医療ガバナンス学会 (2012年11月21日 06:00)
『コミュニケーションリーダーシップ』(佐藤玖美著、日本経済新聞出版社刊)という本が出た。副題に「考える技術 伝える技術」とあって、PRとかマーケティングコミュニケーションを超えて、最終的に人を動かすにはどうしたらいいかということ
を、さまざまな事例を用いて解説したコミュニケーション戦略に関する著書であるが、アメリカ生活の長かった私の場合、「なるほど」と興味深く読ませていただいたが、一般の日本の読者にとってはかなり新鮮に受け止められる方も多いのではないだろうか?
本の帯に「ドライブ(Drive)、差異化(Differentiate)、エンハンス(Enhance)、リポジション(Reposition)――人 を動かす4つの戦略を伝授!」とあり、そのための論理の組み立て方を明らかにする本という触れ込みだ。確かに、4つの戦略の頭文字をとったDDERマト リックスだったり、SWOT分析、さらには戦略的インペラティブという用語も出てきて、なんだか軍隊の秘密コードのように難解に感じられるかもしれない が、相手に何かを伝えるだけでなく、その上でわかってもらい、行動に移してもらうためにはこうした論理的に考えた戦略が必要で、著者が若いときに勉強した コミュニケーション先進国のアメリカならではのことだと感心しつつも、そういえば医学の分野でも似たようなことはあったなと思い出した次第である。
アメリカでは臨床医学のトレーニングにおいてSOAP noteということをよく聞く。これはSubjective、 Objective、 Assessment、 Planという言葉の頭文字であるが、治療計画を立てる上で、まず同僚の医師たちに自分の考えをsystematicに伝える方法で
ある。これは外科の特殊な分野(脳外科、形成外科)などよりは、一般内科、小児科などの教育でより重宝されている。たとえば、ひどい夜泣きに発熱と嘔吐を 訴えて小児患者が母親に連れられてくる。医学生あるいはインターンはまずこのSOAPに従ってストリーを組み立てていく。Sはこの場合、前述の夜泣き、発 熱、嘔吐となる。Oは患者を診察して得られる情報で、発熱の程度、夜泣きの具体的内容(この場合間歇的と判明)、腹痛の部位が特定できないこと、さらには 聴診所見となる。Aはこの時点では虫垂炎(盲腸)か腸重積症が疑われるとなり、Pはレントゲン検査が必要となる。アメリカの内科系の症例のプレゼンテー ションは大体こういう感じで、これには聞き手に「わかってもらう」ようにうまく行う必要があり、高いコミュニケーション能力を要求される。逆にSOAP方 式でプレゼンテーションしてもらうと、アメリカの医師なら非常にわかりやすいと思うだろう。
アメリカの臨床医学の現場では、日本のような学閥はあまりないため、とくに内科系では先に述べたようなプレゼンテーションがうまくできないと、どんな大学 を出ていても相手にされなくなってしまう。逆に外国人医師で、英語が完璧でなくても、理路整然とプレゼンテーションできるものには皆聞き入る、とてもフェ アな文化の国であると身をもって経験した。
ただ、これからの医師にとってはプレゼンテーション能力だけでなく、コミュニケーション能力が大いに必要となるだろう。とくに患者さんとのコミュニケー ションの重要性を学ぶことは日本ではまだ確立されていないと思うが、これまでの、医師は偉く、患者は黙って従えばいいというパターナリズムの中ですでに出 来上がってしまった古い世代の医師はともかく、これからの若い医師はコミュニケーション能力を磨き、患者さんとの良好なコミュニケーションをとることも医 療・医術の大きなスキルの一つだと考えることが必要だ。
たとえば、この本でも「医療ミスに遭遇したとき、状況や対処方法をしっかりと説明して患者をケアするとともに、患者やその家族に納得してもらうことができれば、提訴される確立は大きく減る」と『沈黙の壁』という本から引用して、そうした医療ミスの場合に「何があったのか、これから、いつ、どのような手を打つのかといったことを論理的に説明し、相手に納得してもらうことが、問題解決に向けた行動を促す力となる」と著者は述べている。著者の戦略的アプローチはすごい。医者同士の狭い世界の話ではなく、目標を立てたら、最終的には一般大衆に広く「わかってもらう」ことを目標とする、そういうシステムを構築するわけである。スケールの大きさが違う。医者の世界でも、医院経営も、病院の運営も大変な時代である。医師は医学部で経営を学ばない。ましてコミュニケーショ ンを学ばない。本書は、医師向けに書かれたコミュニケーションリーダーシップ論ではないが、そこかしこに、医師が学ぶべき考え方や論理の組み立て方が展開 されている。一読をお勧めする。