医療ガバナンス学会 (2013年2月17日 06:00)
入院患者数は101名となりました。11月から定床が104床から140床に増えました。
全国から来てくれた看護師さんを重点的に療養型に配置し、24床の療養型病床の患者さんを使われていなかった60床の病棟に移すことができたからです。
前回の地震医療ネットにも書きましたが、療養型は30:1の看護基準で良く(本院の急性期の看護基準は10:1)、看護師不足の南相馬の病院にとっては良 いことのように見えますが、実際は認知症などのために急性期以上に手のかかる患者がいることも事実で、現在33名程しか入れていません。
終末期でも敢えて急性期に移動させずに見取る患者もいて、急性期病棟以上に忙しくなることもあります。以前はモニターも付けず朝の検温に行ったら冷たく なっていたというようなこと(医師法では異状死体として届け出が必要?)がありましたが、療養病床再開後はできるだけ早めにモニターを付け、巡視の回数も 増やすようにしています。当然のごとく看護師の仕事量は増えます。
最近その療養型病床で亡くなった方がいました。震災後の3月19日、10時間かかってバスで群馬県に移送、前橋脳神経科病院で懸命なリハビリを受け、寝た きりだったのが自分で歩けるようになるまで回復、家族の車で宮城県金成町にある老健施設に入所(平成23年5月25日)、家族の強い希望で本院へ連れ戻し た(平成24年10月21日)患者さんでした。転院当初から原因不明の左胸水貯留はありましたが、酸素飽和度は意外と良く(98%もありました)、約1ヶ 月居た急性期で胸水も抜かずに療養型に移しましたが、右側にも胸水が溜まり始め、PEGからの栄養も受け付けなくなり、転院後約3ヶ月で亡くなられまし た。仮に急性期に戻したとしても特に処置は無いことは説明していましたが、療養型に一つだけある個室で、お孫さんや子供夫婦の見守られての最期は本人に とっても幸せだったのではないかと思っています。
この患者さんの家族以外にも群馬県から自分の肉親を戻して欲しいという希望が寄せられていました。群馬県からも、当初無かった受け入れ先病院からも患者を 引き取って欲しいという電話が鳴るようになりました。移送した頃は原発被災者として大切に扱われ、現地で無くなった場合には南相馬市へ届出なしで無料で荼 毘に付してくれた位でしたが、最近はそのような特例は無くなったようです。
本院の患者124名が群馬県に受け入れられたのは、オーバーベッド(非常時に2~3日、5%しか認められない)を認めるから、亡くなった場合は県で引き取 るから、とにかく受け入れてくれと県下の病院に割り振った群馬県健康福祉部と前橋日赤病院救命救急センターのスタッフの強力な指導力があったからこそでき たことでした。
前回の投稿で書いた、原発が危ないからという言い訳は、先の衆議院選挙の結果で分かるように、もう全国の人達には通用しないと思い知らされました。避難した看護師の帰還が進まないことも、どの県にもある看護師不足の状況では特別の事情ではなくなってしまったのです。
暮れと正月の休暇を利用し、群馬県の病院と老健施設を回りましたが、2年の歳月は患者さんにとっても受け入れ先の病院にとっても、なぜ福島からわざわざ群 馬まで来たのか、なぜ戻ることができないのか分からなくなるのに十分な時間でした。それでも、休みにも拘わらず会ってくれて、受け入れられるようになるま で預かってくれると言ってくれた院長先生もいらっしゃったのも事実です。
群馬県に搬送した患者124名中58名が既に亡くなり、群馬県内(1人は埼玉県東松山市)の医療施設にお世話になっている患者さんは35名だけになりまし た。既に家族が群馬に移られたり、患者本人がその施設に馴染まれ、家族の支払いも滞っていないような方は対象から外させてもらいました。また面倒をみる家 族が南相馬市周辺にいらっしゃらない場合も優先順位を下げさせてもらいました。まず家族の希望を優先し、落ち着いている方よりも高齢で早く地元に戻したほ うが良いと思われる方を優先させて早く南相馬に戻すよう順番を決めました。
群馬県内を回る前にも家族に意向はお聞きしていましたが、もう一度家族に搬送方法(病院救急車で医師と看護師が同乗)に伴う危険性や先に向こうの病院に着 いて支払いを済ませていて欲しいことなどを説明しました。予め東電に搬送費用などを病院として請求できるか問い合わせしましたが、家族が民間救急などを利 用して搬送した場合は賠償するが、病院が行った場合は、営業費用、給与に含まれるから対象とならないとの返事でした。福島県や南相馬市にも相談しました が、帰還に対する患者搬送車などの支援(
http://expres.umin.jp/mric/MRIC.vol44.jpg )は、緊急時避難準備区域の指定の解除(平成23年9月30日)まで で終わり、子供被災者支援法(平成24年6月21日制定)もその実施が遅れている状況では一民間病院に援助する自治体はないようです。
結局、患者さんを戻すことについては、休日を利用し、非番の看護師さんや施設課職員のボランテイア(日当は給付)で、自己責任で行うことになりました。老 健施設に移っていた方も老健施設がまだ十分に機能していない状態では、入院期間が長引いて病院の”お荷物”となるのは、承知の上です。家族も仮設住宅、仕 事も除染作業主体の仕事しかないような状況では在宅医療も進まないのではないかと思います。でも震災後の入院制限のあった頃の在宅医療のノウハウを知って いますので、家族が受け入れられる方は在宅を目指したいと思います。
本院が群馬県に移した患者さんを戻せるようになったのは、全国から集まってくれた看護師さんのお陰と書きました。中には給料の良い都会の病院を辞めて来て くれた人もいます(全国から来てくれた看護師さんの給与は本院の給与基準に則り、2/3が国から、1/3は県から補助されています)。また結婚適齢期なの に親御さんの心配も気にせず働いてくれる若い女性もいます。昨年10月6日に本院のことを紹介してくれたみのもんたが言ってくれましたが、なぜ危険手当の ような手当が支払われないのでしょうか。(除染作業の人には日当と同じくらい(16,000円)の危険手当が支払われています。)
外から来てくれた看護師さんにだけ危険手当を払うわけにはいけなくなるでしょう。
また危険を認めることは復興の妨げになるかも知れません。でも誰一人南相馬は安全だと考えている職員はいませんし、皆リスクを承知の上で働いてくれているのです。
今回、家族に話していることがあります。もし原発がまた危機的状況になったら、若い職員から避難させます。私達病院管理者は最後まで残ります。家族の方々 も若い人は避難しなければいけないが、私と同じ歳(60歳)くらいなら、是非病院に来て欲しい、我々が患者であるあなたの親に何をしているか見て欲しい と。これ以上は言いませんでしたが、家族の方々はその意味を理解してくれたようです。