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Vol.667 ザ・市民活動

医療ガバナンス学会 (2012年12月3日 06:00)


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南相馬市立総合病院神経内科
小鷹 昌明
2012年12月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


当たり前だが、浜通りにも冬は到来する。徐々に朝晩の冷え込みがきつくなる中、私はこの地に来て、言ってみれば”ザ・市民活動”を展開している。今回は、その最近の活動内容について報告する。
まるで、日記のような内容なので、読後、「こんな内容なら読まなきゃよかった」と感じられたとしたら申し訳ない。だが、この場所に来て、こんな営みをして いる医師たちもいるということを理解していただき、日頃の鬱屈した現場に、空気清浄機を取り付けたような気分になっていただければありがたい。
この地を訪れるお客さんたちは、そんな人間たちが寄り集まって、絶望にもめげずにさまざまな振る舞いを見せていることを知ると、同情半分、どういうわけか自信が湧いて、気持ちが楽になるそうだ。

だから、ひと握りであったとしても、コアな読者のために、その活動の一端を紹介する。
以前にも報告したことだが、日産カー・レンタル・ソリューションのご厚意により、わが市立病院に電気自動車”リーフ”が届いた。10月23日、集まった報道陣の前で贈呈式を済ませ、いよいよもって、この車を走らせての往診が実用化した。
今回のこの成果にもっとも喜んだのは、8月から当院に勤務し始め、”在宅診療部”に加わった60歳の男性医師であった。「往診に行きたいのか、車に乗りたいのかわからない」と、年甲斐もなくはしゃいでいた。
彼は、財務省の在外公館に勤務する医務官であったが、この震災を契機に40年振りに故郷の浜通りに戻ってきた。「ウィーンでビールを飲んでいる場合ではな い」と言いながら、この地に赴任してきた。長い間臨床の前線からは遠ざかっていたので、実践的な診療にはまだまだ時間がかかるが、看取りやドック健診など においては、威力を発揮しつつある。

私たちは、診療の傍ら、街の啓蒙活動や復興支援にも協力している。
震災に対する復興には、緊急救護に始まり避難生活支援などさまざまな段階があるが、現時点で私たちがもっとも問題にしているのが、仮設住宅に移り住んだ被 災者の、とくに高齢男性の、コミュニティからの離断である。仕事を失い、家族と別れ、社会と切り離されたことで孤立してしまい、そのまま”孤独死”に至る ケースがままある。
阪神淡路大震災の際には、仮設住宅での孤独死は4年間で227人にのぼり、そのうち自殺者は19人であった。実際9月半ばには、石巻の仮設住宅で自殺したとみられる60歳代の独居男性の遺体が、死後約1週経過してから発見された。

仮設住宅での孤独死と震災の後遺症による自殺、そうでなくとも、家族や仲間、仕事や地域社会など、他者とのつながりを断たれ、その後の復興の過程でもそれらを取り戻すことができずに追い込まれていく。その”孤立”の先に行き着く最悪のケースが、”死”である。
震災を生き延びたにも関わらず、なんとかここまで耐えてきたにも関わらず、これからの将来に対する希望を見出せない人々がいる。その人たちを救うために、私たちのような外部支援者は何をしたらいいのだろうか。
ひとつの可能性は、孤立に陥らないようにするための”新たなコミュニティ”の創出であり、”つながり”を取り戻すことだと、私たちは勝手に考えている。

そこで、カッコイイ大人の男といったら”クラフトマン”である。もと医務官の60歳ドクターの彼をチームリーダーに据えた、「引きこもり・お父さん・引き寄せ・プロジェクト(HOHP:ホープ)を発足させた。
それは、ずばり”木工教室”である。
早速あらゆる人脈を総動員して、街の工務店、区役所の産業建設課の職員、日立工機などから賛同を得た。工作場所の確保や機材の貸与、指導職人の選定などの算段を練り、テーブルやチェアー、本棚やタンスなどを製作するための準備を整えている。

クラフトマンやシェフ、アスリートなど、いわゆる職人たちは、人を持ち上げたり、人とおもねったりということがない。全建総連原町の川崎工務店社長に、 「”木工教室”をやりたいと思うのですが、相談に乗ってもらえませんか?」と尋ねていったところ、「やってもいい」の一言であった。まるで、これからやる ことが分かっているかのように、必要とする道具を指示してくれて、職人たちの人員を配備してくれた。

内科医や科学者なんていう仕事をしてきたから分かるのだが、私たちの世界の人間が他人の仕事を批判したり、難癖をつけたりするのは、自分の作品や記録を、 目の前に「どうぞ」と差し出すことができないからである。いきおい、専門分野だとか、大学のレベルや留学先だとか、その領域の認知度のような対外的なもの で人物を査定することになる。
クラフトマンたちの作品は、もちろんプロ同士の評価はあるかもしれないが、素人が見ても解るものは判る。きれいなものは美しいし、しっかりしているものは機能的である。
誰にでも、その善し悪しの解る仕事をしている人たちというのは、自分の仕事のことは、自分がもっともよく解っている。他の領域の人たちに自分の技能を誇示 する必要がないので、セールストークも要さない。彼らは実にシンプルであり、私たちとは違った一種独特な自信がある。私がクラフトマンたちを羨ましく思う のは、そういうところである。
彼らとの今後の協働作業が、ものすごく楽しみである。

8月から仮設住宅前の公園で、早朝”ラジオ体操”をやっている。私たちの仲間の有志たちで始めたことだったが、そこから派生した次のイベントは、鹿狼山 (かろうさん)への”ハイキング”であった。10月28日、宮城との県境の「新地町」にある山のピークを目指す、トレッキングが実現した。
呼びかけた市民らに加えて、嬉しいことに、作家の柳美里さんも参加してくれた。さらに言うなら、その日は私の誕生日の前日でもあった。彼女のブログを引用して、その日の状況を伝える。

『南相馬原ノ町駅前で学習塾を営んでいる番場さち子さんと、南相馬市立総合病院と、雲雀ヶ丘病院の医師たちとが呼び掛け人となって、「震災(原発事故)以 降ひきこもりがちになっている住民の方々といっしょに体を動かそう」という会が、定期的に開催されています。その会にわたしも参加いたしました。10月 28日、鹿狼山に総勢20数名で登りました。
その日は、朝から雨のぱらつく寒い日でした。頂上から太平洋を見下ろした時、「あの日、ここから海を見ていたひとはいるのだろうか」と思いました。新地町で津波によって死亡したひとは、116人……』と記されていた。

また、続けてブログには、『サプライズで、29日が誕生日だという南相馬市立総合病院の小鷹昌明さんにプレゼント贈呈。小鷹さんは、震災後、東大(-では なく、獨協医大ですが!-)から南相馬市立総合病院に移られた神経内科の専門医です。 ―同じ歳、だったかな?― お逢いするのは二度目ですが、かならず 突っかかるような質問をするので、楽しい(笑)』と、書かれていた。
いまでは、ガッツリ南相馬市支援者であり、私が人柄的にもっとも敬愛する作家と言ってもよい。
私、柳さんに、「突っかかった質問をしているかな?」と少し反省したが、きっと文筆家としての目線で質問をしているからなのかもしれない。関心の度合いが、普通の人と違うという点で、どうかご勘弁いただきたい。

すでに私のライフワークとなっているのが、こうしたエッセイの執筆だが、少しずつ住民にも知られるようになってきた。そこで、ボランティアの方の協力を得て、”エッセイ講座”を開催させてもらった。
私にとってのエッセイ執筆の原点は、医療現場の実態の情報開示、すなわち医学論文では書けない現実を伝えるためのツールであったが、そのうち、医療崩壊に 対する社会問題の提起、つまりガバナンス活動のためのツールへと変化し、最近では、不条理な世の中を渡っていくための思考整理のツールとなっていた。
要するに、「正直に生きていくためには、書かないではいられなくなった」ということだ。
“トレッキング”にしても”エッセイ”にしても、その他、私の関心事である”音楽や映画・写真・ジョギング・芸術鑑賞”にしても、その共通点は、道具やス キルが要らないからすぐできるということと、ひとりでできるので他人に気を遣わないことと、評価が曖昧なのでマイペースでやれるということである。

“エッセイ講座”には、思いのほか人が集まってくれた。なかには「ブログを上手に書くにはどうしたらいいのか?」とか、「文章なんて書いたことないけど、何となく来てみた」というような方もおられた。
書きたいように書いてきたエッセイではあったので、ノウハウをまとめることなど容易いのではないと思っていたが、実際やってみるとなかなかできることでは なかった。意外と準備に時間を割かれたし、うまく伝わったかどうかも怪しかった。それでも「楽しかった」と言ってくれた参加者はありがたかったし、私自身 も大変勉強になった。
これまでの人生を通じて、いろいろな形で切々と(あるいは「しぶしぶと」であったり、「にやにやと」であったり)書き続けてきたエッセイを、改めて系統立 てて考え直し、あたかも自分自身の心の軌跡を辿るがごとく、それを整理し、腑分けし、もう一度自分のものとして立ち上げていくことは、私にとってはなかな か趣深く、得難い試みであった。

人間が何かを始めるきっかけなんて、そんなものなのかもしれない。私とて、10年くらい前までは、これほど文章を書く人間になるとは思ってもいなかった。 留学日記が、たまたま専門家の目に触れて本を書くことを促されたからで、それまで、そんな面倒なことをするとは想像すらしていなかった。40歳を目前に控 えて出会った醍醐味だからこそ、大切にしたい。
本業以外に、一生を懸けて取り組めるもうひとつの緊張感 ―あるいは、ときどき気分を入れ替えられる爽快感という”拠り所”と言ってもいいー というものがあるのとないのとでは、その人の生涯に与える影響というのは、もしかしたら結構大きなものになるかもしれない。

こうして、私はひとりの市民として、ようやく街に馴染みつつあるが、この8ヵ月をここで過ごして感じることは、「この時期、街の復興のためには地道な活動 を積み上げていくしかない」ということである。そうこうしていることが周囲に知られるようになり、何かの結果を生んだ人のところには、何となく人や物が 寄ってくる。何か分らないけど、愉しそうにしている連中のところに注目が集まる。
そして、復興に取り組んでいる人たちと意見を交わしていくことで気付いたことは、そういうことをするタイプの人間は、「”ひとつずつ丁寧に具現化しようと する緻密な人”か、”突破力を有するアイディアの豊富な人”か、いずれかに分類できる」ということである。復興には、”新たな土台を構築していくように、 綿密に計画的にやる人間”か、”ざっくり決めて行動してしまう人間”かのいずれかの要素が必要であるということである。
斬新かつ、ワイルドな人材の他に、胆力というか、重圧的な根気でもって物事を推し進める実力のある人たちがいるから、この街には、それなりの奥行きという ようなものが存在してきているのかもしれない。世間の重りみたいなものが、しっかりと然るべき位置に微調整されて収斂されるから、かろうじてこの街は破綻 を免れているような気がする。
そんな”木工教室”を手伝ってくれる職人や、”エッセイ講座”を開催してくれるボランティア市民に改めてお礼を述べる。

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