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Vol.7 日本の「変わらなさ」へのささやかな抵抗

医療ガバナンス学会 (2013年1月10日 06:00)


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福島県立医科大学災害医療支援講座/雲雀ヶ丘病院
堀 有伸
2013年1月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「日本の変わらなさ」に挑戦できるような言論はいかにすれば可能だろうか。これまで、いろいろな立場から「日本文化」への批判が行われた。そして一部の極 端な批判は社会の外部に排除されて勢いを失い、他の大多数は角を丸められて相対化され、結局は取り込まれる。そんなことがくり返されてきた。昨年私たち は、福島第一原子力発電所の事故を経験した。それについて多くのことが語られたが、やはり、同じことが反復されようとしているかのように思える。何とか、 その反復の外に出る道を探したい。

反復そのものを主題にして記述するところから始めよう。「同じことをくり返すということ」そのものを、この上もなく愛好する性質が私たちにはあるのではな いだろうか。同一化への強い欲望があると考えるとどうなるだろう。突然だが、前回紹介した『日本文学史序説』で加藤周一は、近松門左衛門の「仮名手本忠臣 蔵」の人気の理由を,仇打ちが「四十七士」の団結した行動として行われたからであると指摘した。つまり、さまざまな事情があっても、「危機にはそのすべて を超えて団結する。あるいはむしろ潜在的に強固な団結としてあらわれ得る集団に『四十七士』のそれぞれが属していたということ。問題は,その所属感のすば らしさ・魅力」が、日本人の心を惹きつけてきたのだという。そして、原子力発電所の事故の後に、このような一体感が現れないことに、私たちは強い欲求不満 を感じている。

原子力発電所の問題は人を分裂させる。逃げるべきか、留まるべきか、リスクは確率でしか表示されない。むしろそういう数字があることが、ありがたい事態な のだということを、私たちは学びつつある。絶対に正しい選択肢を教えてくれる権威が存在しない状況が、くり返し出現する。その度に私たちは考え、決断しな ければならない。しかし、そういう現実に投げ込まれている事実を認めることに抵抗し、「全体に従う」ことで解決できると信じ続けたい頑強な願望が、私たち の中に存在しているのではないだろうか。

精神分析家のW.Bionは、「考えること」が出来なくなる心の病理的な状態として、現実的な思考を「道徳的な万能感」に置き換えてしまう傾向について論 じた。日本社会では、「全体に合わせる」という美徳に適っていることが、この「道徳的な万能感」の内容として採用される。そうすると、提出された何らかの 命題について現実的・科学的に考えることよりも、その発言についての「集団の一体感を保つものか否か」「空気を読んでいるか」という道徳的な判断の方が優 先されるようになる。このような傾向を、「日本的ナルシシズム」と呼びたい。

村重直子の『さらば厚労省』では、現実的な思考よりも、所属官庁の権益を優先する判断を行い、そのことがあまりにも自明で葛藤を生じる余地もなくなってし まった一部の役人の姿が描かれている。その中から一部を引用する。「私は医系技官になって、彼らのこんな会話を耳にした。『現場を知らないからできるん だ』『それを知っていたら、俺たち、こんな政策決められないよなあ』 『それ』とは、たとえば『現場の声』であり、論文である。現場の常識を知らないこと を棚にあげ、『知らないからこそできる』と開き直っているのである。そして間違いを認めることもなく、『知らないからこそできる』と言っている人が、外に 出るとこう胸を張るのだ。『我々の使命は国民の健康を守ることです』 なぜ、こんな矛盾だらけの発言になってしまうのだろうか。ある医系技官は、こんな話 をする。 『医系技官の世界では、そういう考え方が先輩から後輩へと受け継がれてきたからね』 これが医系技官ムラに伝わる常識なのだ。」

厚労省以外でも、例えば「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書では、電気事業者について厳しい指摘が行われている。「学会等で津波に関する 新しい知見が出された場合、本来ならば、リスクの発生可能性が高まったものと理解されるはずであるが、東電の場合は、リスクの発生可能性ではなく、リスク の経営に対する影響度が大きくなったものと理解されてきた。このことは、シビアアクシデントによって周辺住民の健康等に影響を与えること自体をリスクとし て捉えるのではなく、対策を講じたり、既設炉を停止したり、訴訟上不利になることをリスクとして捉えていたことを意味する。」

そして、力関係を背景に所属集団の内部のことがらを理想化して秘密を守り、外部の問題点のみを指摘することに由来する万能感は、単に精神的なものだけでは なく、実社会における「支配-被支配」の関係とも関連している。村重は、医系技官のあり方について「砂上の楼閣を守るために新たな仕事を作り出さずにはい られない。こうして、次々と医療に口を出すようになった。その主な手段が医療費抑制と、補助金行政、通知行政である。(中略)どの病院に補助金を渡すかを 決めるのは役人だ。医療費抑制政策によってほとんどの病院は赤字経営を強いられているから、補助金を受け取れるか否か、病院にとっては死活問題だ。だから 多くの病院は、嫌でも役人にひれ伏すしかない」と論じた。東京電力と監督官庁の関係について、前述の事故調査委員会の報告書は、電気事業者について「原子 力技術に関する情報の格差を武器に、電事連等を介して規制を骨抜きにする試みを続けてきた」と指摘している。ここからも、組織がその内部と周辺の個人を、 「組織が空気と一致することによる万能感」の中に飲み込んでいった様子が推察される。

閉鎖的な組織に一致することから生じる万能感は、中央よりも県や市のような地方自治体・医療機関・他の私的な組織においても往々にして認められ、そちらの 方が強烈であることも少なくない。さらに、「知らない」と開き直ることで責任を回避し、問題を外部に押し付け続ける依存性は、一般国民の中により露骨に現 れることがある。そしてそれは「普通の市民感覚」として、近年称揚され続けてきたのである。日本的な精神性の負の側面を一部の組織に投影してそれを攻撃す ることは、この自己愛的な万能感の問題を解決するどころか、疑似解決を与えることで、かえってそれを強化してしまう可能性がある。批判のための批判を行う ことで感情的なカタルシスを得ることはできても、経験のある実務担当者を、情熱はあっても具体的な能力に乏しい人々に置き換えてしまうのでは、いたずらに 社会を混乱させるだけである。私はただ「厚労省が悪い」「東京電力が悪い」と主張したいのではない。それよりもむしろ、私たち国民の一人一人が、「全体と 一致することによる万能感」に耽溺することで満足し、それと独立した個人としての責任ある判断し行動することとの間に、あまりにも葛藤を感じなくなってい る現状に警告を発したいのである。

日本論の古典である中根千枝の『タテ社会の人間関係』には、「とにかく、痛感することは、「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むもので もなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、 それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」と記述されている。このような前近代性を脱却できない国民 が、近代医学や原子力発電のような技術を、安定して制御し続けるのは不可能なのではないのだろうか。
精神科の一臨床医としてうつ病臨床に関わった経験を通じて、「日本的ナルシシズム」と呼ぶべき精神構造が、個人の内側にも存在することを確信し、それは閉鎖的な所属集団の精神性と密接な関連を持つと考えるようになった。
「その特徴の第一は,個人と集団の間,あるいは集団の成員間の境界が曖昧であり,力動的な布置が容易に相互浸透することである。これは日本人の集団におい て,他の文化圏における集団よりも顕著である。日本的ナルシシズムの心理構造は,個人力動における構造であると同時に集団力動における構造でもある。
第二の特徴は,一体化願望の強さ,分離への強い拒否的傾向である。集団の凝集性は常に高く維持されることが指向される。そして集団と個人,個人間の関係の 基本は自己愛的同一化である。個人が集団の内側に密着しており,限られた空間の中での緊密な相互作用を通じてお互いに似た者となっていくことが適切な事態 と想定されている。
第三の特徴は,個人も集団も自己愛的な幻想を抱いていることである。個人が自らの利害を離れて集団のために献身すること,あるいは個人が全体とつながっていることには,困難な状況に対する万能的な救済能力があると感じられている。」
このような精神病理の持つ破壊性が、原子力発電所の事故によって明らかになったと言えるだろう。

否定的なことばかり書いてきたが、最後は希望を語って本稿を閉じたい。
私は今、福島県南相馬市で暮らしている。絶望させるような同じ病理の反復を目にすることも、確かに少なくはない。しかし同時に、大震災と原子力発電所の事 故は、日本的ナルシシズムのもたらす幻想に正しく絶望し、多くの個人がそれぞれの立場で、真剣に現実と関わり始めるきっかけとなっている。よく目を凝らせ ば、そのような個人が少しずつ力を身につけている様子を見ることともできるのである。そして、葛藤を超えて確立された個人同士のつながりが回復された時 に、私たちは福島の経験を超えて、ナルシシズムの病を克服し、真の日本的な誇りを取り戻したといえるのだろう。

<参考文献>
Bion,W.R.: A Theory of Thinking. Int. J. Psychoanal., 43:306-310, 1962
加藤周一:日本文学史序説 上・下.筑摩書房,東京,1999
堀有伸:うつ病と日本的ナルシシズムについて.臨床精神病理,32:95‐117,2011
村重直子:さらば厚労省.講談社,東京,2010
中根千枝:タテ社会の人間関係 単一社会の理論.講談社,東京,1967
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会報告書: http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/index.html

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