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Vol.642 現場からの医療改革推進協議会第七回シンポジウム 抄録から(10)

医療ガバナンス学会 (2012年11月4日 18:00)


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政権交代を振り返る

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2012年11月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


セッション10:11月11日(日)16:30~18:00
小松 秀樹
土屋 了介
内田 健夫
森澤 雄司
鈴木 寛
梅村 聡 (ビデオメッセージ)

会場:東京大学医科学研究所 大講堂
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一歩も進めず、三歩さがる:官僚に大惨敗
小松 秀樹

2009年9月、民主党政権誕生直後、私は新政権に対して注文を付けた。(「民主党には現実認識に立脚した医療政策を期待」m3.com, 2009年9月9日)
1 新政権に望むのは安定。
2 民意は、激情という非合理を多量に含む。民主党指導者には、冷静に自民党再建の中核になる政治家と大きな議論をすることを勧めたい。数に任せて自民党を粗末にすることがあってはならない。
3 政治家は思想家ではない。合意形成のプロであって、信念のプロではない。
4 保守政治家がどの政党(民主党、自民党、国民新党、みんなの党)に所属しているかは偶発的。民主党と自民党の公約は似ていた。長持ちする対立軸は形成できない。保守政党は政治の安定のための第三極になれない。
5 次の参議院選挙で民主党は敗れる。
6 安定のためには、成り立ちが異なる政党、具体的には公明党に協力を求めるしかない。
7 マニフェストは日本の政治風土の影響を受ける。強いられたポピュリズム。マニフェストより議会での議論がはるかに重要。マニフェストに引きずられて政治判断を誤ってはならない。
8 マニフェストでは少子高齢化を最重要課題としていた。医療政策よりこちらが重要。
9 医療政策を政治的言語で大議論すると弊害がでる。「あるべき論」ではなく、実情の認識に基づいた定量的議論が必要。人材や費用が足りない場合、安易に現場に無理を強いることができるような状況ではない。政権交代後の民主党はあまりに稚拙だった。

1 パフォーマンス
改革のための方法として採用した事業仕訳は、その場限りのパフォーマンスでしかなかった。具体的問題に粘り強くコミットし続けるプロの仕事が見えなかった。
2 財政
無駄削減で子供手当の費用をねん出するとしていた。ところが、無駄削減をあっさり捨てて、自民党政権以上のばらまきを行った。復興予算のばらまきは常軌を逸していた。
3 脱官僚
脱官僚の意味は、行政的中央集権による規制を取り払い、個性的でエネルギッシュな個人が、未来を切り開く活動をできるようにすることだと理解していた。と ころが民主党の言う脱官僚は政治家による行政的中央集権だった。東日本大震災では菅総理が官邸中央集権に挑んで大失敗した。結果としてこれまで以上の官僚 主導になった。
4 政治家の資質
世襲のおぼっちゃま、現実無視の規範で社会を縛る官僚、目立ちたがりの松下政経塾出身者ではなく、何かを成し遂げた若者を政治家の出身母体とすべきである。

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政権交代を振り返る
土屋 了介

2009年の政権交代の前後を国立がんセンター中央病院長として過ごした経験を通して政権交代を振り返る。2006年4月に病院長に就任し、2010年4月に退官した。
2009年(平成21年)4月より平成21年8月まで規制改革会議医療タスクホース専門委員として、2009年9月より2011年3月まで規制・制度改革 に関する分科会・ライフイノベーションWG(ワーキンググループ)主査として関与した。また、同時期に始まった厚生労働省の省内事業仕分けの仕分け人も勤 めたので、内閣府と厚生労働省での経験から見た政権交代を振り返る。この間の自民党政権下の規制改革会議と民主党政権下の規制・制度改革に関する分科会お よび行政刷新会議の主要構成員を示す。
・規制改革会議(2009年4月)
議長 草刈 隆郎 日本郵船株式会社取締役・相談役
議長代理 八田 達夫 政策研究大学院大学学長
規制改革会議は、2010年(平成22年)3月31日をもって終了。
・行政刷新会議(2010年6月)規制・制度改革に関する分科会
分科会長 大塚 耕平 内閣府副大臣(規制改革担当)
分科会長代理 田村 謙治 内閣府大臣政務官(規制改革担当)
分科会長代理 草刈 隆郎 日本郵船株式会社取締役・相談役
・行政刷新会議(2012年10月現在)規制・制度改革委員会
委員長 岡 素之 住友商事株式会社相談役
委員長代理 大室 康一 三井不動産株式会社特別顧問

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政権交代を振り返って
内田 健夫

2大政党制の確立をめざし小選挙区制が導入されて、日本で初めての本格的な政権交代が3年前に実現した。背景はやはり自民党長期政権への飽きと、停滞する 政治への失望、そして民主党による新しい政治への期待にあった。しかし残念ながら、民主党は政権を取りながらも沖縄問題、東北大震災後の対応とエネルギー 政策のぶれ、3党合意による消費税増税など迷走を重ね、離党者が続出する状況を招いた。
問題は、民主党が政党として政権を担当するまで人や経験といった点で成熟していなかったことにある。野党時代は政権を攻撃する気楽な立場であり、年金問題 など突出した戦略で政権を追い詰めることに成功したが、その中身は政権奪取のための反自民の寄り合い所帯であり、マニフェストよりも党内事情を優先させ、 基本的な方向性までぶれてしまい、国民の期待と信頼を大きく裏切ることになった。勿論国民の生活が第一、脱官僚といったところでの一定の成果は上げたが、 あまりにも失点が多過ぎた。
日本にはまだ健全な2大政党制と政権交代を維持するだけの基盤が無いとも言える。権力を求めて離合集散を繰り返し、国民の選択に耐えるだけの明確な対立軸 を持つ2大政党が存在していない。今回の3党合意による消費税増税と社会保障の一体改革にしても、事の是非はともかくとして国民には選挙という意思表示の 機会もなければ意見表明の場もない。ますます政治に対する参加意欲を失う状況に追い詰められている。この状況は誰にとって都合の良いことなのか、よく考え ることが必要だろう。
本シンポジウムではこの間の医療政策を振り返りながら、現在私が関わっている神奈川の黒岩県政における医療政策を、地方における政権交代という視点から触れてみたい。

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感染症診療・感染防止対策の立場から
森澤 雄司

2009年4月に北米大陸から世界へ拡大した新型インフルエンザA /H1N1pdm2009は、5月の関西地方における小流行、8月の沖縄地方における地域流行を経て、9月からは本格的な流行が全国へ拡大した。わが国で はまさに政権交代の激動期と同調して事態が推移することとなった。筆者らはスペインインフルエンザのような高い致死率を前提とした対策は現場に混乱をもた らすとして反対したが、厚生労働大臣の判断を覆すことは出来ず、民主党政権へ交代した後にも現場からの声は届かなかった。結局のところ、医療現場では季節 性インフルエンザと同様に対応するのが常識となった2011年3月にようやく”新型” の指定が取り消された。この間、10-mLバイアル製剤、輸入ワクチンの緊急承認、優先接種順位、などの新型インフルエンザワクチンをめぐる問題も含め て、医療の現場は厚生労働省から乱発される通知や事務連絡で大変に混乱したが、結果として見ると、新型インフルエンザ流行によるわが国の健康被害は諸外国 と比較して著しく小さく抑えることが出来た。その背景には、医療現場の臨床判断と郡市医師会や保健所のレベルで連携した地域医療ネットワークがあり、地域 医療連携が多大な役割を果したと考えられる。しかし、地域医療の充実と地方自治の重視を選挙公約に掲げていた現政権は、2012年4月に新型インフルエン ザ等対策特別措置法を成立させるに至り、新型インフルエンザ発生に際して、「国民の生命と健康に重大な被害を与える恐れがあり、生活と経済に甚大な影響を 与える」と判断すれば、政府はほぼ無制限に集会禁止を命令することが可能となり、さらに政府が「都道府県ごとに緊急事態を宣言する」強大な権力まで法制化 することとなった。医学界や法曹界から基本的人権の制限と公共の福祉との利益衡量を含めた科学的な議論が不十分であり、法案成立は拙速で不適切であるとの 指摘があったが、国会における”通り一遍の” 議論ではまったく顧みられることがなかった。
急性期ケア病院における高度耐性菌アウトブレイクの社会問題化を背景として、2010年4月の診療報酬改定から感染防止対策加算が整備されて、2012年 4月にはその改定から増額が認められるなど、医療現場の患者安全を支援する動きも見られた。しかし、不活化ポリオワクチンをめぐる混乱などもあり、結論と して、感染症診療・感染防止対策の領域においても、現政権の「政治主導」が発揮されたとは考えにくいと総括せざるを得ないのではないか、と判断している。

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