医療ガバナンス学会 (2013年3月29日 09:00)
星槎大学客員研究員
インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院客員研究員
越智 小枝(おち さえ)
2013年3月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
先日、岩手県立医科大学で行われたWHO西太平洋支部(WPRO)による災害復興の為の国際シンポジウム (1)に出席させていただきました。この会議は世界の大災害の経験を共有する目的で開かれ、日本からは主に岩手県の活動報告や調査結果報告がなされまし た。高齢者の健康被害には多くの国が興味を示している様子でした。他の国の災害では、例えば昨年12月のフィリピンの台風BOPHAでは山林が根こそぎ風 で飛ばされて禿山となってしまった写真が提示され、「避難場所と言っても安全な場所などなかった」という問題提示がされました。またモンゴルの大寒波で は、「人間よりも家畜が死ぬことによる健康被害、特に母児の死亡率の上昇が深刻であった」とのことでしたし、ニュージーランドの地震では「地震の後、学校 が閉鎖したことにより教育の機会を求めて若者が外へ流出し、2年たった今も止まらない」と、日本と似て非なる被害状況が報告されていました。
これだけ見ても、いかに各国の災害が多様であり、災害・復興対策が一元化できないか、ということが分かります。被災地の人々にとっては自分たちの災害こそ が大事です。この会議でも「tailor-made(オーダーメード)の対策が必要だ」ということが繰り返し述べられていました。
ところでtailor-madeという言葉には、仕立てる服を決めて売りつけるのではなく、顧客の好みを聞き、手持ちの材料を組み合わせて最善のものを作る、という意味が込められています。
たとえば今回の会議で、
「今後この災害研究をどのように現場に役立てるつもりですか」
という質問に対して発表者が満足に回答できない、という場面がありましたが、これはいうなれば「生地は上質だが採寸が取れていない」段階であり、一歩間違 えばお仕着せのスーツを量産してしまう危険性を孕んでいます。最近新聞などで被災地の自殺率や小児の甲状腺のう胞などの調査結果が次々に公表されています が、これらもまだ、生地の段階、臨床で言えば検査が終わった段階に過ぎません。
このように書くとデータ化が無駄だとか悪いとかいう誤解を受けやすいのですが、そうではなく、最初に述べた研修医のように、検査とそれ以降のプロセスとの バランスが問題なのだと思います。公衆衛生では分野を問わず、この後の段階、つまり地域の住民に合わせたtailor-madeの相談と計画、というプロ セスがまだ模索段階です。社会のニーズに応えること、あるいは応えられる可能性を説明することができなければ、研究者と被災者の距離感は広がり続けてしま います。ですからこれは公衆衛生の説明責任・臨床責任であり、関係者全員が必死に考えなくてはいけないことだと思っています。
考える、という方法には色々あると思うのですが、私自身が研修医時代に尊敬する上司から叩き込まれたのは「病棟常在」という習慣でした。分からない時には 病棟に張り付いて頭だけでなく五感で考えろ、という若干非文明的な教えなのですが、どうやらこれが習い性となっているようです。この先生の下で育った医師 は未だによく分からないとまず見に行く、という傾向が強いそうですが、先日相馬で勤務させていただいたのも、その先生の教えの影響が強いのかと後で思いま した。たった2か月という短期間でしたが、それでも私にとっては色々な発見がありました。
例えば以前、仮設住宅を見学した理学療法士の方々が「思ったより段差もあるし、これだけで廃用症候群(運動不足による筋力低下)が起こるようには見えな い」と言われたことがあります。私自身も段差のないワンルームマンションで長年暮らしているので、不思議に思っていた点でした。しかし実際に相馬に行った 際、20分の徒歩通勤をしたら「そんな距離を歩いたんですか?」と何人かに驚かれ、むしろこちらが驚くことがありました。元々運動量の多い仕事をされてい た方々は、都心の人々と違い「仕事以外で運動をする」という意識も習慣も少ないそうです。そう考えると都会の人々が想像する以上に仮設住宅の人々の運動量 は減っているのかもしれません。そうだとすれば、住居環境の改善だけでなく、都会の人々のような「無駄な動き」を導入しないといけない可能性もあります。
もちろん世界中が迷走している公衆衛生の研究手法がそう単純に解決するわけもありません。公衆衛生や疫学の新しいやり方を模索することは、新薬の開発や新 しいブランドの開発と同じくらい困難な事だと思います。会議の締めくくりに支部長のNevio Zagaria氏が強調された
「科学のための研究だけでなく、知を創ること(create knowledge)が必要なのだ」
という言葉が胸に残りました。想像力・創造力を駆使して公衆衛生の臨床責任を果たすには、色々な人が色々なやり方でtailor-madeを模索していく しかないと思います。私自身はこれまで臨床で培った、「病棟常在」して被災地の「症状」を肌で感じつつ、最適の「治療法」を考える、という基本を役立てて いこうと思います。医師である私は、臨床医として比較的容易に被災地にとどまる事ができる、という非常に幸運な立場にあります。そのため一度腰を据えて被 災地に入らせていただき、いつかは患者さんだけでなく地域そのものを診る公衆衛生医になりたい、というのが今の目標です。
(1)http://www.wpro.who.int/mediacentre/releases/2013/20130305/en/index.html
略歴:越智小枝(おち さえ)
星槎大学客員研究員、インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院客員研究員。1999年東京医科歯科大学医学部医学科卒業。国保旭中央病院で研修後、 2002年東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科入局。医学博士を取得後、2007年より東京都立墨東病院リウマチ膠原病科医院・医長を経て、2011年 10月インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に入学、2012年9月卒業・MPH取得後、現職。リウマチ専門医、日本体育協会認定スポーツ医。剣 道6段、元・剣道世界大会強化合宿帯同医・三菱武道大会救護医。留学の決まった直後に東日本大震災に遭い、現在は日本の被災地を度々訪問しつつ英国の災害 研究部門との橋渡しを目指し活動を行っている。