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Vol.163 “HOHP”セカンドステージへ

医療ガバナンス学会 (2013年6月30日 06:00)


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南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹 昌明
2013年6月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

“HOHP(H=引きこもり・O=お父さん・H=引き寄せ・P=プロジェクト)”による『男の木工』が、セカンドステージに突入した。
これまでの”HOHP”としては、南相馬市の復興最前線である小高区役所(原発から20キロメートル圏内)で使用してもらうためのテーブル5卓を、3ヵ月 間かけて完成させた(http://medg.jp/mt/2013/02/vol49-hohphohp.html#more)。繰り返しになるが、そ の活動は、区役所内でのカフェ(いっぷく屋)のオープンに大きく貢献したし、嬉しいことに、集いの場の提供へとつながった。お昼どきという時間限定の営業 ではあるが、区民にとってそこは、「行けば誰かに会える」という空間へと変遷した。

私たちの試みが、少しずつだが確実に実を結びつつある。それは、とてもとても意義深いことだった。
HOHPは、本年の1月から始動したのだが、初回参加者は2人であった。現在は、候補者を含めて12人に拡大している。年齢別にみると、33歳から最高齢 は80歳で、男女の割合は9対3である。震災以前は、小高区や鹿島区の沿岸部に住居を構えていたが、津波で家を無くしたものが8名いる(うち7名が仮設住 宅、あるいは借上げ住宅にお住い)。現在、職を失っているものが7名、パート従業員が4名、正社員が1名である。

参加者が増えていくことは喜ばしいが、作業中の彼らは快活で明朗かというと・・・・・・、まったくもって、そうではない。言い方は悪いが、実に地味である。彼らはこの活動をどう思っているのだろうか?
“コミュニティの創出”を目的としているとはいえ、そのなかで男たちはとても寡黙である。これまでに何度か、新聞社やテレビ局からインタビューを受けてきたのだが、けっして多くを語ることはなかった。
「愉しいです」とか、「楽しみにしています」というようなぶっきらぼうな想いを、ぽつりぽつりと口にすることはあっても、「津波の惨状を述べる」とか、「被災の心境を語る」とか、そういうようなことはもちろん、世間話で談笑することさえもなかった。
そんなことよりは、正確に計測し、丁寧に墨を入れ(印を付けること)、真っ直ぐに木を切り、滑らかにカンナをかけ、垂直にビスを差し込み、塗装を繰り返すことだけを考えているようだった。そして、製品が完成したときにだけ、ほんの少し微笑みを浮かべるのだった。
きっと彼らの培ってきた”満足感”なり”充実感”というのは、そういうことなのだろう。「とにかく良い物を造る」ということが、何より優先される。
第一次産業に従事していた男たちの仕事というのは、自然界に直接働きかけて富を取得する作業である。そこには、「他人を阿(おも)ねる」とか、「意見をすり合わせる」というようなものはない。個人と自然との立ち回りであり、掛け値なしの直接の駆け引きである。
良い悪いではなく、そういう職種だったということである。

「孤独や孤立を防ぐ」ことを目的に、私たちはこのプロジェクトの構想を練り、幾多の難関を乗り越えて事業を遂行させている。その発端は、「男のなかには、 特に熱心に仕事をしていた人ほど、それをなくしたショックが大きく、人生の方向性を見出せず、将来の展望を描けないものがいる」ということであったし、 「新たなコミュニティを築けないそうしたシニア世代の男たちは、自宅に引きこもりがちになり、結果として孤独となり、アルコールに依存したり、パチンコで 少ない賠償金を浪費したり、最悪のケースには孤独死や、孤独自殺といったことが社会問題になるのは明らかである」と感じていたからである。
しかし、『男の木工』での彼らの取り組みを見ていると、「私たちは何か勘違いをしていたかもしれない」という気になってくる。男たちを引きこもりから引き 出し、コミュニティを創出させ、人との触れ合いの場に慣れさせようなどということは、もしかしたら、行き過ぎたお節介だったのかもしれない。
彼らに必要なものは、”コミュニティ”でも”絆”でも、ましてや”語らいの場”でもなかった。男たちにとって必要なことは、「没頭できる何か」であった。

そのことに気づいた私たちは、無理に彼らをおしゃべりに引っ張り出すようなことは止めた。それよりも必要なのは、とにかくこだわりの域に達するような製品を造ってもらうことにあった。
“集中できる何か”があっての”コミュにティの場”である。突然の「輪の中に入って会話を楽しみましょう」がうまくいかないのは、第一次産業を支えていた この街の男たちにとっては、ある意味当たり前なのである。自身の居心地の良さの方が重要であり、優先されるべきことは、”自負の再取得”であった。
ただ、質の高い製品を造るためには、職人からの指導は不可欠だし、場合によっては、仲間たちとの共和も大切である。だから、そうしたなかで自然と対話が生 まれてくれば、それはそれでいいであろうし、なかには運営をマネジメントすることに新たな価値を見出してくれる人も現れるかもしれない。重要なことは、こ の”木工教室”に愛着を感じてもらえるかであり、極端なことを言えば「自分の拠り所、あるいは居場所として、この場を大切に育てていきたい」と思ってもら えるかである。

私たちは、彼らの背中を見ることで、この活動に確かな手応えを感じている。無口ではあるが、ひとつのことに熱中し、自分を立ち上げ、奮い立たせ、維持して いく。そのなかには、深い深い個人としての葛藤があるであろう。その自己とのバランス調整を、この作業は確実に支えているような気がする。
そうしていくなかでいろいろなご縁に恵まれて、私たちは次のステージへと向かっていくことになった。それは、行政の進める小高区駅前通りの緑化計画に参入 することであった。緑地化したスペースに設置するベンチやプランターやメッセージ・ボードなどの製作を手掛けることになったのである。

ある日、私は病院の事務室に呼ばれた。そこには小高区地域振興課の方が、当院の事務部長と並んで座っていた。
「”3.11″に因んで、小高駅からのメインストリートの311メートルを”フラワー・ロード”にしたい。そして、そこを、人の集えるような憩いの場とし て生まれ変わらせたい」という計画であった。「予算は付いていないのだが、もし先生たちの協力が得られるなら力を貸してほしい」との申し出であった。
そんな打診をされて、「考えてみます」とか、「一度持ち帰ります」という選択の余地などあるはずがない。一も二もなく「ぜひ、やらせてください」と、(全建総連の職人さんたちと相談することなしに)即決した。
小高区の復興計画に向けた、私たち”HOHP”の新たな事業が開始された。それは、小高区から避難している男たちにとっては、まさに暗夜に灯を見る心境であろう。彼らのモチベーションは、さらに上昇した。
ベンチ造りのための図面の検証、材木の選定と加工、ハンディタイプのサンドペーパーや10 cmのロングビス、外部用ウレタンニスなど、ベンチを製作するための必要物品の調達を急ピッチで進めた。
それというのも、6月12日のイベントに間に合わせたかったからである。製作したウッドクラフトを避難先の学校(鹿島中学校)に運び込み、そこで生徒たち に直のメッセージを書いてもらうという段取りで、離ればなれになってしまった家族の絆を、このクラフト上に描いたメッセージを通じてつなごうというもので あった。
イベント自体の企画もさることながら、男たちにとってここで重要なのは、「地元の復興において、自分が役に立てる」という自尊心の獲得であった。

「プライドを取り戻すことが、被災地では大切だ」と叫ばれるケースが多い。そのためには、「自分と向き合い、自己を認めることである」というのは、まさに 正論である。しかし、ここでのそのやり方は、”語らいやくつろぎ”というありきたりな場でも、”絆”という抽象的な言葉の投げかけでもなかった。深い深い 自己への洞察と、そこから湧き上がる”自分のなかでの大切な何か”との長い長い葛藤であった。
男たちに必要なことは、熱中できる”創造”であり、黙々と打ち込める”実行”であった。そして、いつの日にか、「これは俺たちが造ったものなんだ」と次の世代に言える、その”形”を築き、残すことであった。

 

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