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Vol.9 医者と患者は仲良くなれる?

医療ガバナンス学会 (2013年1月11日 06:00)


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藤林 三穂子
2013年1月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


医者に暴言を吐かれたことはありますか?
私は、何度かあります。中でも長女の妊娠中、私は複数の産婦人科医にかかって非常に嫌な思いをしました。
特に大きかったのは、一つは妊娠がわかったとき。
私は長女の妊娠の前に一度、妊娠のごく初期(6週間くらい?)に流産をしています。非常に辛い経験でした。それまでにも苦しいことも悲しいこともたくさん あったけれど、こんなに辛いことって世の中にあるんだ、って思いました。小指の先ほどの小さな小さな命だったのに、体が丸ごと切り刻まれたみたいに辛かっ た。
心には深い傷を負ったけれど、ありがたいことに、流産のおかげで体の悪いものまで流れていったのか、その後の体調はすこぶる良かったのが不幸中の幸いでした。そんなうちに、流産から1ヶ月ちょっとで再び私は妊娠することができました。
妊娠検査薬も陽性。喜び勇んでかかりつけの婦人科に行ったところ、待っていたのは心無い言葉でした。
「流産してすぐの妊娠はリスクが大きい!だから避妊するように言ったのに!色んなリスクがあって、最悪の場合癒着胎盤で死ぬかもしれないんですよ!」
医者は声高に私を罵りました。(ちなみに若い男性。)
恥ずかしながら私は、流産の後数ヶ月避妊した方がいいということを知りませんでした。流産した時に同じ医者にかかった時も、「しばらく様子を見ましょう」 と言われただけで、「何ヶ月間避妊して下さい」、というような具体的な指示は言われた記憶がありませんでした。でもそう言ったら
「いや!言いました!」とまた怒鳴られる始末。
医者のあまりの激昂ぶりに、私はせっかく授かった命を堕胎しなければいけないのかと思い、その場でぽろぽろ泣きました。
そばにいた看護師さんが「おめでとうございます」と小声で言ってくれたけど、嬉しいどころじゃなかった。嬉しいよりも、死ぬのが怖い、という気持ちでいっぱいでした。
ただでさえ不安の多い初めての妊娠生活は、この最悪な一言から始まりました。
おかげで妊娠中何度も夜中に目が覚めて、「死にたくない…」と泣く日々。流産直後の妊娠のリスクそのものよりも、それほどの強いストレスの方がよっぽど体 に毒だろう、と思いながらも、医者に「死ぬかも」と脅されたショックというのはなかなか消えるものではなかったです。もちろん出産で命を落とす女性は世界 中にたくさんいるし、出産のリスクを甘く見るべきでないのはわかってるけど…でも、やっぱりもうちょっと言い方ってもんがあるだろうと、今冷静に考えてみ ても思います。

もう一つ大きかったのは、臨月で出産予定日の数週間前くらい。これまたいよいよ出産に向けて不安の高まっていた時期です。
その頃はもう出産を予約している大きな病院で毎週色んな医師に診てもらっていたんですが、そのうちの一人に、私は嫌な思いをさせられました。
出産の直前くらいになってくると、「内診」といって子宮口の開き具合、産道がどれくらい短くなっているかなどを測るために、膣に指を突っ込まれてグリグリ やられます。ご存知ない方、びっくりするでしょ?ええ、決して愉快なものではないですよ。しかもこれが結構痛い。痛くてびっくりして呻いてしまう時もあり ます。…で、私はこの声が少々大きかったらしい。
ついでに言うと、私は鬱病歴があって、産前産後のマタニティ・ブルーとか産後うつのリスクの可能性を考えて、同じ病院の心療科にも時々通院してケアをしてもらっていました。同じ病院だから同じカルテに書き込んであるんですね。
その医者(ちなみにこの人も若い男性)はカルテを見てこう言いました。
「あの程度の痛みに耐えられないなら出産は乗り切れない。精神的にも弱いようだから始めから帝王切開にすることも考えないと。」
ただでさえ出産の痛みってどんなに痛いんだろうと想像して不安になっている妊婦に、何てデリカシーのないことを言うんだろうと呆れました。しかも私が鬱病 歴を正直に告白して心療科に通院していたのはあくまでうつのリスクを避けるサポートが欲しかっただけであって、人間性を貶められるためではないのに。ま、 この時は私もだいぶ強くなっていたので即座に病院に苦情を申し入れたら、看護師長や色んなスタッフの方々がとても丁寧に謝ってくれて、出産の時にもその医 師に出くわさないようにとか何かと気遣ってくれました。
ちなみにそんな訳で超不安だらけの妊娠生活は、分娩台に乗って3分のスーパー安産で幕を閉じました。…ま、結果オーライ、案ずるより産むが易しで良かったです。

さて、この二人の医師について、皆さんはどう思われましたか?
私は・・・どちらもたぶん「正しい」ことを言っていたんだと思います。
考えられるリスクを最小限に抑えるという観点だけで見れば、間違ったことは言っていない。
でも、敢えて言います。「正しさ」って、そんなに大事ですかね?
話が飛ぶようですが、子育てしていると「正しさ」がいかに厄介なものかよくわかります。
親としては躾のつもりで正しいことを言って、時には必要以上に厳しく叱ってしまう。「ガミガミ叱るのはよくない」ってどの育児書にも書いてあるし、そんなことわかってます。それなのに抑えが利かないのは、自分が言う事が「正しい」と思っているから。
でも結局子供、特に幼児には充分に理解させることは難しいし、子供にとっては「怒られた、ママ怖かった」っていう思いだけになってしまうこともある。それ を何十年も続けていたら?…ちなみに私は自分の親に正しいことだけを教えられて育ちましたが、安心して甘えることができた記憶はろくになく、今や音信不通 の絶縁関係です。
正しさというのは時にとても残酷なもの。
なぜなら、人間は「自分が正しい」と信じた時に、言動のリミッターが外れて平気で人に押し付けることができてしまうものだからです。
人間は自分が悪いことをしているかもしれないという自覚がある限り、そうそう悪いことはできないらしいです。例えば聞いた話だと、犯罪の被害者が相手を殺 してやりたい、と思ったとしても、実際に本当に殺すことができる人というのはほとんどいないんだそうです。でも、例えば「殺すことが正しい」と信じてしま えば、平気で人を殺せる。戦争が起きるのもたぶん同じ理由。
だいぶ話が大きくなっちゃったかな。
要はこういうことです。医師という仕事は「正しさ」を振りかざせる立場であるという意味で、メスを持っていなくても人を傷付けうる仕事であり、しかも「医 療だから」という理由で人を傷付けることを免責できる仕事、とも言える。その責任の重さを自覚して、正しさを振りかざすことに慎重になれる人間であってほ しい。これが、私が人間としての医師に求めることです。
というのは、たぶん多くの患者が求めているのは「病気の正しい治療」よりも「自分のより良い治療生活」だからです。
今までのお医者さんのやり方というのは、個々の病気の治療のために「一番正しい」方法を医者が一方的に提示することで成り立っていたと言えます。
でも、その「一番正しい治療」というのは日常生活を送る中ではしばしば困難な場合もあります。
例えばこんなケース。

これも私の経験ですが…次女を出産してから2ヶ月くらいの頃、夜中に何度も起きる新生児の世話と、ワガママ盛りの2歳児の世話に追われ、あまりの忙しさに 水を飲むのも忘れてトイレにも行きそびれる毎日で、気が付いたら膀胱炎になってしまいました。医者に行ったら抗生物質を処方され、「5日間母乳あげるのを やめて下さい」と言われました。
…いやいやいや!無理でしょう!ほっといてもおっぱいはパンパンに脹れちゃって飲んでもらえなかったらめちゃくちゃ痛いし、それをわざわざ絞るのだって一 苦労だし、母乳からいきなりミルクに替えても赤ちゃんがミルクを気に入って飲んでくれるとも限らないし(ちなみに長女の時は母乳が足りなくなった時に気に 行ってくれる哺乳瓶とミルクを試行錯誤して大変な思いをしました)、そもそもただでさえ忙し過ぎたせいで膀胱炎になってしまったのにこれ以上手間が増えて 忙しくなるとかほんと無理だから!!
ということで私は結局処方してもらった薬は症状がもう少し悪化したら飲むことにして、市販の猪苓湯という漢方薬を飲み、ついでにクランベリージュースをが ぶ飲みしまくって(ちなみにこれは大学時代にイギリス人のダンディーな教授から教えてもらいました)何とか症状を散らして過ごし、2週間後くらいには痛み はほとんど治まっていました。抗生物質を飲むよりは長くかかったけれど、それでも母乳は止めずに済んだし、生活にほとんど負担もかかりませんでした。
お医者さんにはきっと怒られると思います。でも、「母乳を諦めたくない」というのが私のクオリティ・オブ・ライフにとって優先順位の高いものであった以上、私は自分の選択を後悔はしていません。
最近だとインターネットにたくさん玉石混淆な知識が転がっていて、そういう知識を下手にお医者さんのところに持ち込んだりするとお医者さん的には煙たいか もしれないけれど、でも…簡単に煙たがらないでほしい。何で患者がそうやってわざわざ調べるかというと、患者が知りたいのが「一番正しい治療法」じゃなく て「一番自分の生活に合う治療法」だから。
お医者さんには「一番正しい方法を一方的に宣言する人」ではなくて、「患者にとって一番良い方法を一緒に考えてくれる人」でいてほしいんです。
そのためには患者の側のモラルももちろん必要だと思います。医師の提示した治療にすぐ効果が出なかったとしても医師を責めないとか。患者の側も、医者に完璧な正しさを求めるのをやめる。「お医者様」だと思わないことですね。
医師と患者の関係を「正しさ」ベースで考えると、患者の側としても効果が出ない治療=正しくない治療→だから責めていい、という思考回路になってしまうと思うんです。これはお互いにとって不幸なことじゃないかな。
医療についてそれぞれが理想を持ってそれを実現しようとするのは素晴らしいけれど、今医療で起きている問題の多くは、理想と現実とが乖離していることそのものによって引き起こされている気もします。
だからもう、医者も患者も建前の理想を追い求めるのをほどほどにして、現実、どうするよ?って協力できる関係になれたらいいですよね。そのためになら、自 分ももっと勉強したいな、と思う。自分が勉強することが、医者と患者がうまく付き合っていくこれからの世の中への貢献につながればいいな、なんて思いつ つ、今日も解剖模型を収集する変人な私なのでした…。

<略歴>ふじばやし・みほこ
1979年10月31日水曜日に愛知県名古屋市の病院で3550gにて出生。高校時代『ブラックジャック』に憧れ外科医を志すも諸事情によりあっさり断 念。1998年、とりあえず目的も無く東大文IIIに入学後、勉強もせずひたすら歌とダンス各種に明け暮れる。2004年に東京大学文学部英文科を卒業後 某レコード会社に就職したが、うつを患って休職し、その後寿退社。現在専業主婦で2児の母(3歳と0歳)。産前産後の体の調整法で参考にしたのは、ヨガ、 ゆる 体操、フェルデンクライス、アレクサンダー・テクニークなど。学生時代からずっと家庭教師として英語を教える仕事を続けていたのを活かして「お母さん達の ための英語教室」を自宅で細々開いており、漸次拡大しようと画策中。子育てのかたわら英語教育についての原稿を書き溜めていて、大好きな『チーム・バチス タ』シリーズ並みのベストセラーにするのが現在の野望。

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