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臨時 vol 116 「新型インフルエンザと東アジアの伝統医学」

医療ガバナンス学会 (2009年5月23日 06:55)


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JR東京総合病院 血液リウマチ科
北里大学大学院 医療系研究科(東洋医学)
津田篤太郎


【 新型インフルエンザと現在の治療 】

2009年4月下旬、メキシコでブタから感染したインフルエンザの報告(数十例
の死亡報告を含む)が公にされた。それからまだ1か月を経過していないが、筆
者がこれを書いている現在、流行は北米・南米・ヨーロッパ・東アジアに拡がり、
全世界で10,000例を超えた。日本国内でも300例に迫っている。いまのところ、
当初懸念されたような強毒性ではなく、1957年流行のアジア風邪並みの死亡率
(0.4%程度)とされている。しかしながら、1918年のスペイン風邪では、パンデ
ミック第一波は病原性の弱いものであったとされており、今後北半球が冬季を迎
えたころ、毒性の強いウィルスに変異する可能性はまだ残っている。

治療としては、抗インフルエンザ薬であるオセルタミビル(タミフル?)・ザ
ナミビル(リレンザ?)が有効とされているが、あくまでin vitroのデータから
推認されている有効性であり、まだ、臨床的に有効か否かを判断できるデータは
無い。また、2006-07年のシーズン以降、オセルタミビル投与と小児の異常行動
の関連を指摘されており、現在10代未成年者への使用が制限されている。(しか
し、現在日本で報告されている新型インフルエンザ患者の大半が高校生である!)

2009年に入り、通常の季節性インフルエンザ(Aソ連型)では、そのほとんど
がオセルタミビル耐性になっている可能性を示唆する報告がなされている。しか
も、強毒性鳥インフルエンザ(H5N1)では、すでに耐性ウィルスの報告が2005年
からなされている。

世界の人口の多くを占める貧困層には、これら抗インフルエンザ薬はきわめて
高価である。現在WHOが中心となって適正供給の努力がなされているものの、
型インフルエンザの拡がり、または病原性の変異の仕方によっては、買占めが起
こったり、純正品ではない薬剤が出回ったりすることも予想される。


【 中国政府の発表した治療指針 】

5月9日、中国政府(衛生部)は、新型インフルエンザ対策について発表した。
6つの項目からなり、1 病原体について、2 流行の現状、3 臨床症状ならびに検
査所見、4 診断、5 隔離の基準、6 治療について述べられている。最後の 6 治
療の項で、抗インフルエンザ薬やその他の支持療法の記載と並んで、中医学的治
療についても頁を割いている。

中国は、2002-03年に重症急性呼吸器症候群(SARS)の大流行を経験しており、
数百人の犠牲者を出している。原因は新型のコロナウィルスとされ、インフルエ
ンザに対するオセルタミビルのような疾患特異的治療は存在しなかった。新型イ
ンフルエンザの対策に関し、中国政府は当時の経験を参考にしているのではない
かと筆者は推察している。

広州中医薬大学第二附属医院の林琳らは、SARS103例について分析している。
(中医臨床 25:321-329,2004)SARSの病期を、早期(発病後1-5日)、中期(発
病後3-10日)、極期(発病後7-14日)、回復期(発病後10-14日以降)に大別し、
それぞれに治療の方針が詳説されている。

早期は、粘膜免疫がウィルスによって破られた状態(衛分証)と捉え、銀翹散
や三仁湯といった感冒の初期にも使われる処方を加減したものが使われる。中期
は、ウィルス血症を起こし、サイトカインが分泌されて免疫反応が活発化する段
階(気分証)である。達原飲や甘露消毒丹など、抗炎症作用を有し、かつ免疫が
効率よくウィルスを排除できるよう調整する処方が中心である。極期は、発熱・
疼痛・浮腫などの生体反応が極めて強く、全身的な消耗(特に消化管への波及)
を起こす時期(営分証)である。間質性肺炎や播種性血管内凝固症候群(DIC)
など、不適切な炎症反応が生体構造を破壊し、しばしば致命的になる段階である。
ステロイドや抗菌剤、免疫グロブリン製剤も併用しながら、清営湯など、抗炎症
作用と荒廃した生体の状態を回復させる作用の両方を併せ持つ処方が選択される。
回復期は消耗した体力の回復を目的とする処方となる。

治療成績は、治癒して退院したもの96例(93.2%)、死亡例は7例(6.8%)で、
WHOが2003年7月に推定した死亡率9.6%(SARS 8069例、死亡775例)よりやや低
い数字である。

新型インフルエンザに関する政府指針では、中医学的治療の項で3つの病型を
提示し、症状、治療法、処方例がそれぞれ具体的に記載されている。一つ目は、
呼吸器粘膜の免疫がウィルスによって侵された状態であり、衛分証に対応してい
る。処方は、喘息や気管支炎に良く用いられる麻杏甘石湯に、柴胡や黄?といっ
た抗炎症作用をもつ生薬が加味されている。二つ目は、下痢や嘔吐といった消化
器症状を伴う状態であり、やや重症の気分証を想定しているようである。処方は、
葛根黄連黄?湯に?香正気散の一部の生薬を加味したものである。葛根黄連黄?湯
と?香正気散は、いずれも高温多湿な華南に流行する感染症(温病)による胃腸
炎によく用いられる処方であり、流行地の気候・風土が病像を修飾する可能性を
考慮したと思われる。三つ目は、高熱や意識障害、呼吸不全を呈する極期であり、
営分証に対応する。処方は、麻杏甘石湯の骨格を残しながら、呼吸器系へ消炎作
用を発揮する?楼、消化管の殺菌や解熱作用を有する大黄、さらに水牛の角が配
合されている。以前は犀角が使われてきたが、野生生物保護のため水牛の角で代
用されている。犀角は古くから高熱を伴う出血傾向に使用されてきた。つまり重
症感染症にみられるDICを念頭に置いた生薬といえる。

興味深いことに、この治療指針には、中国国内のOTC薬による処方例も併記さ
れている。中国では健康保険の加入率は低く(2007年末で約2億人)、医療機関
で専門家による治療が受けられない患者が今後多く出現しうる現状に配慮してい
るものと考えられる。現在、中国国内の新型インフルエンザ患者報告数は非常に
わずかであり、この治療指針の臨床的有効性は評価できない。


【 日本漢方とインフルエンザ 】

江戸末期の名医、本間棗軒(1804-72)の著書『内科秘録』には、「天行中風」
の記載がある。それまで「中風」という病名に対しては、脳梗塞後後遺症と感染
性発熱疾患の二つの意味が混同して使われてきたが、本間棗軒は、インフルエン
ザの概念を中風から区別し、「天行中風」と呼称することを提唱した。曰く、
「此病の流行は必ず関西に起こって関東にいたる。近世流行したる阿七風、琉球
風、檀法風、薩摩風の類、即ちこれなり」繰り返す地域流行と、それがパンデミッ
ク化していく様子がここに記載されている。

棗軒は、一般には通常の感冒と同じ治療で良く、葛根湯を第一選択としている
が、重症例には解熱作用を強化した大青龍湯、軽症例には胃腸にやさしい参蘇飲
が良いとしている。日本で伝統的に使用されている処方は現代中国で使われる処
方とかなり異なっているが、これは、日本の医家が、寒冷地である華北で流行す
る熱性感染症(傷寒)にたいする治療マニュアル(『傷寒論』)を重要視してき
たためである。現代西洋医学では、個人差や人種差、地域差というものを治療に
反映させる方法論があまり発達していないが、こうした違いをシステマティック
に治療の最適化につなげることができるかどうか、今後の課題であろう。

福岡大学附属病院の鍋島茂樹・総合診療部長は4月の感染症学会で、インフル
エンザ患者20例をオセルタミビル投与群と麻黄湯投与群に分け、同効性を示した
発表をおこなった。麻黄湯は大青龍湯と葛根湯の中間に位置する処方である。大
青龍湯は現在、保険収載されておらず、エキス剤を入手することができない。筆
者の所属する北里大学東洋医学総合研究所では、麻黄湯エキスに石膏を混合して
大青龍湯に近似させ、インフルエンザに対する効果を確かめる臨床試験が進行中
である。

インフルエンザに対する漢方薬の作用メカニズムも少しずつ明らかにされてお
り、葛根湯を投与したマウスを用いた実験では、1 肺病変の進行抑制、2 肺胞上
皮でのIL-12 の産生促進、3 IL-1αの産生過剰反応を抑制して解熱させる、など
の結果が観察されている。活性成分としては、「桂皮」に含まれるシンナミル化
合物があげられている。

日本では皆保険制度の下、抗インフルエンザ薬にも漢方薬にも比較的自由にア
クセスできる現状にある。10代の未成年者や授乳中の女性などでは、積極的に漢
方薬が推奨されるケースもあると思われる。こうした「地の利」が、今後深刻化
するかもしれないインフルエンザの臨床の場に生かされるよう、筆者は願ってや
まない。

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