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Vol.145 日本医師会の医の倫理と「アスクレピオスの杖」

医療ガバナンス学会 (2013年6月16日 18:00)


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健保連大阪中央病院
顧問 平岡 諦
2013年6月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「アスクレピオスの杖;the Rod of Asclepius」とは、ギリシャ神話に登場する名医アスクレピオスの持つ、一匹の蛇の巻き付いた杖のことです。医療・医術の象徴としてアメリカ医師会 (AMA)、世界医師会(WMA)、世界保健機構(WHO)など世界的に広くロゴ(紋章)に用いられています。今年は巳年で、年初にこのことばを目にされ た方も少なくないでしょう。蛇および杖の意味には色々の解釈があるようですが、わたしは蛇が「医術」、杖が「医の倫理」を表すと解釈しています。その理由 を以下に述べます。

まず、アスクレピオスについてです。その名前は、つぎに示す、有名な『ヒポクラテスの誓い』のはじめに出てくるのでご存知の方も多いことでしょう。■医神 アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを■古代ギリ シャでは医術は医神から授かったものと考えられていたようです。

ギリシャ神話を要約すると次のようになります。アポロンは医術の神であると同時に疫病神の性格も持ち、理性的・知性的と共に冷酷さ・残忍さも併せ持ってい ました。その子、アスクレピオスは死人をも生き返らせるほどの名医で、そのために冥界を混乱させたとしてゼウスに殺され、しかし、後に医神として天空に上 げられ、へびつかい座となりました。ヒギエイアとパナケイアはアスクレピオスの娘たちで、ヒギエイアはhygiene;清潔、衛生の語源に、パナケイアは すべてを癒す万能薬;panaceaの語源になっているようです。ここで注目すべきは、地上のアスクレピオスは人(名医)であり、天上のアスクレピオスは 医神(へびつかい座)になったということです。

つぎに蛇と杖の解釈です。まず蛇です。医術師であった下界のアスクレピオスも、医神になった天空のアスクレピオス(へびつかい座)も、共に蛇を携えていま す。医術師・医神共に実施する「医術」を意味すると考えてよいでしょう。次に杖です。下界のアスクレピオスは杖を持っていますが、へびつかい座になったア スクレピオスは杖を持っていません。下界の身に必要で天空の神には不必要なもの、それは「医の倫理」ではないでしょうか。神は過ちを犯さないものです。転 ばぬ先の杖が必要なのは人間です。人間であった下界のアスクレピオスは、「医の倫理」によって医術をコントロールしたからこそ名医になれたのではないで しょうか。ヒポクラテスが『ヒポクラテスの誓い』を守って医聖と呼ばれたように。

AMAのホームページには、上の解釈を支持するような、次のような神話のエピソードが述べられています。■Myth also describes how he came to choose his symbol. While examining a patient, Aesculapius killed a serpent that had surprised him. He then witnessed another snake place magical herbs in the mouth of the dead one and restore it to life. Impressed with his power, he chose a symbol that depicted a serpent coiled around his staff.;(筆者訳)神話はまたアスクレピオスがどのようにして彼のシンボルを選ぶようになったかを物語っています。ある患者を診察している時、彼を 驚かした蛇をアスクレピオスは殺しました(筆者注;おそらく彼の杖で)。それから彼は次のような光景を目撃しました。それは、他の蛇が魔法の薬草をその死 んだ蛇の口に入れて蘇らせたことです。この力に感動して、彼は彼の杖に巻きついた一匹の蛇を描いたシンボルを選びました■

他の蛇が死んだ蛇を蘇らせたことから、彼は「死人をも蘇らす」ほどの「医術の有効性」を学び、蛇は医術の象徴となったのでしょう。その蛇が「彼を驚かし た」とは「医術の有害性」を示し、その蛇を殺した後「杖に巻きつけた」のは「医術の有害性をできるだけ少なくした」つまり「医の倫理によって医術の暴走を コントロールした」ということでしょう。「医術の有効性」を最大限に発揮し、医の倫理を借りて「医術の有害性」を最小限に留めることは「医師のあるべき 姿」です。そのシンボルが「アスクレピオスの杖」になったのでしょう。

古代ギリシャの名医、ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれています。医術を呪術から分かち、現在の医学・医術に繋げたからです。彼はまた「医聖(医術を行 う聖人)」と呼ばれています。そして『ヒポクラテスの誓い』という医の倫理に名を残しています。その当時の医の倫理を集大成し、その遵守に邁進しながら医 術を行うヒポクラテスは信用され、尊敬され、そして「医聖」と呼ばれるようになったということでしょう。ヒポクラテスが医神・アスクレピオスの末裔とされ たのもうなずけることです。

『ヒポクラテスの誓い』の結びの言葉は次のようになっています。■この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から 尊敬されるであろう。もしもこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい■ここには、医の倫理、医(術)師、および患者、三者の関係が示されてい ます。当時の医の倫理を守ることにより、当時の現場の医師にとっては医術を実施することが喜びであり、当時の患者はそのような医師から受ける医術に満足 し、医師を尊敬していたことが窺えます。あるいは、そうあってほしいと願っていたのでしょう。

このような医の倫理の現代版はないのでしょうか。医術を実施することが医師にとっての喜びとなり、医術を受けることが患者にとっての満足となるような医の 倫理です。なぜ現在は反対になっているのでしょうか。なぜ現在は、医師にとっては医術の実施が苦痛となり、患者にとっては不満だらけの医療状況になってい るのでしょうか。医療不信や医療崩壊などと呼ばれる現在の医療状況、その原因が現在の医の倫理にあるのではないでしょうか。日本の医療界を代表するのが日 本医師会(日医)です。したがって日本の医療状況に最も影響を与えている医の倫理は、日医の医の倫理ということになります。そこで日医の医の倫理を見直し てみました。問題が判りました。「患者の人権」の扱いが悪いのです。「患者の人権を擁護する」とは言わずに、「患者の人権を尊重する」と言っています。こ れでは「尊重するが、しかし、時には国や製薬会社の意向を優先することもある」と宣言しているようなものです。実際、国や製薬会社の意向が、医師を介し て、患者の人権問題を起こすことが多くなっているのです(たとえば、隔離という国の意向が、国会証言までした専門医が、「要らぬ長期隔離」というハンセン 病患者の人権問題を起こしました。また、薬害などの構造も同じです)。

『ヒポクラテスの誓い』は個々の医師が行う宣誓文(Physician’s Oaths)の形式になっています。医神たちに宣誓するという形を取って、医師集団の倫理規定にしていたのです。現在では医神の代わりが社会であり、医師 集団の倫理規定が社会との契約という考えになっています。現在の日本の医師たちは、医術を行うに当たって何かを宣誓しているでしょうか。少なくとも制度的 にはありません。医術を行うためには国家試験があり、合格者には医師免許証が与えられます。しかし、このときに宣誓することはありません。日医に加入する 時にも宣誓しません。現在の日本の医師たちが、医術を行うに当たって、地位や金もうけだけを考えている可能性は否定できないのです。何も宣誓していない医 師から医術を受ける日本の患者が、不安になるのも仕方ないことです。

日医の医の倫理は、そもそも宣誓文の形を取っていません。もし日医の医の倫理を会員医師に宣誓させようと思えば、「患者の人権を守らない時もあります」と 宣誓させることになりかねません。だから日医は宣誓文の形を取らない、あるいは取れないのでしょう。さらに日医は、医の倫理を守るかどうかを個々の医師任 せにしています。

医の倫理を宣誓しない日本の医師、言い換えると、宣誓できる医の倫理を持たない日本の医師、そして「患者の人権を守らない時もあります」と宣言しているように受け取れる日医の医の倫理、このような医療界が患者・社会から信用されないのも当然のことではないでしょうか。

AMA、WMA、WHOなどでは一匹の蛇が巻き付いた杖、「アスクレピオスの杖」がロゴに使われています。ところが日本医師会のロゴには杖がありません。 蛇だけです。日医は「医の倫理」を必要ないもの、あるいはそれほど重要でないものと考えているのでしょうか。現在の医療状況を考えると、非常に象徴的に見 えます。日医にその由来を問い合わせると、「医学を象徴する蛇によって医薬に関係深い乳鉢と乳棒を図案化し、その上にJMA(注;Japan Medical Association)の頭文字を配してある」(昭和36年決定)のだそうです。その内容を知ると、日医のロゴが何ともお粗末に見えてきます。日医は医 の倫理を「患者の人権を擁護する」に変更し、そのロゴも「アスクレピオスの杖」を入れたものに変更すべきではないでしょうか。

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