防団団員の物語で、テーマは「利他的行為」でした。劇中、「利他的行為」の美しさ、これを尊重し大切にし、しっかり残 すべきというメッセージが溢れていました。
塩屋氏はこれまでに、社会問題を扱ったドキュメンタリー映画を撮り続けてきました。飲酒運転によって息子を失った母親の飲酒運転撲滅運動の記録『ゼロから の風』、ハンセン病回復者の生き方を描いた『ふたたび』、そして2012年には日本の農業の今を描く『種まく旅人』を公開しています。これらの作品では、 厳しい現実が鋭く描写されながらも、エンタテイメントの果たすべき役割が追求されています。
塩屋氏と相馬とのお付き合いは震災以前からで、現在は、浜通りの相馬野馬追の心意気や、農業や漁業に生きる人々を描いたドキュメンタリー映画を製作してい ます。相馬市長の立谷氏とも旧知の間柄で、「原発で負けないで頑張っている人に語りかける必要がある」と、浜通りの人々の郷土への思いを撮りためていらっ しゃいます。
●復興は教育から
最後の「セッション6」では、「次世代に伝える」ということで、常円寺住職の阿部光裕氏から「生きる意味―震災・原発事故から学び取ること」、東京大学医 科学研究所教授の上昌広氏から「現場からの医療改革―福島浜通りでの活動を通じて」というテーマでお話をいただきました。
阿部氏は曹洞宗の住職の家に生まれ、小学校5年生の時に出家しました。その時、「覚悟」が備わったといいます。「覚悟」とは、「私の心が安定することを知 る」ということで、仏の道を進むことを自分のこととして受けとめたといいます。阿部氏は、福島の原発事故を原発「事件」だったといいます。そうでないと、 責任の所在が明らかでなく、誰が「覚悟」を決めるか分からなくなっていると嘆きます。
阿部氏は、この震災という経験を生かすも殺すも自分次第だと「覚悟」して、目の前の現実を見据え、どう考えどう行動するかを決めました。そして今、子ども たちの為に通学路を中心に除染活動を行っています。これが福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」です。この除染のプロジェクトには、週末になると全国 からボランティアが集まってきます。
この活動では、放射線量を測定し、高い場所を優先的に除染します。最近では福島市内で140マイクロ・シーベルトという高い線量を示すホットスポットが見 つかり、周辺の土は直ちに除去されました。その土はドラム缶に詰められ、阿部氏のお寺の裏山に置かれています。他に引き受けてくれるところが今のところな いからです。阿部氏は、このドラム缶には、汚染された土ではなくボランティアの志が詰まっていると思っています。
上氏は震災直後に相双地区に入り、星槎グループや相馬市や南相馬市などの行政と協力して、地域医療の回復、住民の健康診断など様々な活動を行ってきまし た。上氏は、「復興は教育である」と話を始めました。地域が活性化するのは何よりも人づくり、教育であることを、データを示しながら説明して下さいまし た。
明治の開国の頃から、日本の権力者は教育機関を作ってきたといいます。有力者の多くいた西日本の各県では、東日本と比べて医学部・医学校数、リハビリ学校 数が人口100万人に対して多くなっています。そして100万人当たりの医師数、旧帝大への進学者数、各学術的賞の受賞者なども西日本が圧倒的に多いとい います。このような現状に鑑み、復興に弾みをつけるためには、いまこそ教育に力を入れるべきと訴えていらっしゃいました。
また、上先生は「とにかく動くことが重要」とおっしゃっていました。近著の『復興は現場から動き出す』(東洋経済新報社)では、「一人でもいいので本気で やる人が大切です。そのような人が1人いるだけで、物事はなかば成就したようなものです。覚悟がない人が大勢集まっても、何も進まない」と書いておられま す。
今回、ゲスト・スピーカーになっていただいた方がすべて、「覚悟」を決めた「本気でやる人」でした。だからこそ、被災地の方々に受け入れられて、これまで に素晴らしい活動をされてきたのです。危機の中で、当事者としての意識を持ち、できることを全力でする。これは、すべてのゲストに共通する理念と言っても いいでしょう。
●フクシマから世界へ
2011年3月11日の地震とそれに続く一連の災害は、私たちに計り知れない影響を及ぼしました。ただ、それは余りにも大きかったので、私たちは、真正面から目を向け、咀嚼して、自分の言葉で語ることが困難になっているところもあると思います。
しかしこのこと、すなわち震災とその後の多く人々の行動や実践や思想やもろもろの関わりなどは、私たち大人が、次世代を担う子どもたちにしっかりと語り継いでいかなくてはならないと思います。
何人かのゲストの方々は、「福島は忘れられている」とおっしゃっていました。確かにそういう側面もあるかもしれません。しかし、忘れるどころか、ますます 深く関わりあうようになった方々も、一方でたくさんいると思います。それは国内だけでなく、海外にも広がっています。私の良く知るボストンをはじめ、世界 の人がフクシマを忘れていません。
ボストンでは、以前MRICでも紹介したように、南相馬のお婆さん達が作った折り紙が、多くの方々の感動を呼びました。また、ボストンでナンタケット・バ スケットの教室を主催する八代江津子さんは「てわっさTewassa」(福島の方言で、手仕事という意味)という活動で、福島や石巻など被災地の方々へ思 いを届けるメモリアル・キルトを作っていて、その活動は、ボストンの日本人だけでなくアメリカ人、高校生たちにまで広がっています。
これからのフクシマがどのようになってゆくのか、誰がフクシマのために貢献しているのか、誰が復興の障壁になっているのか、あるいは責任を取るべき人が何 もしていないのか、世界は注目しています。フクシマに思いを致す事、それはとりもなおさず、日本の今を思うことであり、日本の向かう方向性を構想するこ と、世界における日本に思いを寄せることになるでしょう。
●3日間の講習を終えて
今回のゲストのお話を通して、講習に参加した教員の方々には、災害の現場で子どもたちを守り、起こってしまった災害を乗り越えて生きていける力を子ども達 に付けてもらうような、理念や心構えを届けることができたと思います。それは、以下のような講習後のアンケートの結果からも読み取れました。
「今まで原発事故で心が落ち込んでいましたが、今回の講習を受講することによって、私でも何か出来ることがあるのではないかと、前に進む心が出来ました。 一人ではなかなか難しいけれど、仲間と共に、目の前にいる児童の為、少しずつ前進していきたいと思います。ありがとうございました!!」(南相馬市在住、 50代の教員)
また、被災地以外の会場での受講者の方からはこのようなご感想も寄せて頂きました。
「今回の講習を通して、私自身を含めて多くの人間が、いかに自分以外の身に起こった危機に対して鈍感であるのか、また記憶が風化されやすいかを痛感しまし た。報道だけではなかなか分からない被災者の生の体験談や、映像に触れることはもちろんですが、実際現地に足を運ぶこと、何かしらの支援活動に自ら参画す ること自体が、被災した方々のためだけでなく、被災地以外に住む私たちの危機管理能力や技術を向上させる原動力となり、また「当事者意識」を育むために、 大変重要であると考えました」(横浜在住、40代の教員)
この講習を真に理解して下さったと、本当に嬉しく思いました。来年もまた、相双地区でこのような講習会を開催する予定です。その時までに、まだ「何も変 わっていない」となるのか、「変化が見られるようになった」となるのか、これからもずっと関わり続け、見てゆきたいと思います。リメンバー・フクシマ(福 島を忘れない)ということ。それはまた、福島と関わり続ける自分とは何か、福島を取り巻く日本とは何かを見つめる旅にもなるでしょう。
【謝辞】
本講習を受講して下さった全国の学校の先生方、グループ・ディスカッション、パネル・ディスカッションに積極的に参加して下さいまして、ありがとうござい ました。皆様のご意見は、講習を進行する上でも、災害とその対応を考える上でも、大変貴重なものでした。また、この講習を企画・運営するうえで、星槎グ ループの宮澤保夫会長、井上一理事長、松本幸広氏、尾崎達也氏、星槎大学の山本健太氏、依田真知子氏に大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上 げます。
*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。
紹介:ボストンはアメリカ北東部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程の後、2005年からコロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て、 2008年からハーバード公衆衛生大学院フェローとなる。2011年10月から星槎大学教授、2012年7月から東京大学医科学研究所非常勤講師を兼任。 『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)、『チーム医療とは何か』(日本環境協 会出版会)。現在の関心は医療ガバナンス、日米の患者会のアドボカシー活動。