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Vol.81 福島原発事故後の避難による高齢者死亡リスクの分析。その教訓は。

医療ガバナンス学会 (2013年4月1日 06:00)


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東京大学大学院
国際保健政策学教室(渋谷健司研究室)修士課程
野村 周平
2013年4月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


福島県南相馬市で被災された老人介護施設の入所者の多くが避難の後に亡くなられたことについての研究論文がPLOS ONE(米国医科学雑誌)に掲載されました。

http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0060192

震災以降、東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門の坪倉正治先生や、南相馬市立総合病院と共同で、福島第一原子力 発電所の23km圏に位置する福島県南相馬市内5つの老人介護施設の協力のもと、事故後の避難による高齢者の死亡リスクの推定と、避難プロセスにおける死 亡率上昇要因の分析を試みました。

5つの老人介護施設について、避難を経験していない震災前過去5年間と避難期間を含む約1年間の高齢者死亡率の比較を、数理モデルを用いた回帰分析と各施 設長および介護士らへのインタビューという二つの手法を用いて実施しました。避難回数・距離・数値化しづらいケアの状況等を考慮し、施設ごとの死亡リスク を議論した初めて調査です。

結果として、避難後の死亡率は避難前に比べて、全体で2.7倍に増加したことがわかりました。ただし、避難後の死亡率の変化には施設によってばらつきがあ りました。避難プロセスや施設のケア状況に関する分析により、長距離の移動による身体的負担以上に避難直前の栄養管理や避難先の施設のケア・食事介護への 配慮が重要であること、初回の避難による死亡リスクは二回目以降の避難よりも高いことなどが示唆されました。

高齢者の被害を最小限に食い止めるには、避難によるリスクと避難しない場合のリスクを検討する必要があります。「とにかく避難」というよりは、まずは住み 慣れた環境に留まることを優先し状況を見極め、避難が必要と判断した場合は、その身体的負担の軽減と、特に食事介護を中心とした避難先のケアの充実が欠か せないことが示唆されました。高齢者の避難は生死に関わる問題で、本災害から得られた教訓を今後の災害時に生かす必要があります。

現実に起きた様々な災害避難の行動パターンによる死亡リスクの違いについて、その全容を明らかにするには至りませんでしたが、災害時の緊急避難を意識した 日ごろからの遠方の老人介護施設・医療施設との入所者搬送における連携や、実際に災害が起きてしまった時の政府らによる移送サポート、避難後のより徹底し た食事介護の重要性等、災害時に少しでも亡くなられてしまう方を少なくするための意識の置き所に関する教訓は論文の中で示すことができたと思います。この 結果を一つの事実として、何が施設間の死亡リスクに大きな差をもたらしたのかを中心に、今後の災害対策などを世界中の専門家が議論されることを切に願いま す。

論文に掲載することのできなかった当時の施設の具体的な状況背景をここで補完させていただきたいと思います。昨年6月に各施設長、介護士の皆様と本調査結 果のフィードバックを兼ねて大変多くのお言葉を頂きました。当時の放射線の恐怖による混沌の世界が目の前で蘇る思いでした。

施設が位置する南相馬市浜通りは災害後住民の多くが避難され、物資はもちろん医療従事者、施設介護士らもその殆どが後ろ髪をひかれる思いで自主避難を決行し、残された施設スタッフや入所者は、危険を承知の上で避難を行わざるを得ませんでした。

「今思えば避難しなくてもよかったんじゃないかって思うけど、放射能という目に見えない恐怖で皆パニック状態だった。飢えもあって、あの当時は避難せざるを得なかった。」

「毎日(介護士さんが)涙ながらに避難しますと言って来た。一日に1人、2人と、皆家族と相談した上での苦渋の決断だった。」

「スタッフの肉体的・心理的負担が大きく、いかなるサポートがあったとしても、入所者を避難させず、自分も避難しない、という選択は考えられなかった。」

強制避難区域の施設、さらに、5施設と同じ20-30km圏内でも病院の入所者が優先して政府の援助を受けたことで、5施設は介護福祉車両や救急車両の手配が間に合わず、一般車両やマイクロバスで、かつ遠方への避難を強いられました。

「病院には救急車が20台、30台と集まる中、私たちは置いて行かれていると感じた。いつ自衛隊や警察が来るのか。このまま放射能で死ぬんじゃないかって思った。」

「当時、30km県外の近場の施設は全て20km圏内の施設入所者によって既に埋まっていたので、遠方への避難は避けられなかった」

施設スタッフの中には、原発事故直後の精神的にも体力的にも辛かった時期に、ご自分の命と入所者の命を天秤にかけて物事を考えてしまったことに対し、一年以上経過した当時でさえもご自身に憤りを感じていらっしゃる方もいらっしゃいました。

「家族を頼みます、といって避難されるご家庭がみられた。当時の混乱したさなか、家族が見放された方を、なぜ私たちが全て面倒を見なければならないのかという思いが生まれてしまった。」

長年を共にした介護仲間の間でさえ、当時の混沌とした状況は負の感情を生み出していました。

「施設スタッフの間でも、避難しなかった人は避難した人に対する裏切られたという思いを感じ、避難した人も自身に対し負目を感じていた。それにより人間関係もぐちゃぐちゃになった。」

また、避難の後に亡くなられた方の多くは食事介護の難しい方がほとんどで、付添い介護士の配置を無視した介護度のみによるトリアージの問題も示唆されまし た。医療用・介護用のカルテの引き継ぎが行われた一方、食事の方法に関しては患者固有で長期の世話による慣れが大事でした。

「介助が独特で難しい方が避難先でどっと亡くなってしまった。ここではいい介護ができていたんだなと、実感しています。」

「その人に慣れるまで何か月もかかる介護、それが避難でリセットされてしまった。亡くなられてしまうのはわかっていた。」

本来であればこのような生の声を論文にも入れ込みたかったのですが、雑誌という都合上字数や掲載内容に多くの制限があり、とりわけ世界的なメッセージとなるような事実のみ掲載させていただきました。まだまだ多くの情報を発信して参りたいと思います。

本研究は「残さなくてはいけないもの」という各老健施設様のご意思によって実行に移りました。各施設から一次避難された全328名について、二次、三次、 四次避難先を追跡下さり、また700名以上にも上る入所者の介護記録などを手書きあるいはデータ形式でまとめて下さいました。また本調査目的で十数回にわ たり東京―福島間を往復いたしましたが、その都度ご予定を空けて下さり、十分な議論の時間を設けて下さいました。その多大なご尽力を頂けたからこそ形に出 来た研究成果です。

正しい情報の発信を繰り返すことこそ重要と常々思います。今後のよりよい対策のための礎になってくれればと思うばかりです。今回発表できなかったことも、少しずつ形にして参ります。

この発表には、本当に多くの方にお世話になりましたが、特に南相馬市立総合病院の金澤院長、及川副院長、医療法人社団伸裕会渡辺病院の渡辺院長には大変お力添えを頂きました。深くお礼申し上げます。

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