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Vol.637 『ボストン便り』(第43回)「リメンバー・フクシマ(福島を忘れない)―星槎大学教員免許更新講習in南相馬より(その1/2)」

医療ガバナンス学会 (2012年11月2日 06:00)


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「リメンバー・フクシマ(福島を忘れない)―星槎大学教員免許更新講習in南相馬より(その1/2)」

星槎大学共生科学部教授
東京大学医科学研究所非常勤講師
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2012年11月2日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。

●教員免許更新講習
2009年から教員免許は更新が義務付けられ、幼稚園、小学校、中学校、高校の先生方は、10年に一度、講習と試験を受けるようになりました。星槎大学では、今年度は1万3千人以上の更新講習の受講者を受け入れています。
その更新講習のひとつとして、10月6日(土)、7日(日)、8日(月)に、南相馬市において「震災を超えた未来のために~教育現場におけるリスクマネジ メント~」というテーマで講習が行われました。私も企画・運営に携わりましたので、その記録を記したいと思います。その前に、まず、どうして私がこの事業 に関わるようになったか、概略を紹介したいと思います。
東日本大震災が起きた時、私はボストンにいました。遠く離れているため余計に何もできないという無力感が募り、いてもたってもいられず2か月後の5月に相 双地区を訪れました。その時にお世話になったのが、震災後いち早く相双地区に入り、支援活動をおこなってきた星槎グループだったのです。旧知であった東大 医科研の上昌広氏に何かできることはないかと相談し、星槎グループを紹介して頂いたのでした。ちなみに現在、その時のご縁で星槎大学の教員をしておりま す。
私は実質的な援助の技術は何も持っていませんが、話を聴くこと、それを文章にすることで拙いながらお役にたてると思うので、そうした活動を行ってきまし た。その過程で様々な方々と出会いました。原発事故の警戒区域となって避難生活を送っていらっしゃる方、津波で家を流されて仮設住宅に住んでいらっしゃる 方、学校や塾の先生、医療専門職の方、ボランティア活動をなさっている方など、この地域のために何らかの活動をしていらっしゃる様々な方々から非常に貴重 な話を聴いてきました。
こうした話は、これまでにも折に触れて文章化してきましたが、今回、星槎大学で教員免許更新講習を行うにあたって、子どもたちを守る最前線にいらっしゃる学校の先生方に是非聞いていただきたいと思いました。

●マニュアルから理念へ
教育安全上、災害時には学校全体で子どもたちの生命を守り心身の安全を図ること、災害後はこころのケアや具体的支援が迅速にできる事が求められています。ただし、それは、マニュアルを作ってその通りに行動すればいいというものではありません。
学校の先生方には、更新講習という機会を利用して、東日本大震災の現場に身を置き、子ども達の声を聴き、当事者の立場で考え、行動し、伝えている方々の声 をくみ取っていただき、ご自身の身にしてほしいと思いました。そのことこそが、将来、遭遇するかもしれない危機的状況の中で、教師・市民としてとるべき態 度・知識・考え方を身に付ける手がかりになると思われたからです。それは、いわゆる理念とか思想といったものに近いと思います。
震災や何か危機が起こった時、マニュアルを見ている時間はありません。とっさの判断が重要になります。その判断をする時に、よりどころになるのが理念で す。私が相双地区で出会った方々はみな、確かな理念を持っていました。ぜひそれを、全国の先生方に伝えたい。そう思って、更新講習のプログラムを組みまし た。

●聴く・考える・伝える
プログラムでは、6つのセッションを立てました。現場に身を置き行動している方々として、311以後、私が相双地区で出会った方々をゲスト・スピーカーにお迎えし、聴く・考える・伝えるというテーマで下記のように組みました。
セッション1.子どもの声を聴く
子ども(高校生)の声を聴く(二本松義公:福島県立相馬高校校長)
子ども(塾生)の声を聴く(番場さち子:塾経営)
セッション2.こころと体の声を聴く
こころの声を聴く―子どものケア(吉田克彦:相馬フォロアーチーム)
からだの声を聴く(坪倉正治:東大医科学研究所。WBCを導入)
セッション3.考える力を鍛える
外国人から見た震災と援助(アミア・ミラー:Vigor Japan)
地球市民として考える(色平哲郎:佐久総合病院)
セッション4.市民としての考える力
市民の立場から考える(但野直治:相馬市役所、サイエンス・カフェ主催)
市民の立場から考える(小幡広宣:相馬遊楽応援団)
哲学からの問いと応答(山脇直司:東京大学大学院。公共哲学)
セッション5.伝えるもの
心を伝える(佐藤健作:和太鼓奏者。被災地公演「不二プロジェクト」。)
演劇で伝える(塩屋俊:監督。相馬中央病院の震災後の様子を描いた『HIKOBAE』)
セッション6.未来に伝える
次世代に伝える(阿部光裕:住職。福島復興プロジェクトチーム「花に願いを」)
改革は市民の目線で(上昌広:東大医科学研究所。多角的に被災地支援)

以上のゲスト・スピーカーを迎え、まず、それぞれの思いや活動を語っていただきました。その後、受講生の方々(=学校の先生方)にグループ・ディスカッションをして頂き、細田がファシリテイターを務め、上記の講師と受講者とのパネル・ディスカッションを行いました。
講習は、帯広・札幌・仙台・大宮・横浜・浜松・大阪にある7ヶ所の星槎校舎と、南相馬市の会場とをテレビ会議システムで結んで行われました。ほとんどのゲ ストの方々には南相馬市に集まって頂きましたが、何人かには最も受講者数の多い横浜の会場にお越し頂きました。南相馬のゲストの何人かは、今でも仮設住宅 に住んでいらっしゃいます。また、南相馬の受講者にも、自宅が警戒区域内の為、仮住まいの方が何人かいらっしゃいました。

●何も変わっていない
福島県立相馬高校の二本松校長には、「セッション1」を担当して頂き、「東日本大震災に遡って」というテーマでお話を頂きましたが、第一声は「何も変わっ ていない」でした。二本松校長は、ご自宅が原発から15キロ圏の南相馬市の小高区という避難区域にあるため、現在も避難を強いられています。現在、小高区 は、住むことはできなくても、入ることはできるようになっているので、よけいにひどい状況になったそうです。誰でも入れるということは、泥棒も入れるとい うことです。二本松氏のご自宅も、めぼしいものは盗まれ、めちゃくちゃにされていたそうです。
「非日常が日常に変わっている」、とも二本松氏はおっしゃっていました。自宅を追われた避難生活がもう1年半にも及んでいます。本来は避難生活とは非日常 のことなのに、何も変わらないままでいるので、これが普通になろうとしているというのです。「福島はもう忘れ去られているのだろうか」。二本松氏は憤りを 隠さず、しかし静かに受講者たちに現状を訴えていらっしゃいました。
番場ゼミナールの番場氏には、やはり「セッション1」を担当して頂き、「必要とされる生き方・・・ご縁に感謝して」というテーマでお話して頂きました。そ こでは、この地の方々の抱える原発事故の深い傷跡が語られました。南相馬では、津波で重い怪我を負いながらも生き延びた人たちがいました。しかし、原発事 故のために救助が入ってこられませんでした。助かったはずの命がどれほど失われたことか。
小さいお子さんを持つ家族を中心に、遠くに自主避難されている方々も、様々な問題に直面し、放射能への心配からなかなか南相馬には帰ってこられないといい ます。他県に避難された方のお子さんは、「前の学校のことは忘れなさい」とか「いつまでもクヨクヨしないで」などと転校先の学校でいわれ、誰も分かってく れないと登校拒否になったといいます。ご両親が公務員のために南相馬市を離れられず、子どもたちだけで他県に避難しているご家族もいるとのことでした。
南相馬に残ったお子さんや、避難先から戻ってきたお子さんにも、様々な心の傷があるとのことでした。「子どもたちは疲れている」、番場氏はそうおっしゃっ ていました。子どもだけでなく、親御さんたちの中にも、急にタバコを吸い始めたり、夫婦で別居するようになったり、急に泣き出したりする人が出てきている といいます。
1年半たって支援がどんどん縮小されている中で、何も変わらない現実を目の当たりにして、言いようのない大きな不安がとぐろを巻いている状況です。

●リーダーの役割
二本松氏の語る地震発生直後の学校の様子では、献身的に生徒の安否の確認にあたる先生方の活躍が何度も登場してきました。多くの先生が、自ら被災者であり ながら、死に物狂いで生徒に連絡を取っていたのです。生徒の携帯電話にも助けられました。避難所をいくつもまわって、他の生徒たちの安否を先生に伝えてく れた生徒もいました。
そうした震災の現場の先生や生徒たちの献身的な姿があった反面、原発情報を受けて、規定に従って本庁に判断を仰ごうとした二本松氏に対する本庁の人々の態 度は、ひどいものだったといいます。電話がなかなかつながらない中、やっとつながったと思ったら、たらい回しにされました。最終的につながって話ができた と思ったら、返事は「ファックスを送ったのでそれを見るように」というものでした。「はらわたが煮えくり返るようなことが何度もあった」、二本松氏はそう おっしゃっていました。
警察、職員、自衛隊、みんな働いている中、公立学校の教員という公務員は何もしなくてもいいのかと、二本松氏は自問したといいます。そして「とにかく校長 の指示で動いてくれ。責任はとる」、二本松氏はこの様に言い、本庁の指示を待つことなく現場で指揮をとりました。リーダーにはこの覚悟がないと、現場は動 けなかったといいます。
二本松氏は、将来、また何かあった時のために、常に食糧の備蓄をし、電話などのラインがつながらない場合の情報入手の仕方を工夫し、あらゆる訓練を見直す ことが重要であると結びました。また、非常事態の際は、ルーティンワークを見直し、現場中心にリーダーが責任をとって判断を行うべき、と受講者に伝えてい らっしゃいました。

●心のケアとは
1年半たっても何も変わっていない状況の中で、心が折れてゆく人たちがたくさんいることも、この講習では何人ものゲストから語られました。番場氏は、「泣 く場所」が必要だとおっしゃっていました。番場氏ご自身、生徒や生徒の母親などの話を聴く活動を折に触れてしてこられ、およそ9割の方が話しては涙を流し ていかれたそうです。親や夫や家族、学校の先生には言えないような話を、塾の先生である番場氏には話せるのです。
番場氏も、津波の時は南相馬市にいらして、間一髪で津波から逃れたという経験をしています。その後、短い避難生活を経て自宅に戻り、4月18日と22日に 地域の学校が再開されるまで、塾を無料で開放して子どもたちの居場所を作ってきました。これはこの時の子どもたちにとって、一番必要なもののひとつだった のでしょう。
ゲストを交えてのパネル・ディスカションでは、南相馬会場のある受講者が、ご自身の学校に星槎グループのスクール・カウンセラーが来てくれて良かったとい うお話をしてくださいました。これは、まさに「セッション2」で、「解決思考の被災地支援」というテーマで講演してくださった吉田克彦氏が行っている活動 であり、今の学校に必要とされている事なのだと改めて思いました。
吉田氏は長くスクール・カウンセラーをしていらして、震災後は、子どもたちの心のケアを行う相馬フォロアーチームの一員として、神奈川県から相馬市に引っ 越し、長期的な関わりを続けています。吉田氏は、「カウンセラーは黒子がいい。子どもと担任の先生や養護教員の先生との関係を良くして、子どもたちが自分 で解決していけるような環境を作るのが自分の仕事」とおっしゃっていました。
そして、相馬・南相馬では、学校が4月18日と22日と、比較的早期に始まったことが、子どもたちにとってとても良かったことを指摘し、学校再開に向けて頑張った先生方に賞賛の言葉を送りました。
「震災があったから人生台無しになった」ではなくて、「震災があったけれど、人生に花マルを!」と後に思えるように。そのために最大限のことをしたい、と 吉田氏は言いました。PTSD(Posttraumatic Stress Disorder)ではなくて、PTG(Posttraumatic Growth)へと、トラウマを成長につなぐ支援を目指しています。阪神淡路大震災の経験から、PTSDは3年後に一番強く現れるといいます。今は東日本 大震災からから1年半後ですので、まだしばらくの注意が必要でしょう。

●専門家の役割
震災後、専門家が自身の役割を果たすことで地域に大きな貢献をしてきました。「セッション2」の後半では、「放射線による人体への影響について 内部被曝 を中心に」というテーマで、東大医科研所属で南相馬市立総合病院非常勤医師の坪倉正治氏にお話を伺いました。坪倉氏は震災後に相馬市・南相馬市に支援に入り、原発事故を起こした福島第一原子力発電所から最も近くに位置する総合病院である南相馬市立総合病院で、一般診療や住民の健康管理をしていらっしゃいます。
原発事故に関しては、原子力や医療の専門家と言われる多くの人が科学的言説で語ることをやめ、人々を混乱させないためや安心させるためという理由で政治的 言説に走り、かえって大きな混乱を生じさせました。そのような中、坪倉医師は、医師として科学者として粛々と住民の健康診断を続け、内部被曝の記録を積み 重ねてきました。
総合病院では3台のホールボディ・カウンター(WBC)を導入して、これまでに6000人の子どもや大人の内部被曝の値を測ってきました。その結果、セシ ウムの検出率が次第に下がっている事、それは、チェルノブイリ後のベラルーシとは比較にならないほど低い事が分かりました。坪倉氏は、1年以上にも及ぶ地 道な住民の検査の結果、野山や地のものを食べないで、流通しているものを食べている限り、内部被曝のリスクはかなり低いことを証明したのです。逆に、地元 の山で採れたキノコや、野生のイノシシを食べた方のセシウムは、極端に高い値を示しているといいます。
坪倉氏は「お父さんお母さんが頑張って、子ども達に安全な食べ物を与えていた」と親たちを称賛し、「日本の食品自給率が低いのが幸いした」とおっしゃって いました。継続して測られた具体的な数値を基にした講演は、とても説得力がありました。見えない放射能を単に怖がっているのでなく、被害を最小限にするた めに何をすべきかが分かり、受講者たちは納得して聞いていました。
坪倉氏はまた、放射線被害を避けるために、家の中に閉じこもりがちになることが、深刻な健康被害に結び付くことも警告しました。震災後は、運動不足によっ て高血圧、高いコレステロール、糖尿病のリスクが飛躍的に高まったとのこと。これは、どの年齢層にも当てはまるといいます。子どもでさえ、300人の学校 だったら200人が送り迎えという事態になり、すぐ疲れて走れない子どももいるとのことでした。「健康リスクに関してバランスをとる必要がある」という言 葉は、印象的でした。

(その2/2に続く)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程の後、2005年からコロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て、 2008年からハーバード公衆衛生大学院フェローとなる。2011年10月から星槎大学教授、2012年7月から東京大学医科学研究所非常勤講師を兼任。 『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)、『チーム医療とは何か』(日本環境協 会出版会)。現在の関心は医療ガバナンス、日米の患者会のアドボカシー活動。

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